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嘘鼠の魔法使いはこの世界の在り方を呪っている。
幼い日、彼の世界は壊れた。家族を失った。
彼は家族の無事を神に祈ったが、祈りは届かなかった。それどころか、全ての運命が神の導きであるのなら、これは神がもたらした災厄であると受け取った。
その後、嘘鼠の魔法使いは世界を見て回った。様々な人間を見て回った。運命に振り回されて生きながらにして地獄を味わう者を、嫌というほど見た。
この世界に生まれてきた者達は、運命に翻弄されている。力のある者は運命に抗うことも多少は出来るが、その力を得ることも運が良かった者達だけが出来ることだ。
超常の領域にこそ活路があると、運命に立ち向かえると、悪意に満ちた神に歯向かえると、嘘鼠の魔法使いは信じている。
神は世界の理を秘密にしている。しかし人はその秘密を解き明かすことが出来る。魔法という力と、科学という力でもって。
(師匠……私は貴方に倣って、世界の謎を解き続けてきました。しかし世界の謎は途方も無く膨大です。一人で解き明かすのはとても無理です。そして大勢の人間で行おうとも、これまた途方も無い時間がかかります)
机にもたれかかって半分うたた寝しながら、頭の中でかつての師匠に呼び掛ける嘘鼠の魔法使い。
(しかしどのように足掻いても、運命の悪意にはかないませんか?)
力を得てもなお、運命がより巨大な牙を振り下ろしてきたら、どうにもならない。それは承知している。
(そして私は忌まわしい予知の力を使い、私の死期まで知ってしまいました。時間が残されていないのです。どうにもなりません)
それでもなお嘘鼠の魔法使いは諦めていない。彼は自分が死んだ後の希望を見た。
「あの子と、そして来世の自分に託すしかありません。ですが……それも上手くいくかどうか……」
声に出して呟く。シェムハザとの出会いは、会うまでは予知していなかった。今は彼女の未来も多少は見える。
「縁の大収束を……上手く使えば……操れれば……」
人と人の魂は縁で結ばれている。輪廻転生の旅路において、魂は引き寄せ合う。現世の恋人は来世では親子であったり、前世の敵が現世では親友になったりすることもある。
縁で結ばれた人と人の魂が惹かれ合う時、運命は動かされる。人はただ生きているだけで、運命を紡ぐ。人が人と触れ合うことで、世界の理を動かしてしまう。大勢の人間の運命を左右することもある。
縁の大収束は、縁がある魂達が同じ時代に一挙に惹かれ合う現象だ。それは世界各地で頻繁に起こっている。そして大きく運命を動かす。
その運命の作用を知っていれば、運命を味方にすることも可能ではないかと、嘘鼠の魔法使いは期待している。
何十年も費やしてきた、縁の大収束を人工的に起こす秘術の研究。それが成功すれば、あるいは、自分の望みは叶うかもしれないと、嘘鼠の魔法使いは思う。しかし現時点では、術が成功する見込みは薄い。
「どうせ失うなら、この命を触媒にして……」
「マスタ~……何一人でぶつぶつ喋ってんのぉ~……うぃ~」
嘘鼠の魔法使いが自室で机にもたれかかって思索していると、呂律の回らないシェムハザが入ってきた。千鳥足で、顔も赤い。
「ちょっとシェムハザ……」
明らかに酒を飲んで酔っ払っているシェムハザを見て、うたた寝していた嘘鼠の魔法使いは一気に目が覚めた。
「私の目を盗んでお酒を飲むとは……」
「う~ん……今回はちょっと調子にのりすぎちゃった~」
「今回は……? これで何度目の飲酒ですか?」
禁じていた飲酒をした事にも驚いたが、隠れて恒常的に酒を飲んでいた事でさらに驚き、呆れる。
「わかんな~い」
「酔いが覚めたらお説教ですね」
嘘鼠の魔法使いはシェムハザを抱き上げると、居間へと連れていき、ソファーの上に寝かせる。
シェムハザに水を飲ませ、隣に座る嘘鼠の魔法使い。
心地よさそうな笑顔のまま目を閉じているシェムハザを見て、嘘鼠の魔法使いの口元も緩む。愛おしさがこみあげ、その頭を撫でる。
「大きくなったら~……マスターのお嫁さんになるんだから~……えへへへ……」
「……」
優しい微笑をたたえて、シェムハザの頭を撫でていた嘘鼠の魔法使いであったが、酔った勢いで出たシェムハザのその台詞を聞き、憂い顔になった。
(貴女が大きくなるまで、見届けることさえ……)
予知により、嘘鼠の魔法使いは自分のおおよその死期をわかっている。それは遠くない。
(かつて私が師を失った時以上の悲しみを、この子は味わうことになるというのですか……。神よ……貴方はどこまで底意地が悪く、性根が腐っているのでしょう。いや、この子と私を引き合わせてくれた事には……感謝しています)
心の中で神への恨みと感謝を告げたその時、家の呼び鈴が鳴った。
扉を開けると、そこにいたのは小柄な少年だった。しかし嘘鼠の魔法使いと同じく、見た目通りの年齢ではない。
「久しぶりに訪ねてやったぜ。喜べ」
愛嬌に満ちた笑みを広げて、少年が挨拶する。
「おやおや、リュカ。本当にお久しぶりですね。」
嘘鼠の魔法使いも優雅な微笑をたたえて迎える。相手――リュカという名の少年は、嘘鼠の魔法使いと同じく術師であった。
「おい、何だその娘は」
中に通され、椅子の上で寝ているシェムハザを見て、リュカが眉をひそめる。
「弟子です」
「ケッ、小便臭い小娘を弟子に取るとは、てめーも堕ちたもんだぜ」
「女の子を弟子にすることは堕落だというのですか? 意味不明な理屈ですね」
リュカの言葉を聞いて、嘘鼠の魔法使いが冗談めかして言った。
「ちっと困ったことがあってよ。手ェ貸して欲しい。ヨブの報酬の糞共に目つけられちまって」
「おやおや、それは頂けませんね。こちらにも迷惑がかかるだけなので、お引き取りください」
リュカほどの者が手助けを求めてくるとしたら、それは相当な難題であろうと嘘鼠の魔法使いは見る。
「つれねーな。見捨てる気かよ」
「私には護るべき者が出来てしまいましたからね。しかしまあ……昔のよしみです。話だけでも伺いましょう」
「お、その時点で、ちったあ手助けしてくれる気はありそうじゃねーかよ」
嘘鼠の魔法使いの台詞に、リュカはにやりと笑った。
「ヨブの報酬の中でも異端の存在、養血の狩人とよばれる一匹狼を知っているか? そいつに目を付けられて追われている。二回交戦もした」
「養血の狩人サミュエルですか。一度会ったことはありますね。容姿は知っています」
養血の狩人の名は嘘鼠の魔法使いもよく知っていた。超常の力を有した者は、誰であろうと容赦なく狩る非情な男だと聞いている。
ヨブの報酬は術師を異端扱いして討伐する組織であるが、実の所、必ずしも殺すわけでもない。相手を選び、ヨブの報酬に勧誘することもある。あるいは見逃すこともある。ネロなどはわりとよく見逃す傾向にあることを、嘘鼠の魔法使いは知っている。
しかし養血の狩人は例え幼子であろうと問答無用で殺害しにかかるので、ヨブの報酬内でも忌避されているという話だ。
「こいつを返り討ちにするのに手を貸して欲しい」
「それだけですか? 敵は一人なのでしょう?」
嘘鼠の魔法使いは胡散臭そうにリュカを見た。リュカとて相当の実力者である。一対一で引けを取る者など、そうそういないと思えた。
「一人だが一人じゃないというか、養血の術までは知らねーのか? あれは相当厄介だ。複数人相手にしているようなもんだぜ」
リュカが渋面になって頭を掻く。
「条件があります。この子も修行のために連れて行ってよいのであれば、引き受けましょう」
「ケッ、危険だってのに、弟子を連れていく気かよ。大したお師匠さんだぜ」
リュカが笑いながら言い、ソファーの上に寝ているシェムハザを見た。
「確かに強い力を感じる娘だ。てめーが弟子に取るだけはある」
「私以上の才を持つ逸材ですよ」
嘘鼠の魔法使いは愛おしげな口調で断じた。




