第48話 悪魔
獣が咆哮した。
山羊頭の巨人の手のひらには、偽エンバーの身体が載せられていた。その身体はあちこちが折れ曲がり、頭部が半分潰れて脳漿がこぼれていた。もう片手には、やはり壊れた人形のようになっている死霊術師の細く枯れた身体があった。
「よくも……よくも……我が女帝を! 我が肉体を! 我が秘術を持ってひき肉に変えてくれる!」
山羊の口が開いた。赤黒い口腔には無数の臼歯が螺旋を描いてびっしりと生えており、薔薇の花びらを連想させた。女帝と死霊術師の身体がその中に放り込まれ、ぼりぼりびちゃびちゃと噛み砕かれる。
「この身は悪魔! 我が作りし魂の器の中で最も頑健! 最も剛力! 貴様らもすり潰して、この身の血肉に変えてくれる!」
「あらら、ジジイの身体を捨てたら途端に元気じゃねーの」
「なおも愚弄するか! 儂の肉体には無数の魔導印を刻んでおったのだ! 魔術の深奥を知らぬ愚昧な虫けらどもにその価値は永遠に知れまい!」
悪魔の拳が振り下ろされ、石畳が円形に陥没し、砕け散る。サイラスとアイラは左右に飛んでそれを躱した。
「なんつー馬鹿力だ」
「でも、遅いです!」
振り下ろされた拳をサイラスが小剣で斬りつける。アイラは懐に飛び込み、三節棍で脛を打って離脱する。悪魔が攻撃し、それを躱して反撃する。そんな単調なやり取りが何度も繰り返される。
「虫けらども無駄な足掻きを!」
悪魔は激昂し、攻撃が激しくなる。しかし大振りな攻撃は読みやすく、サイラスもアイラも当たる気がまるでしなかった。
「こいつ、体術はまるきり素人だな」
「不死者を顎で使って、自分はろくに動かなかったんでしょうね」
しかし、サイラスたちの攻撃も効いている気配がない。小剣は切り傷ひとつ、三節棍も痣ひとつ残せない。こうなると不利なのはサイラスたちの方だ。不死者に疲労はない。持久戦となればやがてジリ貧となるのは目に見えている。
「ふざけおって……! ならば分けた魂をさらに戻す!」
悪魔はもともと空だった。いまは死霊術師と女帝に宿した二つの魂を統合して収めているが、悪魔の性能を引き出すにはそれだけでは足らない。
分けた魂は自身を含めて十三。道化師、月、戦車、隠者の四つは失われた。残る七つを呼び寄せるために魔術を発動する。
悪魔の頭上に青白く輝く魔法陣が出現した。それは禍々しい妖気を放った。突然真冬になったかのような冷気に、サイラスとアイラは身を震わせた。
「まだ隠し玉があったのかよ」
「いくらなんでもしぶとすぎます……」
「不死者ってのはしぶといもんだ。勉強になったな、新人」
二人は悪魔から距離を置き、警戒を新たにする。その脳裏には奇妙な肉体を持つ道化師や、首無し騎士を囮にしていた戦車の例がある。予想もつかない新たな攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
だが、二人の警戒とは異なる意味で予想外の事態が起きた。
「……来ない!? なぜだ、なぜ魂が戻らない!?」
どういうわけか悪魔が狼狽えているように見えるのだ。
「なんだ? 魔術が失敗したのか?」
「魔法陣はちゃんと発動しているように見えますが……」
原因は魔術自体は正常に発動しているにも関わらず、分けた魂が戻って来ないことなのだが、そんな事情はサイラスもアイラも知る由もない。発動中の魔術を警戒し、攻勢に転じることも躊躇われた。
わずかの間、奇妙な沈黙が場を支配し――すぐに破られた。
サイラスたちの背後で轟音が響いだのだ。
反射的に振り返ると、くの字にひしゃげた分厚い金属板が2枚、回転しながら飛来していた。二人は咄嗟に躱すと、それは悪魔に当たって石畳に転がる。それの正体は、変形した部屋の扉だった。
ずず……ずずず……と石臼を挽く音が聞こえた。
否、それは重い棺桶を引きずる音だ。
そしてそれを背負うのは黒い外套を頭から被った長身の女。
「エンバー!?」
「こ、今度こそ本物ですよね!?」
ぶち破られた扉から現れたのは、棺桶を背負うエンバーの姿だった。
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