26話「奴の戦争の生涯を終わらせなくてはいけない」 ヴァンス
”ハドマの息子、新生エーランのバラーキ、イバイヤース。魔なる神の御力により、三代目魔神代理と中大洋諸国の加護を分かち合い、数多種族と異教徒も保護する古き帝国の継承者、魔なる王。かの御方に代わって伝える。
本日昼前四点鐘時、旧オトマク寺院の旧謁見場、現大会議場にロシエ陸軍元帥ランスロウ・カラドス=レディワイスと共にガートルゲン陸軍大将ヴァンス=ホルヘット・フェンドックを招待する。重大事をお話しされるとのことで、心を整理されるように”。
わざわざ手紙で招待するとは、丁寧なこと。
捕虜に軍服軍帽の着用を認め、将校には帯刀を許し、私信に限っては検閲付きで出せ、給与を出して購買で石鹸や飴を買えるような文明的な扱いを心がけているようなので驚きはしない。
焼けた聖オトマク寺院の議場、かつて聖皇謁見の間でもあった大部屋まで、軟禁されている部屋から連行されて来た。正面扉から正対する大きな壁には真新しい壁紙が張られていて何か隠している様子。”聖なる種”の彫刻とか?
自分とランスロウ元帥には監視役の虫人魔族と黒人奴隷兵が一人ずつ付く。今、この部屋には六名。
秋になって、暖炉を点けるには中途半端な時期で精神的にも寒々としている。広い石造りの部屋の真ん中に、四人掛けの卓が一つと椅子三つが置かれているだけで無駄遣いな感じがする。居心地が悪い。
聖都脱出時に聖職者達が物品を持ち出し、火災による焼失を受け、更に魔王軍による補修と模様替えが行われたことで在りし日の姿はかなり薄れている様子。初めて訪れるので詳細は分からないが、ぱっと見てかつての姿ではないと分かる。
ヴィルキレク帝が戴冠したここで、魔王から話があるということで集められたが肝心の本人が中々来ない。
偉い人間は下の者をわざと待たせるという心理戦があるが、そんなことを今わざわざ煮るも焼くも勝手な捕虜に対してするのか? 単純に定期の仕事中に緊急案件が回って来て後回しにせざるを得なかったという場合もあるか? 参謀総長時代の自分にも良くそんなことはあった。偉い実務担当は本当に忙しく、予定が予定ではない。
「吸いますか?」
隣に座るランスロウ元帥が紙巻煙草を見せてきた。
南フラルでの戦いで行方不明となっていた彼の生存がこの目で確認できたことは喜ばしいとも、虜囚とあっては軍才も生かせず悲しいとも思う。軟禁中は顔を合わせることもなく、朝に貰った手紙でその存在を知ったばかりである。
「ご厚意はありがたいですが、吸いませんので」
「私もです。捕虜同士の賭け札で取ったのですが今日まで持て余してまして」
「物々交換に使えませんか?」
「何か持ってます?」
「いえ……」
一応この軍服に手を当てて何か入っていないか確かめてみるが硬筆と手帳ぐらいで、これは実務品。
「フラル発行の新聞は部屋でも読めているんですが、前線はどうなってますか? 戦地直送記事は検閲入ってますね」
「カトロレオ峠を一時突破して北の宿場に野戦司令部を一時設置しましたが直ぐに半壊しまして、趨勢が分からない内に捕虜になりました。未だに流動的かと。あのランマルカの重砲とユバールの高射砲さえどうにかなれば、あれの輸入が断てれば魔王軍の能力も半減すると思うのですが」
「高射砲を撃ったということは飛行船落とされてましたか」
「大体こう、航空の初撃は決まるのですが、第二波三波となると迎撃準備が完了するようです。常時、砲を空に向けておく感じではないようです。配備数が少ないから第一波は甘んじて受けてから出動という様子ですね。予備待機で運用してますね」
「その司令部を設置して? 今ここにフェンドック総長がいるということは直接前線指揮? 畑が違うのでは?」
「ザーン、ナスランデン、ガートルゲンの三国でロシエ臣下となりまして、合同軍に私の名を付けたフェンドック師団を編制しました。峠を越えたまでは良かったのですが、二脚機兵の空挺支援まで受けましたが力及ばず」
「それは将軍の仕事ではないでしょう」
「リノー元帥の采配です」
「彼はちゃんと指揮も指導もしないで顔にも出さず黙っていられるから素晴らしいですよ。機兵屋一辺倒です。ですから政治家の采配ですね」
「そういう方でしたか。一度会ったくらいで、鉄兜党だなと、いうぐらいしか」
「恨むなら宰相、いや違うな……あなたのところの国王だ」
「ならば恨みません。政治的な成功に寄与しました」
「無私ですね」
「実は戦死したかったんですが」
「まだお元気でしょうに。楽になるには早いですよ……しかし、私は途中で戦場から離れてしまったのですが、よくあれだけベーアは動員出来ましたね」
「地方連隊本部が協力的だったからです。上で枠組みを作っても結局現場が動かなければ意味がありません」
「謙虚ですね。枠が無ければ協力もさせられませんよ。皇帝と議会も説得されたんでしょう?」
「亡きヴィルキレク帝を説得、そして陛下から議会へ、ですね。私は人気が無いので、こう、不特定多数といっては何ですが、悪く言われますので人気者に言って貰わないと」
「私はあなたをロシエに連れて帰りたい。ああ、中央に直接かな。面倒でしょう、ロシエ流の決済回し。私は独立戦略機動軍立ち上げた時からあれは回避するようにしましたよ」
「ベーア軍では一つ二つの手順だったのがあの決済回し。鉄兜党に入りたくなる気持ちが多少分かりました」
「ほう! それが分かったならもう立派なロシエ軍人ですね。私は死んでも嫌ですが」
「そう言えば、断片的にも情報を拾ったのですが、天使や二脚の新型が鹵獲されているみたいですね。これにフラルやロシエ人の捕虜もいるから、実用化? がされるでしょうか」
「最新の、私が知っているのはもう一世代前になっているかもしれませんが、理術兵器、たしか名前を変えて理導兵器? とかっていう新名称を考えているという話も聞いていますが、あれは狂気の産物ですよ。まさしく研究者を発狂させながら作っています。しかしまあ、人が出来たことが他人に出来ないわけはないでしょうね。ポーリ宰相のあの、手元で試験型をすぐに作って効果を証明する速度感、あれを真似出来るかどうかで大差がつくと思いますが、そのようにこちらが優れていると断定しても、」
ランスロウ元帥が卓を親指で突く。
「机上の空論」
「確かに。そう、ちょっと気になる部隊がいたのですが、聖科学医療修道会というのはご存じですか?」
「それはけったいな名前ですね。聖都の悪趣味が露呈してますが、具体的に?」
「年端もいかぬ若い修道女達だけで構成された化学戦部隊のようで、人間は救助しないが……何と言ったか、たしか”お卵様”というのを助けるのが最優先とか」
「私の知識ではちょっと届きませんね。”理導”とやらかもしれません。基本的に正視に堪えないものでしょうよ。人狼に天使、角馬に翼馬。あの見た目は整っているあれらが出来上がるまでにどれだけの醜悪な出来損ないが生み出されたか想像もつきません。人間と家畜、対して野性に悪魔。人間原理の総本山が何を間違ったか。遂にレミナス聖下は妖精共の異教の祭壇で心臓を抉られたんですから、何とも、罰が当たりましたかね?」
この議場の、聖なる神と人間達の物語が描かれている天井画が、使い古しの船舶帆布数枚で覆われている。布の隙間からちらりと色彩が見える。
「私は妻に指揮させた婦人決死隊という女性兵士部隊を編制して、戦場手前まで移動させたところで終戦を迎えました。やれることをやり尽くした結果の醜い姿です」
「押し付けられました?」
「考えて作りました」
「冗談では?」
「えーと、エグセン人です」
「うぅん……今のが冗談ですか」
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思いの他ランスロウ元帥との会話が弾んで続き、真昼になって鐘が鳴る。空腹を感じるがお菓子も持参していない。煙草は腹の足しにならない毒物。
徴兵逃れのために煙草を食べるとか、まさかだがその煮汁を飲むという話もあった。想像しただけで口がすぼむ。
自分達はまだ話をしながら椅子に腰かけているが、お付きの監視役四名は姿勢を正して待機したまま私語もしない。一度付けた足の裏は床に接触したまま。儀仗兵並。
ランスロウ元帥が「彼等、話しかけても返事しないでしょう」と言うので「話しかけたことはありませんね。忠実に職務を遂行しているので」と返せば笑われた。
この辺りは我々以外に音を立てる者が少ない。せいぜい小鳥、窓に当たる蜂や虻。
そして複数の足音。人間よりも固くて重たい音と、それから雰囲気。監視役四名が改めて姿勢を正した。
扉が開く……その前にランスロウ元帥は急に煙草へ火を点けて咥え、わざわざ足を組んだ。
「不味い」
「嫌がらせになりますか?」
「虫には燻蒸でしょう」
監視役からは何か注意をしたりしない。こんな生意気が許されているということは余程大事にされているか、今までの態度が散々で呆れられている。両方だな。
入室してきたのは尾付きの虫人魔族。白い正装は南大陸のものか、古エーランの復古か、エーランのものがそもそも南大陸に入ったのか。ともかく中大洋沿岸の温かくて乾いたところの、日光避けを兼ねたもの。
魔王は入り口まで付いて来た者達に解散するように言ってから、我々の向かいに自分で椅子を引いて座った。それまでの間に、ランスロウ元帥は煙を吐いてその椅子上空あたりに紫煙を撒いてある。
……この態度で今まで良く殺されなかったな。殺させようとしているのか。
「右手はどうされました?」
開口一番はランスロウ元帥。確かに言われてみると魔王は右手を握ったり開いたり振ったりを、着席までに少しやっていた。
「あまり回りくどいことは止そう」
魔王は卓に右手を乗せた。やや痙攣。
「南エグセン紛争の一環で、セレード国王ヤヌシュフがこのエーランまでやってきて、我が副王のアルザビスと果し合いを行った。アルザビスは重傷、ヤヌシュフ王は死亡、巻き添えを食らった観衆は五百名以上が死傷。生き残りも重大な障害からまだ死者が出続けている。魔術も至ればそういうことになる。
この一件で紛争の件を手打ちにしようと、魔神代理領中央の仲介で帝国連邦と和平を試みた。するとだ……」
魔王、鼻から唸るような溜息。苛つくように震える右手で卓を指で叩く。
「使者として送ったのはスライフィールのウバラーダという者だ。勢力立ち上げからの、宰相と言って良い人物だ。”城落とし”の異名がある、文武に優れた魔族の爺様だ。私に父親が三人いるとしたら育ての三人目。それが交渉の席で連邦総統シルヴ・ベラスコイに殺された。あのベルリク=カラバザルも同席。交渉は決裂。あちらはベーア戦争に続けてまだやる気らしい。同盟とは言わないが……」
魔王が口籠ってうつむき、卓上を見ながら声にならないような独白をする。
「共同体同胞に……あの好戦性は一体何なんだ? ……暴走を止めないのはやはり……」
随分と、あまり隠さずに話すような。
ランスロウ元帥は今更お前等一人が死んだぐらいで何だと、煙草の二本目に火を点けた。
魔王が短く唸りながら顔を上げる。
「失礼……うむ。あの、帝国連邦の長はシルヴ・ベラスコイで完全に好戦派だが、遊牧皇帝として最高権力者であるのは依然としてベルリク=カラバザルだ。奴に戦いの意志が無ければああはならない」
魔王は右拳で卓を叩く。
「奴の戦争の生涯を終わらせなくてはいけない。三十年で一城主からここまできたのなら、もう三十年で何をしでかすか全く分からない。極東の天政も瞬く間に政権を奪取して亜大陸を掌中に入れたという。バルハギンの再来も比喩ではなくなっている」
これはあまり心に響かない。
お前が攻めてこなければそもそもベーア帝国は崩壊しなかったんじゃないかという計算をしてしまう。ペセトト単独でも衝撃は相当で、実際どうだったかは不明だが。言うなれば”ざまぁみろ”。
「君達にとっては嘲笑するような話だな。天に吐いた唾が降ってきただけとでも言おうか? 情けないのは分かっている。使者殺しを聞いて壁を殴ってきたばかりだ。
そこで聞きたい。上手い誘い言葉になっているか分からないが、男として無敗のベルリク=カラバザルに勝ちたいとは思わないか? ロシエは帝国連邦とは少なくとも十年、二十年は戦わない。我がエーランとはその二十年の間で戦う。今は戦争疲弊で即座にぶつかるわけではないが、準備出来次第どこか陸か海か問わず戦いになる。準備段階でも小競り合いは頻発するはずだ。
それに君達もいつまでも若くない。ランスロウ元帥はまだ少し若いと言えるが、フェンドック大将は五十過ぎで初老だ。二十年後は、その過労の身体で健康はどうだ? 七十過ぎから本番を始めるのか? 現役の、全盛期を無為に過ごすのは男ではない」
それは……。




