32
ネロの全身が赤い鱗で覆われ、膨れ上がるようにして巨大化する。頭は七つに分かれて竜になる。角が合計で十本も生え、それぞれ冠を被っていた。
赤い多頭竜となったネロの胴体に、純子の腹部から飛び出た内臓が直撃し、全身を覆うようにして広がっていく。
「ねね、あれが純子の必殺技?」
「ああ……」
正美が顔をしかめて尋ねると、真は頭の中で正美と似たような表情を思い浮かべて頷く。
「グロすぎる」
「何故あれを必殺技にしようと思ったか、そのセンスが問われる」
伽耶と麻耶も引き気味になっていた。
「聖書に出てくる黙示録の獣だ。神を冒涜する名とか、獣の数字とかは見えないけど」
「サタンの化身とされる解釈もあるな。神の使途を名乗る者達が、天使の軍勢と戦って負けた者の姿になるとは皮肉な」
変身したネロの姿を見て、来夢とエンジェルが言った。
「七つの頭は、キリストを迫害する七人のローマ皇帝の象徴」
腹から延々と肉と臓物と血管その他を増殖して噴き出しながら、純子が赤い多頭竜を見据えて呟く。耳のいい純子は、戦いの最中で来夢とエンジェルの声も聞こえていた。
神蝕の臓物群が、ネロの体を蝕んでいく。体表を突き破り、体内へと入っていく。細胞組織を浸蝕していく。消化液で溶かしていく。純子の血液をネロの血液に混ぜていく。骨が臓腑を貫いていく。筋線維が筋線維を引きちぎっていく。
「ゴォオォォオォォォォォ!」
ネロの七つの口が開き、咆哮が轟いた。
声は物理的な力に変換され、ネロの体を蝕む純子の臓器と肉と体液と骨が、体内より一気に排出される。そして排出されるや否や、粉微塵になって吹き飛ぶ。
(ネロさんはO型かー。これならいけるね)
ネロの体内に自分の血肉を入れた際、純子はネロの血液型を調べていた。その結果を知り、ほくそ笑む。
純子の腹から溢れる神蝕の増殖の勢いは止まらない。今度はネロの周囲を取り巻き、楕円形の球体となってネロを包み込む。
「ゴッ!」
七つの口が再び咆哮をあげようとしたが、出来なかった。ネロの全身が膨大な体積の肉で包まれ、強烈な圧迫を受ける。
ネロは力を振り絞り、七つの首を、前脚と後ろ脚を大きく振る。さらに念動力を用いて、それでも足りないと見るや衝撃波を全身から発して、神蝕の圧迫を何とか振り払った。肉が、臓物が、血が、筋線維が、骨が、血管が、ばらばらになって四方八方に飛び散る。
肉体に受けたダメージもすぐに再生する。体内に残った純子の肉や臓物も吐き出す。
しかしこの時、ネロは自身の体の異変に気付いていなかった。
「グゥゥゥゥゥゥッ!」
ネロの七つの口がすぼまり、息を吸い込むような音が響き渡る。いや、実際吸い込んでいる。
何かをしてくると見なして、純子は攻撃が来る瞬間に転移して避けようと、身構える。
「フゥ!」
ネロの七つの頭が上を向き、息を吐く。その息を吐く音が、力に転換される。
純子は転移してネロの背後へと回った。
転移した直後、純子は頭部に強い衝撃を受け、前のめりに倒れた。
ギャラリーが息を飲む。不可視の力が上から降り注ぎ、純子の頭を穿ち抜いていた。攻撃範囲は狭いが、常人であれば即死するダメージだ。頭に直径10センチ以上の穴が開き、深さは不明だが、明らかに脳に達している
倒れた純子は、頭から大量の血と脳漿を吹き出しているだけでなく、衝撃で左の眼球も飛び出し、地面に転がっていた。
「ウッゴォオオォオ!」
ネロの咆哮が空間を震わせる。誇張ではない。空間そのものを震わせ、空間操作を封じる術をかけていた。これからとどめをさすつもりでいる。その際、純子が転移等の空間操作を用いて逃げられなくするために。
破損した人工魔眼の濁った赤い瞳と、真の視線が合う。
純子は顔を上げて微笑んだ。目から落ちた人工魔眼はまだ機能していた。見えていた。自分の瞳を見る真と目が合ってしまって、それを見てしまって、それがひどく嬉しくて、微笑が零れた。
そして純子にとって、さらに嬉しいことが起こった。
「純子――」
真の唇が、微かに動いた。とてもとても小さな小さな呟きであったが、純子の優れた聴力が確かに聞き取った。
(君の声を聞いて、私の名が君の口から呼ばれて、凄く力が湧いてきちゃうよ。おかげで奥の手も躊躇わずに使える)
純子が笑顔のまま、ゆっくりと身を起こす。笑顔は血塗れだった。頭に開いた穴から脳みそが零れ落ちて、笑顔の半分が脳みそで隠れた。いや――
頭の穴から脳みそが零れ続けている。溢れ続けている。神蝕で脳をも増殖し続けている。
「お、終わりだ……シェムハザ……」
半泣きの震える声でネロが告げると、七つの口が大きく開く。
「すまんこ。ここで終わらせる気は無いんだよねー」
いつもの調子で言うと、純子の頭から溢れ出る脳みその増殖速度が増し、ネロめがけて一直線に伸びた。
「ウガアァアァァァァ!」
ネロが咆哮する。声は純子を破壊し尽す力へと即座に変える。
「悪魔の偽証罪」
純子が微笑を張り付かせたまま呟く。
「ガッ……」
猛烈な気持ち悪さを感じて、ネロの咆哮が途中で止まった。
吐き気と眩暈と倦怠感。さらには体中がシェイクされているようなおぞましい感覚。これまで感じた事の無い苦痛。
先程の神蝕によるダメージは、すでにあらかた癒えている。再生能力を持つネロの行動の妨げにはならない。しかし純子はすでに仕掛けていた。神蝕の際に、ネロの体内に自分の血肉を侵入させていた。
ネロは再生の際に、体内に侵入した純子の神蝕の肉や臓器も吐き出していたが、全てを吐き出しきったわけでもない。血や体液はかなり残っていた。
異なる血液型の血液を無理矢理体内に大量に混ぜればどうなるか? AB型の人間は全ての血液を受血でき、A型とB型はО型の人の血液も輸血可能という問題もあるが、それ以外の組み合わせの場合、抗原と抗体による違いと有無の問題で、赤血球同士が凝縮しあい、大量の赤血球が破壊される。
純子はA型、ネロはO型だったため、この赤血球破壊も行われたが、強力な再生能力を持つネロは、赤血球が新たに大量増殖された。よって、問題は無いと思われた。
しかし純子は、血液型が異なる事実を知り、ある仕掛けを施した。ネロの体内に混ぜた血を、ネロの肉体に異物として判断させないようにカモフラージュし、血管の中に大量に残しておいたのだ。具体的に言うと、ネロの赤血球とくっついて凝縮しないよう、操作した。そうすることで排出できないようにした。
そしてもう一つの仕掛けを行った。世界の法則を少しだけ書き換える、究極運命操作術――悪魔の偽証罪によって、強力な再生能力が機能した際に、肉体の中に他人の血液が混じっていた場合、他人の血液までもが分裂増殖し続けてしまい、体内の赤血球を破壊し続けるようにと、法則を書き換えた。
悪魔の偽証罪は極めてデリケートな能力だ。運命操作術自体、何でも自由に操作できるわけではなく、発動するために土台を築いておく必要がある。トスを打っておかないといけない。お膳立てを整えておかねばならない。それによって成功率が異なる。
今回は純子が用いた世界法則改変は、お膳立てがろくに整っていないので、非常に限定的な条件に留めた。しかしそれでも、ネロに勝つには十分だった。
ネロの姿が人のそれに戻る。大の字になって息も絶え絶えだ。
純子はネロの体から自分の血液を排出させた。ネロは赤血球を破壊し続けられ、その再生に力を消費し続け、それによって純子の血液も増殖し続け、悪循環のうちに力を消耗し尽した。さらに言うと、ネロが赤い竜になった際、その反動でネロは当分動けなくなる。
「千年越しだな……」
倒れた自分を見下ろす、血塗れの純子を見上げ、ネロは力なく微笑んだ。
「さあ……殺してくれて構わんぞ」
「言語は違うけど、千年前にも似たような台詞、言ってなかった?」
左目が空洞になった純子が微笑み返し、顔に垂れている脳みそを手で頭の中へと押し込む。
「俺は君に殺されたかった。さ、最期は……君に殺されるのが理想だった」
「そんな切ないことは言わないでよー。私はもうさ、ネロさんのこと全然恨んでないから」
純子がそう言って、ネロの近くでしゃがみ、ネロの右手を取って軽く握る。
「んん?」
純子が怪訝な声をあげた。真が目の前にやってきてかがみ、純子と同じように、ネロの左手に自分の両手をそっと置いてみせた。
「何か妬けるから、僕も」
「そ、そうなんだ……」
真顔で口にした真の台詞を聞いて、純子は苦笑いを浮かべた。
「俺とテオがフリードマン教授を見送った時のような……」
倒れたネロを両サイドから手を握る真と純子を見て、熱次郎が呟く。
「やめてくれ。君は……君は俺を助けるな。俺はかつて君の命を奪ったのだぞ」
ネロが真の方を見上げて、震える声で拒む。
「前世のことなんかどうでもいい。あんたは負い目に感じているのかもしれないが、僕には何の感情も無い。そもそも千年も昔のことなんだぞ」
「千年前の事だろうと……お、俺は、お、覚えている……。あの子の前で、君を殺した……」
「知ってるよ。その記憶は見た。それでも僕はあんたを恨まないし、恨むはずがない。もう、ずっと大昔のことだし、あんたはその時は敵だったんだから仕方ない。でも今はもう敵じゃない」
真はいつものような淡々とした口振りではなく、柔らかい口調で話していた。真がこんな喋り方を出来たのかと、何人か驚いていた。
「そんなことより、あんたが千年も前のことを未だに引きずっている事の方が、よっぽど気がかりだよ。僕も雪岡も、あんたを恨んでいないし、気に病まないでほしい。死んでほしくもない。都市を一つ壊滅させるような恐ろしいこともしてほしくない」
真の言葉を聞き、ネロの目頭が熱くなる。
「な、何だこれは……。主よ、こ、この巡りあわせは皮肉すぎるぞ……」
嗚咽を漏らすネロ。双眸から涙が零れ落ちる。
「負い目があるなら、恩義を感じるなら、僕に協力してくれないか? 僕は雪岡をマッドサイエンティストではなくさせるために、相対しているんだ。その手伝いをしてくれよ」
(ふえぇ~……真兄、誰彼構わず節操無く引きこみすぎだよォ~)
真と精神をリンクさせているみどりが、念話で真に突っ込んだ。
「真君さあ……私がいる目の前で、堂々とネロさんを勧誘するの?」
「何か悪いか?」
再び苦笑いを浮かべる純子に、悪びれずに問い返す真。
「俺にも……な涙が残っていたようだ」
「あははは、いいなあ。ネロさん」
ネロが泣きながら純子を見上げて微笑むと、純子は笑って羨んだ。
「シェムハザ。き、きっと君にも戻る。その子が、君の涙を戻してくれる」
ネロが純子に向かって告げると、真の方を向く。
「し、真、すまんが……俺はその手伝いはできない。シェムハザとは、もうこれ以上……相対もしないからな……」
「わかった」
真が一瞬微笑を零して頷いた。
「だが……応援している。きっと君の勝利が、シェムハザの……純子の幸せにも繋がるはずだ。が、頑張れよ。真」
「ええ~……ネロさん、そんなこと言っちゃうんだあ……。何だかなあ」
ネロが自分ではなく真の方を応援している事と、その理由を目の前で、そして大勢の見ている前で口に出されて、純子は照れ臭さと同時に、一言では言い表せない、色々と複雑な感情が渦巻いていた。




