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襲撃者達は糸が切れた人形のように、一斉に崩れ落ちた。
「あのガキンチョがやりやがったか?」
「それ以外に考えられません」
リュカが伺うと、嘘鼠の魔法使いは微笑をたたえ、確信を込めて言い切った。
その嘘鼠の魔法使いの笑みが消え、表情が強張る。満身創痍で血塗れのシェムハザが、ふらふらと歩いてきたからだ。
「マスター……ただいま……んこ……」
今にも倒れそうな有様で微笑むシェムハザ。嘘鼠の魔法使いが駆け寄り、弟子の体を抱きとめる。
「酷くやられたなあ」
ウィルが眉をひそめる。
「よく頑張りました。偉いですよ。どうしました?」
嘘鼠の魔法使いが称賛と共に微笑みかけたが、シェムハザが虚脱した表情で涙をこぼしたので、怪訝な顔になって尋ねる。
「マスター……私、覚えてない。戦っていた記憶はあるし、やっつけたことは覚えているのに……誰と戦っていたのか、覚えてないの……。凄く大事なことを忘れちゃって……でも、楽しい気持ちと悲しい気持ちだけ残っていて……」
シェムハザの言葉を聞き、嘘鼠の魔法使いは昔自分にも似たような体験があったことを思いだす。
(忘却の力……。かつて私もかけられましたね。そうですか。私の記憶を操作したのは悪魔でしたか)
悪魔は果たして死んだのか、それとも逃げただけなのか、これではわからない。わざわざ忘却の力を使うのであれば、逃げたと考えるのが普通だ。しかしシェムハザが泣いている理由は、悪魔が死んだからではないかとも考えられる。
「山中に逃げましょう」
嘘鼠の魔法使いの決定に、リュカもウィルも驚いた。
「おいおい、山の中は途中で道が途切れてるし、馬車を捨てることになるぞ。そうなったらその先は逃げきれないぜ」
「馬車は捨てません。しばらく山中に潜伏した後、頃合いを見て入れ違いでの脱出を図ります」
「監視はどうするんだ?」
「監視者は肉眼で監視しています。それを振り切るためにも山中に潜むのです」
「だから……馬車ごと山中に潜む方法があるのかよ」
苛立ちを覚え、語気が強くなるリュカ。
「秘密の部屋に隠します。とっておきの術があります。次元が一つずれた異なる空間――亜空間を作る術です」
「そこにずっと隠れているというわけにはいかないんだ?」
ウィルが尋ねる。
「それが出来ればとっくにやっていますよ。空間操作術は最近になって高位の術師の間で研究され出したばかりの術で、色々と不安定なうえに、難解で、限られた高価な触媒を要しますので」
もっと術師達の間で研究が進めば、触媒無しで長時間、広範囲の亜空間も作れるようになるだろうと、嘘鼠の魔法使いは見ている。しかし今は限られた時間と範囲でしか作れない。
「ここぞという時に取っておきました。触媒の都合上、使えるのは三回までです。山の中に入れば、追っ手の視界から外れるポイントはいくらでもあるでしょうから、その隙を狙って亜空間トンネルに入りましょう」
「上手くいけばいいけどな」
リュカは嫌な予感が拭えず、どうにも気乗りしなかった。
その後、一行は町の裏手から、馬車で山中に入る。シェムハザは嘘鼠の魔法使いにもたれかかって寝ている。
「シェムハザは大丈夫なの?」
「深刻なダメージは無さそうです。しかし戦うことは無理でしょうね」
御者席のウィルが案じると、嘘鼠の魔法使いが答えた。
「追っ手は?」
「付かず離れずで来ているようだぜ。ぶっ殺してやりてーけど、こっちから近付けば逃げちまうだろ」
ウィルが尋ねると、使い魔を飛ばして後方をチェックしていたリュカが答える。
「止めてください」
しばらく歩いた所で、嘘鼠の魔法使いが御者席のウィルに告げた。
「そろそろ良いタイミングです。亜空間を生み出します」
嘘鼠の魔法使いには馬車から降りて、馬車の前方へと移動すると、縄で編んだ人形のような触媒を取り出し、呪文を唱える。
前方の空間が歪みだしたので、ウィルはぎょっとする。様々な超常の力を見てきた彼だが、空間を歪ませる力など初めて見た。
「さあ、馬車でこの中へはいってください」
嘘鼠の魔法使いに促され、亜空間トンネルに馬車を進める。
「景色の色が少し違ってる」
山中の草木を見やりながらウィルが不思議そうに言った。しかも馬車は草木をすり抜けて進んでいる。
「ここは次元が一つズレた空間です。元の世界をこちらから見ることは出来ますが、外からは見えませんし、干渉も出来ません」
と、嘘鼠の魔法使い。
しばらくすると、後方から馬が走ってきた。ヨブの報酬の偵察役だ。突然馬車が消えてしまったので、大急ぎで確認しに走ってきたのだろう。
「上手くいきましたね」
「にゃははは、追っ手の奴等、俺達を見失ってオロオロしてやがるぜ」
嘘鼠の魔法使いがほくそ笑み、リュカはおかしそうに笑う。
「彼等は使い魔に監視させておきます」
「しばらく移動してからすぐに亜空間の外に出るの? 亜空間トンネルはそれほど長くは作れないんだよね?」
「いいえ。時間を置いてからの方がいいですね。半日……いえ、一日くらいは亜空間に滞在しましょう」
亜空間トンネルを維持しておける時間は一日が限界だ。
「で、亜空間に居れば絶対安全なの?」
「絶対とは言えません。遠視及び透視能力者が居て、空間操作能力者がいない限りは、平気でしょうね。前者は結界で防げます。完全に防げるわけでもありませんが」
ウィルが伺い、嘘鼠の魔法使いが説明する。
「つまり、結界で防げなかったうえで、後者が来た場合は、どうしょうもないと」
「可能性としては極めて低いのですが、有り得なくもないですね」
ウィルの懸念を、嘘鼠の魔法使いは完全に否定はしなかった。
***
ネロとシスターは、多くの手勢を率いて炎鉄の町に到着した。
元も町に居たヨブの報酬の構成員に、戦闘の状況や、市民やヨブの報酬の戦士達が操られていた事も聞く。
「何者の仕業でしょうかねー。私達以外にも、彼等を敵視している者の仕業のようですがー」
「ヨブの報酬の戦士にも手を出した時点で、敵と見なした方がいい」
「報告しますっ」
シスターとネロが喋っていると、馬を走らせて監視役の戦士が二人の前に現れた。
「馬上から失礼。監視対象が山中の森の中で、突然姿を消しました。馬車ごといなくなりました」
報告を聞いて、シスターとネロは顔を見合わせる。
「と、透明になる術か?」
「いえ。多分亜空間に逃げたのでしょうねー」
シスターも空間操作術には多少なりとも精通していた。
「山岳地帯周辺に鳥の使い魔を多数放っていますが、とてもではありませんが、カバーしきれません。全ての場所を監視は困難です」
さらに報告する監視役。
「お、俺ならすぐに逃げない。時間を置いて、て、敵が諦めて去ったことを確認してから、亜空間を出る。諦めて去るまで待たなくても、時間を置く」
「ふーむ」
ネロの考えを聞いて、シスターは思案する。
「亜空間内を移動したとしても、山を通り抜けられるほどの距離の亜空間トンネルを伸ばすなど不可能でしょうしねえ。取り敢えずは彼等を見失った場所に行ってみましょー」
シスターが方針を決定した。
「シスター自らお出に?」
「私は最前線に積極的に出ますよー。私自身も有用な戦力なのですから、出し惜しみするのは損だと思いまーす」
まだ組織に入って日の浅い戦士が訝ると、シスターは微笑みながらそう告げた。シスターのこの方針は、千年先に至るまで変わる事は無かった。
***
亜空間トンネル内を移動する馬車の中で、シェムハザは目を覚ます。
「おい、平気か?」
リュカがシェムハザに声をかける。
「平気だよー。大して痛くないから。まだ元気あるから」
笑みを広げて強がるシェムハザ。
「そんだけ体中傷だらけで平気なわけねーだろ」
「そうですよ。嘘はいけませんよ。シェムハザ。師に嘘をつくなどもってのほかです」
リュカも嘘鼠の魔法使いも呆れる。
「嘘つきはこの世に自分一人でいいのです」
「え?」
嘘鼠の魔法使いのその台詞を聞いて、シェムハザは何故か強い既視感を覚えた。
「おいおい、側に来てるよ」
御者席のウィルが報告する。
三人が馬車の中から幌をめくって外を見ると、すぐ横手の道に、馬に乗った僧服の一段が、亜空間トンネルの中を走る馬車と並走するように走っている姿が見えた。
(ネロさん……)
馬に乗る巨漢を見て、シェムハザは目を剥いた。
(ネロ、それにシスターまでお出ましとはね。どうやらここが……私の……)
ヨブの報酬のリーダーと大幹部の姿を確認して、嘘鼠の魔法使いは死の恐怖に捉われていた。
(嗚呼……やはり駄目なのでしょうか。これでも一生懸命生きるために足掻いてみたつもりですが……)
傍らにいるシェムハザに視線を落とす。
(もちろん最後まで足掻いて戦う所存ではありますが、辛いものです)
シェムハザの肩に手を置く。
「シェムハザ」
そして嘘鼠の魔法使いは、シェムハザの耳元で小さく囁いた。
「何?」
「貴女と過ごせた時間は、私にとってとても素晴らしいものでした」
「え……?」
師匠がこの場面でこのような台詞を口にした事に、シェムハザは底無しの不安を覚えた。
シスターが馬上で呪文を唱える。
亜空間トンネルの扉が開かれる。そして扉から空間がめくれあがり、亜空間トンネルそのものが消滅した。
「バレたよ!」
通常空間に出されたことを知り、ウィルが叫ぶ。
「引きずり出されちまったぞ。よりにもよってシスターとネロが来ていやがるっ」
リュカが名に出した二人を睨み、覚悟を決める。苦しい戦いになることは間違いない。
「お久しぶりでーす。嘘鼠の魔法使い。そしてリュカ」
シスターが馬を止めて、静かに闘志を滾らせながら挨拶する。
「シェ、シェムハザ……」
「ネロさん……」
一方、ネロとシェムハザは互いを見て固まっていた。




