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ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー  作者: さっと/sat_Buttoimars
第2部:第14章『ぼくらの宇宙大元帥』

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16話「中原を差配する」 金蓮

 龍元永平二十年朱西道大地震。

 大河フォル江の源流が集まるかの地で大規模な土砂崩れが多発。出来上がった天然堤防が大小河川を堰き止めた。湖が出来上がり、そこへ雪崩も加わって容積を越える。

 冬期の凍結で止まっているのだが、春の雪解けを迎えて一挙に破局する……間際。その予兆に影響流域では川底まで氷結する程流量が下がっている地点もあるという。動くものが動かない停滞は激動の前兆。

 また大地震には後に続く余震が伴う。今は形を保っている自然堤防もそれで崩壊する可能性が高い。不測の事態ばかり待ち受ける。

 二次災害の元凶、無数に発生した堰き止め湖への工事が必要である。制御管制し、大洪水へ至らないように段階的な除雪と排水も必要である。そのためには土砂の撤去、遊水路の設置をしなければならない。

 工事のためには堰き止め湖の位置の特定がそもそも必要である。範囲は広大で、複雑な山岳地帯が広がってそもそも平時より人を容易に寄せ付けない。

 難事業。事故現場住民の安否も不明で、無事だったとしても事態を通達する手段が往々にして存在しない。道の多くは断たれた。

 特定した場所まで労働者と物資を送り込むために道の確保が必要。地震の影響で道が崩れ、橋が落ちている。これから直す必要がある。

 現地人は建物が倒壊して物流が途絶えた中にいて、餓えや渇水、怪我と病気、屋根や扉の無い暮らしと治安の悪化に脅かされている。これも救済しなければならない。

 これには大軍の動員が必要。

 レン朝は軍の南下を停止して災害派遣に注力した。”些事は捨て置く。人民の救済が第一である”と天太后ソルヒンが公衆の面前で、新帝をお披露目しながら宣言をした。

 宰相に当たる光復大臣リュ・ドルホンから”域外”にも救援要請が出される。大量の人手は中原北部に存在するので、治水や建築技術者、医者に方術士、登山家に獣使い等々、高度技術者が特に域外に求められた。

 帝国連邦は迅速に応じている。災害現場と隣接し、むしろ当国も少なからず被害を受けているが人手も技術者も出して現着済み。

 南覇巡撫も応じた。行動は帝国連邦に準じる。南洋地域からの高度技術人材の到着は距離的に遅れてしまうが送らないより義がある。

 東護巡撫は応じていないが、さりとてその隙を突いて攻撃するという姿勢も見せず”人心に配慮する”との声明を出している。徳の薄いことだ。

 そんな中、大地震の犯人は黒龍公主という流言が出た。

 ”龍人や霊獣が一斉に姿を消した。何をしているか分からない”。

 ”怪しい妖術を使って人には言えないことをしている”。

 ”ついぞ公衆の面前に姿を現さなかった”。

 ”龍帝を乗っ取った。龍人王がいなくなった”。

 ”新皇帝と争っていて、そのためには人民の命を失っても構わないと考えている”。

 全て事実で、繋げ合わせると大地震を起こしたのは本当にお母様なのではないかと自分でさえ疑ってしまう。

 これはレン朝への大打撃で間違いなく。ここで追い込まれた罪無き人民に追い討ちを掛けては徳の無いこと。

 ここで悪評など知るかと戦を仕掛けては龍とレン、正統はどちらかという争いに敗北宣言を出すことになる。

 地上の崩壊状況に拘わらず、龍道を通じて行動出来る龍人兵と霊獣の軍勢は人民を助けて災害を取り除く能力に長けている。方術も常人より長けていれば尚更。これを為せば徳が高い。

 北征巡撫に南覇巡撫、そこに目をつけて人民救済を我々へ訴えに来た。自分も勿論、そうすべきだと考えて賛同して中継ぎする。ここに至って紛争に勝敗が何だというのか。

「嫌じゃ」

 もはや黒き龍の姫の黒龍公主ではなく、黒き龍の帝の黒龍帝と化した巨体が徳の無い返答をした。巨大な口からは並に調整されたいつもの声がする。

「糞ババアのボケはホンモンだな!」

 キレたシゲヒロは、お母様に向かって石ころを蹴り飛ばして当てた。黒鱗には傷もつかない。そして仕返しの、龍尾の縦振りは簡単に避ける。地面が揺れる。広がる赤い埃が鼻に悪い。袖で口元を覆う。

 なだめる気になれない。

「天命やのう。天罰かのう? 即位宣言して即大災害。失墜したところ見させてもらおかな」

 寝そべる巨体。これが我が母? 母性的なところが口から感じられない。

 姿が少女だった頃の可愛げは失せた。もう、自分が産んだ卵の中身が新しいお母様だった、などという胸が悪くなることすら吹き飛んだ。

 この人は落ち込むことすら許さないのか?

「人民の命が掛かっております」

「そんなもの、百年もしたら戻っとるわ。土が増えれば畑も増える。頭も増えとるかも? のんびり見学して待ちましょ」

 信じられない、信じられない、信じられない。

「バルハギンのガキ共もこんなんで野っ原に退いたわ。まあ、器でなければ追い出されるのが中原やからのう。しっかし、ほとんど初日で”氾濫”やて、どんだけ小さいのかお笑いやわ。鼎やのうてお猪口やの。短腹嬢ちゃんにお似合いやぁ」

 巨体が笑う、地まで震う。お母様はもう、狂ってしまわれたのか? 龍人という人型すら捨て、蛇の龍の姿になって。

 北征巡撫に南覇巡撫、お二人を直接会わせるのは何かまずかろうと思って言葉だけ伝えたのだが、本当に会わせなくて良かった。

 レン朝派のサウ・ツェンリー殿はともかく、一応龍朝派を続けるルオ・シラン殿にまで最後の”一分”を見限られたくなかった。大陸追放の憂き目に遭ってしまいかねない。

 しかし我々は本当にこの”これ”を戴いて良いのか?

 何も無かったら良かったのに。


■■■


 かつては”禁”城であった宝船城を訪問。

 南洋の中核パラマではなく、今大洪水の危機に晒されているリャンワンにいる南覇巡撫ルオ・シランを訪ねた。中庭の東屋で茶を貰う。

 どうにかしたいのにどうにもならない。かかる事態で相談出来る人物が彼しかいない。お母様とのやり取り、挑発にならぬよう語った。

「……なるほど、金蓮様は高徳でいらっしゃいますね。本当に良い子です。失礼」

「いえ」

 母はお母様として、父か兄がいるとすれば彼である。ほとんど今の姿で産まれたが良くして貰った。自分の交友関係が極端に狭かったわけだが。

「お心は大変素晴らしく、黄金のように眩しい。良い子の余り、出来ることが出来ないのではないでしょうか」

「私は良い子なんですか?」

「ご夫君にあなたならばどうするのかと尋ねてみれば、そうではない考えを示してくれるでしょう」

「あいつ馬鹿なんで」

「では尚更聞くに値します。それから道化の振る舞いをすることと愚かなことは別です。学問に長じている方ではないでしょうが、人生経験という点では人並ではありません」

「あ、はい」

 貴方はどちらに与するのか? と質問しようかと思っていたが、それは愚かであると思えてきた。言ってしまえば決断を、どちらかへの敵対を迫ることになる。

 味方して欲しいけど。

 茶も飲み終わって中庭を散策。池の鯉は金一色に揃っていて、混じりものがいたら世話係がたもで掬って桶へ入れ、他所へ移す用意。

 故エン・キーネイの趣味が今も続いている。自分が知り合ったらなんと言われるだろうか?

「さて、ちょっと遅いですね」

「遅い?」

 元気に駆ける音。軽い、近くへ近くへ。

「金ちゃーん!」

 どーんと自分に体当たり、抱き着き、腕にぶら下がり。二十歳も過ぎて足が浮くような年齢ではなく。身体は斜め。

 シラン殿の娘クイン。中原貴人とは思えぬ肌出し日焼け、胸と腰と尻脚の形が分かる男装でしかも何と髪を切って短髪! 通常の貴婦人教育など受けた様子が無い。しかし首に輝くのは粒揃いのリュウトウ真珠の首飾り。まるで化外の、かわいこちゃん!

「おお! おもたいっ」

「重くなーい」

 鉄面と皆が思っている天政無双が微笑んでいる。

「ヤンルーで雪を見せるつもりが、予定がずれまして」

「金ちゃんと雪で遊びたかった!」

 クインは自分の腕で逆上がり、肩に腹で乗る。ウチの子だったらどれ程良かったか! 十歳は年上だけど。

「今のリャンワンは危ないのよ」

「街にお出かけしない?」

「遊んでる余裕はちょっと……」

「悩んでいる時はお散歩!」

 シラン殿は軽く”それがよろしい”と頷く。

「それは、そうだね」

 城の屋根で寝ているシゲヒロを見てみれば、こちらに視線は向けているがそのまま。

 あいつ、前にクインに構い過ぎて”シゲきもーい”と言われたのをまだ引きずっているらしい。

 バーカ。


■■■


 レン朝内戦の切っ掛けを作ったエン・キーネイとその子トインがベルリク=カラバザルから砲撃を受け、落ちた天井で潰れ死んだ城。宝船”禁”城。今は、禁の字は入らない。

 その城壁外水濠を周る。排水口の掃除、積み上がるゴミ混じりの泥。中には状態の良い陶器、宝飾、蹄銀まで出て来る。砲弾片も。貴重品は元より屑鉄類も労働者の副収入になる。

 指揮する高級官僚、管理する下級官僚が慌ただしい。

「金ちゃん、モクズガニぃ」

 クインちゃんが甲羅を掴んで蟹を見せてきた。威嚇する開いた鋏に指を入れると掴まれる。

「痛くない?」

「私は痛くないよ」

「えー」

 場所によっては蟹が積んだ泥からかなり出て来ている。労働者の食事になる予定か、籠から溢れる程入っていて脱走もしている。

 蟹は水路を壊す。水路を壊す害虫を指から下げて太陽にかざす。姿形は面白い。

 少し高台へ。リャンワン壁外へ疎開する人と馬、ロバ、ラクダと車の列、船の列も途切れないように見える。一方、物を運び込む者達もかなり多い。そしてそんなことは知らないと木陰で雀卓を囲む老人達もいる。

 塀の上に猫。野生動物は勘が良いとされているが、遥か上流となると働かないのか? 諦めることも選択か?

「猫!」

「逃げないね」

 飼われているように見えないが、餌は貰っている様子。クインが腕を伸ばして抱き上げると、最初は抵抗しないが直ぐに腕の中から飛び降りる。

「逃げた!」

「追わない」

「うー」

 城内では食糧庫の移転がされている。一階、地下階から二階より高いところへの移転。これは庶民も可能な範囲で行っている様子で、保存面を考慮して早目に干し物にされているものもある。城の屋根に魚や肉に野菜の開いた物が並んでいるのは何とも、威厳の無い。

 宝船城以外でも護岸工事というか、土嚢積みでの止水工事が行われている。藪を移植して方術の”繁茂””木網”で固める。

 本流は対岸が霞む程に広大だが、市街地水路の浚渫や排水口の掃除はこちらでも進む。大量のゴミ、悪臭を放つ汚泥、方術”浄水”による汚染抑止。

 獣骨はともかく人骨が出て来ると最近の事件か、前の戦争のか? と騒ぎになる。そんな脇で大量に獲れる魚に蟹に海老に貝と、労働者たちに振る舞われる魚介鍋、臭み消しに香辛料を大量投入。泥抜きをしていそうにない飯炊き女達の手馴れた殻剥きは見事なのだが。

 釣り人が意外な程に多い。川の水量が減った代わりに海水が進出してきているという。汽水域の変化がある。

「釣れますかー!?」

「沖で獲れんのがいるぞ!」

「そうなんだー!」

 クインは庶民に声を掛けるのも躊躇しない。ずっと連れ回したい。

 市場は人混みが凄いので見下ろせる位置から眺めるに留める。

 疎開で持っていけない品々を現金化したい人々と、値切ろうとしている商人。災害以前は高価だった代物も、こうなっては子供のおやつみたいな値段に駄々下がっている。

 特に家具類、重量物。美術品と言えどこの輸送費が高騰している中では引き取るために、逆に金を貰わなければならない程。

 今大盛況を迎えているのは船主達。名札をつけた家具、籠を山と積んでいる。河口外の倉庫に持ち込めば安全そうだ。

「おいちゃん忙しい?」

「死ぬ!」

 転覆しそうな程荷物を積んだ船が、壮年船主の櫂一本で河口へ、海へと進んでいる。

「がんばってー!」

「おー!」

「潮目気を付けてー!」

「あいよ!」

 クインは中原貴婦人と見れば悪目立ちの”不良”だが、元気な異人女とすれば何ともない。白粉叩いた顔ではないのが市井に馴染む。

 市場程ではないが、人通りが普段より遥かに多い商業街。店頭販売より卸業者が多く、各地銀の窓口も多い。風呂敷に札束を詰め込んで、それをお付きの力士に運ばせているという貴婦人もいた。

「金ちゃんってお金持ってきてる?」

「欲しい物は補給の将校さんに頼むね」

「服買ったりしないの?」

「特注過ぎて店で注文しないよ」

 人龍の体形。基本は人型だが五体、いや六体の比率が人間と違う。特に尾は脊椎の延長として伸びているだけではなく、腰回りの筋肉の付きが人間とは隔絶している。

「宝石、ほら、あそこの店、良くない?」

「鱗」

 この金鱗の前では大体の宝石が似合わない。金塊は何で飾る? 絹のような柔らかな物が良い。

「脱皮したら頂戴」

「垢にはならないけど薄皮がボロボロになって剥げるだけだよ。透明」

「その金ピカぼろっとこない?」

「こないよ」

 黄金より美しく、価値を見出すとすればそれ以上。宝石商の目も店内から刺さってくる。

「クインちゃんが買いたいの?」

「お付きがいたらお父様の売掛で」

「首の以上のが欲しいの?」

 粒揃いの真珠の列より高い物がこの界隈にあったか? 特大の原石見本があれば相当するかな?

「私に赤珊瑚って似合うと思う?」

 クインの指先には、金枠で補強した厚い硝子の陳列棚に見える赤珊瑚の、大玉の指輪と耳飾り。物によるだろうが、これは老貴婦人に”重量感”を与える物だろう。

「うーん、それは年取ってからかな」

 それからクインに付き合って宝石店を冷やかして回る。相手は弁えた店主店員ばかりで小うるさいことは無かったが、その目線は必ず真珠の首飾りに突き刺さった。自分に向かうものよりも強かったのは宝石店ならではか。

 途中、ハン商店リャンワン支店という看板を見て寄ろうか寄るまいか考えたが、出入りの激しい玄関が開いたわずかな時間に「アァ!?」という奇声が聞こえたのでやめた。きっと死ぬ程忙しい。プラブリー案件の時から大龍銀船艦隊には非常に世話になっていて親しいが。

 時計で時刻を確認し、河口の大きな港へ行ってみる。クインが歩き疲れる前に人力車を手配。人通りの少ない道を走って貰う。

 聞こえて来たのは西側演奏方式を会得した、天政海軍軍楽隊の演奏。曲目はベーア帝国国歌である。

 旧ベーア帝国、現エデルト王国海軍派遣艦隊の出港式が行われている。少し前に入港したばかりの高速巡洋艦という非常に長くて巨大な軍艦がこう、未来的に洗練されていて美しい。

 戦艦というのは寸胴でいかにも重装戦士といった武骨な姿なのだが、あの巡洋艦は細くて背の高い女性に見えた。舳先から前部砲塔、艦橋、後部砲塔から艦尾へと流れる流線がそう見せるのだろうか? まるで海の女王。

 洪水の後に沿岸被害が発生するだろうから、それまで待機しようか? という旨をあの派遣艦隊司令が申し出ていたそうだがルオ・シラン殿は遠慮している。

 人力車の車夫に高台まで連れて行って貰い、他人に使う用の小銭を袖から出して「お茶代です。休んで来てください」と渡し、艦隊の煙突から吐き出される黒煙が黒くなったり青白くなったりするのを眺めた。

 ……やれることをやってみよう。

 山の自然堤防がどこにどれだけあるか龍道を使って移動して調査するのだ。これなら龍人兵への指揮権が無くても出来る。肩書きすら薄くなった特務巡撫として。

 シゲヒロは? あいつはそういうことなら手伝ってくれる。

「クインちゃん、私わかったよ」

「良かった」


■■■


 赤い粉塵が高く舞う。無風の霊山に風が吹く。

 獣が出すような高い鳴き声は無いが、喉奥から絞り出される咆に哮は、太いや低いで表現し切れない。震う。

 地面を叩けば地揺れ、崖に擦れば土砂崩れ。岩塊は干した土のように削れる。

 黒鱗の蛇龍が敵に全身を鞭に振るって打つ。噛み付き、引き込み体幹を崩して投げる。

 黒鱗白面の、翼含めて八肢の奇形龍は拳骨殴打、首絞め、踏み付け、尾打ちと格闘技に見える。

 アマナから伝わる龍道の先住者、白面龍王と思しき敵の襲撃。場所は龍人、霊獣を生み出す地点に近い、獣の神の安置所。自然山路から離れ、山頂から見下ろせない隠れ場所。

 龍人兵、霊獣、物資はここより遠い山中地下通路に避難して”龍災”を凌いでいる。指揮しているのは龍人将官。

「何でただ見てるの!?」

「避難優先です。敵には弾も矢も通りません。それに陛下と、獣の神に当たります」

「砲兵は」

「私の判断です。多少の効果はあっても敵の報復で今後、何も出来なくなります」

「むむむぅ」

 戦力の出し惜しみは敗北への道に繋がっている。しかしそんな攻撃精神は補充と補給が確立してからの話。敗北した時、痛み分けに終わった時のことも考えれば手の出しようも……とにかく難しい。敵は人間ではない。

 予算が確保されて工事が進んでいた対龍陣地、そもそも設置位置が狙われなかった。要塞最大の欠点、迂回されると使えない。

 黒龍が白面の首、腕、胴、大腿に巻き付いて締める。鱗と筋肉が不気味に擦れて響く。

 白面が黒龍の顎を掴んで地面に押し付け、動く手足に翼で半身を浮かして投身の肘打ち。

 黒龍が空へ泳ぐように登って雲中に隠れ、赤白斑の空も一瞬白滅、轟雷の雨が一点集中。打たれた白面から湯気が上がる。

 白面が口を開け、煙を吐き出しながら海老反りに天を向いて火を噴き、収束して光柱化。一閃雲を縦に切り、黒龍を落とし、星の無い灰空が見えた。

 両者、力を無くしたように少し動きが止まったがまた動き出す。

「これ何時から?」

「もう地上の一昼夜です」

 黒龍が白面の翼膜に噛みついて剥す。それでも小骨のような細いところでも折れない。

 白面の親指が黒龍の眼球を捉えて入り込む。しかし変形しても漏水もしない。

 互いに黒鱗が剥げ落ち、血が滲まない。痛みを感じさせない。まるで無生物同士の衝突。怪我というより損傷。

 変に目立つのはお母様の腹。少し太くなっている? まるで獲物を飲んだ後の蛇のようだが……獣の神を腹に避難させた?

「あれってババアのオヤジかっ!? 怪獣だな!」

 シゲヒロが指差して笑って嬉しそう。

「あんた馬鹿!?」

「何か似てんだろがよ! 弟か妹出来るぞ!」

「ホント馬鹿!」

 お母様に、一人でも朱西道救援に向かうと、家出してでもと一言断りを入れるためにリャンワンから戻ったのだが、まさかこんな。

「どうしよ!?」

「あんなのどうにもならん。行くぞ」

 シゲヒロ、刀で地上への出入口を切り開いた。

 言い訳とか抵抗とか、考え付かなかった。


■■■


 お母様の安否が脳内に何度も過る中、龍馬と虹雀を連れて地上と龍道を行き来して朱西道へと走った。もう冬が終わってしまう。

 低地は既に春、高地は春の手前。自分の行動は何もかも手遅れになっている気だけがした。

 自然堤防とは川を遮る壁一枚だと簡単に考えてしまいそうになる。

 物は高いところから低いところに落ちる。山が崩れて低くなり、谷底は森が埋めた。

 谷底を流れることが出来なくなった川は行く手を遮られ、通りやすい道を見つける。文字通り、人が使う道へ流れて水没させる場合が多い。道路というのは固まった溝でもあって、簡単に川へ転じる。

 水没した道を通る水の勢いは繋がる集落を潰し、崖路に差し掛かれば削り切って断崖を形成する。そうすると崖下に土砂山林を流し込んで埋めて次の一段低い谷底が埋まる。本流に合流するまで繰り返し。

 まだ冬の高地では雪が降り積もる。春を迎える中腹では雪解け、雪崩が加わって川を増水させる。春を迎えた低地では泥沼と洪水が発生。そこでは脚も車も船も役に立たない。

 大量の氷塊が交じる川がある。砕けた氷河が交じって水嵩を増している。急流の氷は泳ぎが達者な者も八つ裂きにして船も遮るので渡れない。思わぬところで詰まってまた流れを変え、解けては水が増す。

 交通が破壊され、陸の孤島に取り残された人々、家畜に野生動物の群れが無数に発生している。まだ集落に取り残されていれば幸運だが、水害から逃れて何もないところに避難した者は餓えている。清潔な水も無く、泥水を啜って腹を壊している。

 特に、僻地防衛のための入植計画の通りに、古くから人の住まなかった地に移った人民の惨状が顕著。山林を切り開いて作られた段畑の脆さが見て分かる。

 まるで文明と大地が神仙の鼎に混ぜて煮られたようだった。これでまだ大洪水が起こっていないというのだ。堤防決壊となればそれをフォル江にぶちまけることになる。たまに降る大雨も加わったら?

 ”百年もしたら戻っとる”?

 プラブリーでは雨季の洪水を経験した。破壊的であることに間違いはなく、泥も石も樹木も流域を削るがこれに比べれば”清流”。何時も水が流れるからこそ土砂も少ししか溜まらず被害は限定的。

 フォル江の、朱西道から河口までを”濁流”が通過した際の破壊力は想像もつかない。山一つ流れ出すと言っていいだろう。山一つ?

 要救助者を発見する度にどうしようかと思い、それが表情に出るとシゲヒロが説教する。

「金蓮見ろ、どうみても救いたくなる人がいるが、俺達がやろうとしていることはあんな一人をいちいち救い上げることじゃない。人龍とは言っても体力にも方術の……なんだ、術力? 行使限界もある。せめて人目に付かないように見捨てながら情報を集めて救助隊に教えるんだ。いいな?」

「うるさい! 分かってる!」


■■■


 龍朝は敵だと知らされている西克軍へ、頭の中の新しい地図をその場で描いて提供して回った。日々時々内容が更新されるので手元に覚え書きなどしていない。筆を動かすのも筆記用具を持ち歩くのも無駄なので記憶している。

 情報交換を続けていると高地の調査程、手が回っていないという当たり前のことが理解出来てくる。

 やはり懸念は大洪水。それも、毎年形成されては春も過ぎると崩落する氷河の状態が知りたいという西克軍の要請が聞こえて来る。

 まだまだ冠雪している高地山中。例年通りなら一塊になっている氷河は、川に水を流して少しずつ痩せていくのだが、今は砕けて谷を埋めている。崖を覆う氷柱の壁もほとんど落ちている。

 氷雪の解ける速度は表面積に影響する。砕けている程に表面は複雑に広くなり、大量の太陽光を浴びる。流水を浴びても同様。つまり雪解け時期を迎えると例年より一気に流れ出す。それが埋まった谷底を避け、川になった道へ行く。

 震源地に近づく程に氷塊の砕け方が顕著。地形と距離によっては何の影響も無い。真っ先に氷河由来の増水を迎える位置は特定可能。

 どこから破局を迎えそうなのかが分かれば優先順位が分かる。低地で行う緊急遊水路工事の順番がある程度は分かるのだ。

 危険な氷河の大きさをシゲヒロの歩幅で数えるという雑な新地図を作る中で、余震が訪れて雪崩が多発する。新たな氷河が砕ける音も遠雷のように聞こえて来る。砕けながらもまだ滞留していた氷水が流れ出す様子も見えた。

「見ろ」

「え?」

「飛竜、帝国連邦の航空偵察だ。北からだからベーアの前線から来たんじゃないか? 早いな、流石はスライフィールの飛び蜥蜴。奴等に伝えれば司令部まですぐだ。協力させよう」

 シゲヒロが両手を飛竜に向かって振る。

 かつてヒチャト回廊を満水にして大洪水を起こそうと画策していた奴等。

 中原を差配する者はもう、あの、あいつらなのか?

 龍人兵、霊獣、全て使えれば……。

 お母様をあそこで殺していれば? 白面龍王を利用して……。

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― 新着の感想 ―
黒龍公主の考えの流れを想定しますと、 龍帝を乗っ取る為にで卵になっていたせいでその間の外の事わからず、 卵から孵ってすぐに龍帝を乗っ取ったら、なぜかベルリクがツェンリーの案内でやって来た。 思わず反射…
滑稽な飾り付けのなされた情けない宝城の姿を権威マンのセジンが見たら憤死しそうw責任者がセジンだとしたらコレを止めるんだろうか? やっぱり人が住み着かない土地には曰くがあるもんですねぇ 白面のビーム描写…
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