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雪岡研究所は新設されて間もないが、その主はいない。
およそ半年前――覚醒記念日のすぐ後に、雪岡純子は姿を消した。雫野累と共に。他の住人に何も言い残すことなく、黙って出て行った。
その後は、青ニート君と赤城毅と脳だけの教授等で、研究所の施設の管理を行っている。相沢真と雫野みどりも一応は研究所で寝食を共にしている。生首鉢植え少女のせつなも。
「純子おねーちゃんと累おにーちゃん、ずっと帰ってこないね……」
真がせつなの鉢植えに水を撒いていると、せつながうつむき加減になって、切ない声を発する。
かつてせつなの世話は累がしていたが、いなくなってからは研究所の住人が交代で行っていた。
「いつかは帰ってくる」
「それずっと言ってるけど、ずっと帰ってこないヨ?」
せつなが顔を上げ、悲しげな顔で訴える。
「あいつは千年、僕との再会を待っていた。僕はたった半年だ」
「そういう問題じゃないしっ、真おにーちゃんだけの問題じゃないヨっ」
真の台詞に頬を膨らませるせつな。
「へーい、せつなちゃんさァ、一番寂しいのは真兄なんだから、その真兄の前でそんなこと言っちゃ駄目だぜィ」
みどりが茶化す。真は反論することもなかった。ここでむきになって反論しても格好がつかない。
「わかってるけど……何で二人共何も言わずに出て行っちゃって、連絡もくれないの……? ひどいヨ」
「何度も言ってるだろう。もう敵だからだ。僕の敵になったという、あいつらの意思表示だ」
「真兄……言葉選べ。いや、この子の前で言うなって」
真の物言いにカチンときて、みどりが咎める。
「そっか……。じゃあ……じゃあせつなも純子おねーちゃんと累おにーちゃんにつくっ! 真おにーちゃんは敵だヨっ! かかってこいコノヤローっ!」
せつなも頭にきて、真を睨みつけて威勢よく啖呵を切る。
「ぎゃーっ!」
「やめれって真兄」
じょうろの注ぎ口を垂直に立てて、無言で何度もせつなの額を打ち付ける真。せつなは悲鳴をあげ、みどりが真からじょうろを取り上げた。
「ふぇ~……純姉達もさァ、何も言わず出ていって、連絡も遮断しちゃうなんて、本当はそんなことしたくなかったと、みどりは思うんだよね。真兄が意思表示だと言った通り、覚悟の現れなんじゃね」
「ああ、だから尊重する。しっかりとやっつけて更生させてやるさ」
みどりが考えを述べると、真はいつになく熱を込めた声で宣言した。
「でも全然動きないし、これからどうするん?」
みどりが尋ねる。どちらかというと、真の動きの無さが、みどりには気になった。純子達の動きは見えないが、何かしら動いていることは間違いない。しかし真は、PO対策機構で働く以外に、これといったアクションを起こしていない。
「今までは流れに任せていたけど、少し落ち着いてきた感もあるし、裏通りを動かして、西に踏みこんでみるつもりだ。雪岡達はあっちにいる気がする。無法地帯化した日本西部は、雪岡にすれば動きやすい土地だろう」
「完全無法地帯って言えるのは、近畿のぽっくり市と九州の転烙市くらいで、他はそんな荒廃したヒャッハーな世界でも無いって聞いたけどォ~? つーかどっちも噂だけで、実際どうなってんのか、誰も知らないけど」
「でもサイキック・オフェンダーのやりたい放題で、取り締まられることも無いらしい。東のように自警団が組織されても、すぐに潰されてしまう。転烙市とぽっくり市は、情報が外に出ないような仕掛けを、都市全域に施されているという噂もある」
その噂は本当だろうと、真は見ている。情報の痕跡を見た限りは可能性が高い。
「自警団……。ゲリラ……。抗う無力なゲリラのリーダーは勇ましい女性戦士がいいと、せつなは思う~」
「ふわあ~、昔の映画でよくある奴だわさ」
せつなが少し機嫌を直して口を挟み、みどりがせつなの頭を撫でる。
「PO対策機構を作り上げ、組織として育てるにも時間を要した。裏通り以外の勢力も引き入れ、まとめあげるのもわりと面倒だった。雪岡に対抗するために、こいつらを上手いこと利用する。さっさと動かしたかったが、そう思い通りになるわけでもない」
「PO対策機構は真兄が作ったわけじゃないべ。それにPO対策機構は裏通りの住人だけじゃないし、真兄の思い通りに動くわけでもないし、やりすぎちゃう可能性もあるよォ~」
「それは僕が上手いこと制御するつもりでいる」
「つもりでいる、ねえ……。純姉を狙っている勢力は他にもあるんだよォ~? ヨブの報酬とかさァ。全然動いていないスノーフレーク・ソサエティーとかも怪しいしさァ。真兄本当にしっかりプラン立ててるん?」
懐疑的な視線を向け、立て続けに突っ込むみどりであったが、真はいささかも動じない。
「雪岡が言ってただろう? ガチガチのプランを立てるより、多少は穴がある方がいいって。僕も同じやり方でいく。それに関しては僕も雪岡に同意しているし」
対策を万全にしたつもりでも、どこかに穴は生じる。ガチガチに固めれば固めるほど、崩れた時に失うものが大きい。それなら最初から壊れてもいい程度で臨んだ方がいい。それが純子の方針であり、真もそれに倣っている。
「てか、ここでこんな会話していいのォ~? 純姉が部屋に盗聴器仕掛けてるって可能性はないのかな?」
みどりが疑問を口にした。
「昔散々やられたよ。服や部屋に仕掛けられるどころか、知らないうちに体内に埋め込まれていた。ひどい時には一ヶ月に十七個もな。それで一カ月おきに病院に行って摘出してもらったりしたけれど、限度が無くてしつこすぎるんで、盗聴器しかけるのだけはやめるように僕の方から言ったら、ピタリとやめた」
「ふーん、それ聞き入れて一切やらなくなったのは純姉らしいけれど、お願いすれば聞いてくれるんだぁ~」
「あまりにしつこかったというか、対処する僕からしたら、ほとんど嫌がらせされているに等しかったしな。流石に向こうも理解したというか、言う前に理解してほしかったが……」
その純子とのやり取りを思い出し、無性に懐かしくなり、今すぐに会いたいと感じる真。
(そもそも僕の心がお前に筒抜けなんだよな。この気持ちも……)
(それを織り込み済みで契約したのは真兄だぜィ)
真の感情も思考も、みどりとリンクしていることを意識して、真は心の中で溜息をつく自分を思い描いた。
***
山駄凡美は自分に優しくしてくれた人間を、ほとんど知らない。心を開くことが出来た人間は、片手で数えるほどしかない。一人は叔母、一人は夫となった男、一人は息子の凡助、そして最後の一人は、今行動を共にしている原山勤一。
両親は不仲であり、凡美にも愛情を向けなかった。ほぼ無関心だった。そんな両親のようになりたくなかったために、結婚した夫と仲良くしようと努力したが、愛情が重たすぎるなどと言い残し、夫は出て行った。
残された息子の凡助には惜しみなく愛情を注いでいたが、結局凡助のことを何も知らなかったと、凡美は思い知ることになる。母親を心配させまいと、いじめられていた事も一切打ち明けなかった凡助。事実は凡助が死んだ後に知る事になる。
目の前で偶然息子が殺される場面を見た凡美は、その後、息子をいじめていた者達の名を調べ上げると、いじめっ子達の家族を全員嬲り殺しにしておいた。
「私の子を散々いじめた悪い子を作り上げたあんた達が、悪でないわけがない。責任が無いわけがない。同罪よ。死刑よ。地獄に落ちろ」
全ての家族の前でそう言って、苦痛と恐怖をたっぷり味合わせてから殺してやった。凡美にすれば、復讐は虚しいものではなかった。復讐を遂げて、かなり気持ちが楽になった。しかし完全に心が癒えたわけでもなく、恨みも怒りも消えない。
凡美自身も職場で、日頃からひどいいじめにあっていた。この世界は、弱い者をいじめるように出来ている。その一方で、そんな自分に天は味方した。力を授けてくれた。職場のハラスメント上司とその家族も、しっかりと嬲り殺して復讐しておいた。
弱さを見せれば、世界はいじめてくる。痛めつけてくる。罵ってくる。マウントを取ってくる。世界はそのように邪悪なのだ。だから力を得て復讐することに、何のやましさも感じない。正当な権利を行使したに過ぎない。
世界は敵だと凡美は認識する。少なくとも自分にとってはそうだ。優しくしてくれた者もいた。しかし今は全てが自分の敵としか思えない。
「世界は敵だ。全部……俺の敵だ」
そんな凡美の前に、自分と似たような考えの青年が現れ、自分を睨みつけながら吐き捨てた。原山勤一だった。
敵意と怒りに歪んだ彼の表情には、同時に底知れぬ悲しみが見受けられた。
(ああ……そうか。この人も同じ……)
胸が、目頭が熱くなる。この時自分はどんな表情をしていたのだろうと、後になって凡美は思う。何故なら勤一は自分の顔を見て、怒りかに戸惑いの表情に変わっていたからだ。
「奇遇ね。私もそう思っていたの。ずっとそう思っているの……」
微笑を零し、凡美は言った。
「だけどね。全てが敵でもないんじゃない? 私は考えを変えたわ」
それから両者は会話を続けて、やがて打ち解けた。凡美は自分のこれまでの境遇を全て語った。
一方で勤一は、この時点においては、自分のこれまでの経緯を一切語ろうとはしなかった。




