第37話 屍喰い蝶
汗みどろになってツルハシを振るうこと一刻あまり。研究室の石壁は硬く、ひと振りごとに耳かきでこそいだ程度しか削れなかったが、ようやく一筋の亀裂が刻まれた。
「ふー、一刻かけてこれだけですか……」
アイラはツルハシを置き、手のひらに息を吹きかけた。日々の鍛錬で皮が厚くなっているが、さすがにツルハシを振るい続けた経験はない。慣れない作業に手のひらが熱を持ってじんじんと痛んでいた。
「ま、罅さえ入ればなんとかなるだろ」
サイラスが粘土のようなものを取り出し、出来た亀裂に詰め込む。粘土は赤みがかっていて、何か混ぜものがしてあるのかところどころがきらきらと光っている。
「何ですか、それ?」
「細かく砕いた火霊石を粘土に混ぜたもんだ。よし、詰め終わった。離れててくれ」
アイラが十分に距離をおいたのを確かめて、サイラスは亀裂に向かって火霊石を投げつけた。火霊石が炎を伴って爆発し、粘土に誘爆。二度連続して轟音が響き渡った。
「よし、思った通りだな。壁の向こうに空間があるぞ」
瓦礫を蹴飛ばしながら、サイラスは崩落した壁に近づいていく。ランタンを掲げて中を照らそうとしたときだった。
「うおっ、なんだ!?」
暗闇から無数の何かが突風のように飛び出してきた。ひとつひとつの大きさは手のひらほどか。数え切れないほどのそれが不規則な軌道を描いて通り過ぎていく。サイラスは咄嗟に顔をかばって防御姿勢をとった。
離れていたアイラはサイラスよりも冷静に状況を見ることが出来ていた。素早い動きで一匹を捕え、まじまじと観察する。それは赤黒い羽根に髑髏状の斑紋がついた毒々しい色合いが特徴的な蝶だった。
「屍喰い蝶ですね、これ」
「屍喰い蝶がなんでこんなところに……って、考えるまでもねえか」
改めて部屋の中を見れば、人骨や腐乱死体が散乱している。
屍喰い蝶とは動物の死体に群がり、血や腐汁をすする習性を持つ低位の魔物だ。あの道化師はわざわざ餌を用意して、これを飼っていたのだろう。
「これを使い魔にして連絡を取り合っていた……ってところですかね?」
「虫を飼うのが趣味じゃなけりゃな」
部屋の中へと踏み込むと、強烈な異臭が鼻を刺す。口元を押さえながら内部を探ると、部屋の端に机があり、その上には紙片が散らばっている。
「この机、人骨で出来てますね……」
「まったく、趣味のいいこった。おっと、まだ近づくなよ」
アイラの言う通り、机から伸びる4本の足は人間の手足の骨を組み合わせて作られていた。不死者の可能性があるため、サイラスが聖水が入った小壺を投げつけて確認する。聖水に反応はなく、二人は机の調査を開始する。
「これに宛先でも書かれてりゃ話が早かったんだが」
サイラスがつまみ上げた紙片には、見たこともない異様な記号がびっしりと書き込まれていた。文字というよりも図案に近い印象を受ける。じっと見ていると記号が線虫のように蠢いている錯覚を覚え、目眩をおぼえてくる。
「すごい薄手の紙ですね。なのにすごく丈夫です。こんなの見たことないですよ」
「製法がわかれば坊主なんてやめて紙屋になって大儲けできるかもな」
「もう、こんなときに冗談はやめてください」
「じゃあ真面目な話をするが、紙質はここにあった魔導書に似ている。仮に同じものだとすれば、骸の王の時代にあった技術をあの道化師とその黒幕は受け継いでいるってことになる」
道化師の一味が骸の王の信奉者であることは間違いないだろう。問題なのはこの製紙技術をどうやって得たのかという点だ。古文書の解読などで得たのか、あるいは直接受け継いだのか。
黒幕が骸の王の時代に発生したのだとすれば、千年以上も滅ぼされずに存在し続けていることになる。不死者には寿命が存在しないと思われがちだが、実際はそんなことはない。ゾンビやスケルトンはいつか身体が風化するし、レイスなどの実体を持たない不死者も魔力がなくなれば消滅してしまうのだ。
逆に言えば、千年もの長い時を生き延びた不死者はそれだけ強力な存在であることが予想される。あの道化師や戦車を手下にしているのだから生半可ではないことは最初から承知しているが、それこそエンバー並みの実力であることも覚悟しなければならないだろう。
「サイラスさん、引き出しにこんなのがあったんですけど」
悲観的な推測に囚われかけていたサイラスだったが、アイラの言葉で我に返った。アイラが見つけたのは小指の先ほどの長さの細い筒だった。それが引き出しの中に何本も収まっている。
「何に使うんですかね、これ?」
「ちょっと待て、試す」
サイラスは紙片をくるくると丸め、筒の中に挿入した。
「ぴったりだな。アイラ、その蝶を貸してくれ」
「はい!」
筒に付いていた紐を屍喰い蝶の胴に結わえ付ける。サイラスが手を離すと、蝶は筒の重みなどなんでもないかのように羽ばたいた。
「なるほど、伝書鳩ならぬ伝書蝶ってわけか」
サイラスの唇がにやりと笑った。
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