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フォルクハルト・ワグナーが、ドイツで最高最悪のマッドサイエンティストと呼ばれるようになった理由は、全てクローン製造が起因する。
三十年近く前、家に隕石が落下して、妻、娘とその夫、息子、孫の五人を同時に失った彼は、理不尽な運命を呪い、禁忌に手を染めた。
ワグナーの所業が発覚したのは、十年前の話だ。すでにその時彼は、世界中の地下組織や富豪相手に、クローン製造販売を行うに至っていた。その事実が明るみになり、ワグナーは国際指名手配されるに至る。
「私に賛同する者は多い。クローンを求める者は多い。私は間違っていないはずです」
当時、冥界や霊や輪廻転生を実証したとして、話題となっていた化学者、アイザック・フリードマンを前にして、ワグナーは語る。クローン製作にあたって、ワグナーはフリードマンの協力を得ていた。彼の力がなければ、クローンの記憶移植は成り立たなかった。
「間違っている、間違っていない。そんな基準を設けたいか? 線引きが必要か? その時点で傲慢と言えるな。それとも君は、自分が安心したいがために、普遍の判断基準を欲しているのかね?」
フリードマンはどこか呆れたような口調で問いかける。
「昔の偉人も言っている。その道を危ぶむなかれ、迷わず行けよ、行けばわかるさ――と。まさに我々研究者に相応しい言葉だよ」
「研究者のみならず、全てに通ずる言葉ですね」
「その通り。故に己が道を進む。まだ見えぬ先を見るために進む」
進み続けた結果、フリードマンは、霊界や輪廻転生の存在の実証という偉業に至ったのだろうと、ワグナーはこれ以上の無い説得力を感じた。
しかしその後ワグナーは、フリードマンの死を純子から直接聞かされた。それもまた、進み続けたことがもたらした結果だ。
***
悶仁郎がワグナーを市庁舎に呼び出し、ワグナーもこれに応えた。
応接室には美香と熱次郎と悶仁郎が残り、クローンズは別室で待機する事になった。しかし会話は電話を通して、リアルタイムで聞こえるようにする。
やがてワグナーが応接室に訪れると、美香と悶仁郎の姿を見て、皮肉っぽく微笑んだ。
「おやおや、月那美香さんは市長殿と懇意でしたか」
「そういうわけではない!」
「一緒におっただけで、然様な猜疑をかけるとは、些か敏感な御仁よのう」
「そうでしたね。考えすぎでした」
両者が元々結託していたと勘繰ったワグナーであったが、二人の言葉を聞いて、自分が疑いすぎていたと認める。
「今いるクローン、作りかけのクローンの命とその後の生活は保障するとして、これ以上のクローン生産は中止していただきたい! それが私の要求だ!」
「で、市長殿もこちらのお嬢さんに賛同していらっしゃるので?」
美香が叫ぶと、ワグナーが悶仁郎に伺う。
「そうではあるが、其処許の不服も理解しておるよ。拙者はあえて中立の立場に身を置くとしよう。其処許とて、二人がかりではかなわんじゃろ? 両者の言い分を一方的に受け入れるという事は出来まいて。双方が折り合いできるぽいんとを見つける事が要であろう」
「一切の妥協を認められないと言ったら?」
「先にそのようなことを口にした方が、完全に切り捨てられると心得よ」
ワグナーの確認に対し、悶仁郎は目を細め、普段より低い声で答えた。
「先に無理の有りすぎる横暴極まりない要求をした方が、有利ではないですか? おっと、この意味はわかりますか?」
美香の方を見て尋ねるワグナー。
「わかる!」
美香が叫ぶ。通りそうにない大きな要求を基準にして、そこから引き算していく形にされては、先に要求をぶつける方が、ある意味交渉の主導権を握れる。
「中止しろという要求が、すでにそれに相応しますね。ここからは私ではなく、月那さんがどこまで歩み寄れるかの問題となります」
「逆ではないのか!?」
「いいえ、貴女が先に引き算をして決めてください。その後でさらに私が引き算をしましょう」
「最大限譲歩した要望がこれだ!」
穏やかに告げるワグナーに、美香が苛立ちを込めて叫ぶ。
「クローン製作と販売を辞めたくはありません。そのつもりはありません」
「平行線で交渉も糞も無いな!」
きっぱりと告げるワグナーと、吐き捨てる美香。
「君は話し合うつもりで来たようには見えませんね。ただ突っぱねるためだけに来たかのようです。それとも私を暗殺しに来たのですかな?」
美香を見て、呆れ気味に言い放つワグナー。
「俺は話し合いに来たつもりだぞ」
熱次郎が口を出す。
「クローン製作が絶対悪だとは、俺は言いたくない。考えたくも無い。作った側にどんな意図があるかはさておき、クローン製作技術とその意思があったからこそ、俺は生まれたんだ。だから俺は完全否定はしない。ワグナー教授の事も否定はしたくない。あんたの事も色々と調べさせてもらったうえで、そう思う」
「ふむ……。では君は良い落し所を考えてこの場に臨んだのですか?」
「クローン販売に厳密な審査を設けて、極めて限定的に販売を許可するんだ。条件を絞ったうえで限定的にしてみてもいい」
「何だと……!」
「話になりませんね」
熱次郎の提案を聞き、美香は眉をひそめ、ワグナーは一笑に付した。
「私はこの転烙市に来るまでの間にも、長年クローンを作り続け、売り続けていますよ。私が求めるのは自由な販売です」
「あんたも美香のことを笑えないな。その自由な販売を諦めない限り、話は進まない。審査をするのは、ここにいる全員と、美香のクローン達――ツクナミカーズだ。販売者の希望を聞いて、全員が納得した者だけに販売する形だ。失った家族や恋人の代わりといった事情だ。テスト期間を設けるなど、慎重にな」
あくまで突っぱねる構えのワグナーに、熱次郎が真摯な口調で語る。
「それはどう考えても物凄く大変だぞ! 希望者の数次第では、その審査だけに忙殺されてしまいかねん!」
熱次郎の提案に横槍を入れる美香。
「うるさいな……。ぎゃーぎゃーと……。美香は一体何しに来たんだよ? ヒステリックに喚いてばかりのクレーマーみたいだぞ」
「ぐ……すまない……」
いい加減頭に来た熱次郎が険悪な声を発すると、美香は少し頭を冷やして謝罪した。
「それは私の理想とは違いますね」
「理想とは何だ! クローンを制限なく作って悲劇を量産したいのか!? 熱次郎の……むぐぐぐ……何を……」
「美香はもう喋らないでくれ」
また叫び出した美香の両頬を掌でぎゅーっと押し潰す熱次郎。
「あんた、アイザック・フリードマン教授とも親交があったらしいな」
熱次郎からフリードマンの名を出され、ワグナーは意外そうな顔になる。
「美香達がかつて依頼を受けた人だ。その際に、彼は命を落とした。俺はフリードマンの死を看取った。そして俺が彼の研究を引き継いでいる」
話ながら熱次郎は、息を引き取る前のフリードマンの手を握っていた事を思い出していた。
「うちの二号がフリードマンに命を救われた」
美香がぽつりと告げる。
「そうですか。しかしそれが何だと?」
「あんたも俺も同じだ。フリードマン教授も、純子もな。そういう意味でも、あんたの事を全て否定したいわけじゃない。しかし……あんたはラインを大きく越えようとしている。フリードマンでさえ踏み越えなかった領域から、出ようとしている。俺や美香や市長が例え見逃したとしても、見逃さない勢力がきっと出てきて否定する。食い止めようとする。それは間違いない。おおっぴらにクローンの自由な製造販売なんて、どう考えてもやりすぎなんだよ。絶対に破綻する。最悪、あんたは殺されるだろうさ。ここでセーブしておいた方が得策だろう? それなら俺達も何も言わないし、市長もきっと協力だってするだろう。純子もな」
熱次郎の説得を受け、ワグナーは押し黙った。目線を外し、思案している。
「いつまでそこでこっそり盗み聞きしておるのかね」
しばらくしてから、悶仁郎が扉の方を見て声をかけた。皆の注目が扉に向く。
「すまんこ。盗み聞きする気じゃなかったけど、入るタイミングわからなくてさ」
扉が開き、純子が入ってくる。
「正直、クローンどころじゃないことがこれから起こるし、クローンの製造販売も認可していいかと思っていたんだけど、こっち陣営から反発も出ているし、熱次郎君の案で妥結するのがいいかなあと思うんだけど、どうだろ?」
「クローンどころじゃないことだと!?」
「美香は黙ってろって……」
純子の台詞に反応した美香を、熱次郎が制する。
「わかりました。完全に取りやめにするのではなく、この子の条件付きで飲みましょう」
大きく息を吐き、ワグナーはとうとう折れた。美香は大きく息を吐く。
「純子、後押ししてくれてありがとう」
「いえいえー」
熱次郎が純子を見上げて嬉しそうに微笑み、純子も微笑み返す。
「熱次郎、すまなかった! ノープランで来たのが間違いだった! 行けばその場でどうにかなるだろうと思って!」
美香が熱次郎に向かって両手を合わせて謝罪する。
「ああ、ノープランじゃなきゃ、あんなお粗末なやり取りにならないだろうさ……」
「ぐっ……! 返す言葉も無い……!」
苦笑いと共に言い放つ熱次郎に、美香はうなだれて唸った。




