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マッドサイエンティストと遊ぼう!  作者: ニー太
89 千年前の記憶を掘り返して遊ぼう
3033/3386

16

 かなり横に太目の狼女と化したヘムナの前に、ネロが立ちはだかる。


「この子も殺すというのか?」

「ごおおぉっ! うおおおぉぉっ!」


 ネロが静かに問いかけるも、ヘムナは答えることなく、咆哮をあげてネロめがけて飛びかかった。


「ふんっ」


 ヘムナの牙も爪も、ネロに届くことは無かった。ネロはヘムナの喉元と右手首をキャッチすると、自らは身を沈めつつ体を反転し、勢いに任せて、ヘムナの体を後方に投げ飛ばす。


 体が上下逆になって壁に叩きつけられるヘムナだが、すぐに身を起こし、再びネロに突っ込んでいく。


 今度はカウンターで蹴りを繰り出そうとするネロ。しかし、直前に思い止まった。


(水?)


 突っ込んでくるヘムナの周囲から、大量の水が放射状に噴き出したかと思うと、空中で弧を描いて、ネロの上下左右から襲いかかってきたのだ。そして正面からはヘムナが襲ってくる。


(魔術の使い手でもあったな。呪文の詠唱は無かった故、触媒に頼った術であろう)


 水を浴びたらどうなるかは不明だが、この場で用いる時点でただでは済まないと見なし、ネロは後方に大きく跳んで水を避ける。水は一旦避けたが、ヘムナはそのまま突進してきた。


 今度こそネロは蹴りを放つ。ヘムナの顔面にネロの足が直撃し、ヘムナの上体が大きくのけぞる。


 大きく隙を見せたヘムナに、今度は拳を振るうネロ。腹部に左右のパンチが続け様にめりこみ、ヘムナは前かがみの状態になって、口から血を吐いた。


「むっ」


 ヘムナの口から吐かれた血が、ネロの胸にかかる。ネロは危険な気配を感じ、即座に血を袖口で拭い取った。

 ネロの服の胸と袖口の部分があっという間に溶ける。胸の肌も赤らんでおり、部分的に肌が溶けて肉が覗いていたが軽傷だ。


 後方から水がまた襲いかかる。ネロを覆うかのように大きく広がる。どうやらヘムナの意思とは無関係に、自動的に敵を襲う仕様の術のようだ。


 ネロは弾かれたように横に跳ぶ。


 水はさらに追撃をしようとしたが、途中で動きが止まった。水の周囲に光るルーン文字が現れた瞬間、水は瞬時に凍りついた。


「助かる」

(おやまあ……ヨブの報酬の戦士の前で堂々と魔法を使うとは……。貴女という子は)


 手助けしてくれたシェムハザに、ネロは短く礼を述べ、使い魔を通じて見ていた嘘鼠の魔法使いは、額を押さえていた。


「主の盟により来たれ。第十八の神獣、猛き愛粘の父蛙!」


 ネロが叫ぶ。


 ヘムナが起き上がると、ネロとヘムナの前に、高さだけで人の背程もある巨大なカエルが出現していた。カエルは全身に大量の粘液のようなものを身に纏い、粘液はそれそのものが別個の生き物のように蠢いている。


 先に粘液カエルの方が仕掛けた。カエルが跳びはねると、周囲の粘液も一緒に飛び上がり、先程の水のように大きく広がって、ヘムナに覆いかぶさる。


 ヘムナはどちらの攻撃も避けることが出来なかった。カエルにのしかかられ、さらには粘液を全身に浴びてしまった。


「ごががが……」


 苦しげな呻き声をあげ、カエルの下で粘液まみれになったヘムナが必死にもかぐ様を見て、シェムハザは胸を痛める。


 やがてヘムナの動きが止まった。そして全身の剛毛が引っ込み、顔も体も元の人間の姿に戻る。

 カエルと粘液が消えたが、ヘムナは倒れたままだ。生気も感じられない。


「ヘムナさんっ」

 倒れたヘムナに駆け寄るシェムハザ。


 ネロは一瞬警戒した。ヘムナはまだ死んではいない。最期の足掻きで、シェムハザに危害を加えるのではないかという可能性を考えた。

 だがヘムナは薄目を開いて微笑み、シェムハザに向かって手を伸ばした。そこに殺意も怨恨も見受けられなかったので、ネロは手出しをせずに見守ることに決めた。


「ヘムナさん……どうして……」


 シェムハザがヘムナの手を両手で取って泣く。


「あたしなんかのために泣いてくれるのかい。そうだね。もうお菓子をあげられないもんね。うふふ……」


 冗談めかし、ヘムナはシェムハザの手を力無く握り返す。


「あたしが狼男にした村人は他にも三人いるよ……。探すのも大変だろうから、一応、教えておくよ……。シェムハザ……あんたと会えて……よか……」


 全てを告げることは叶わず、ヘムナは薄目を開いたまま絶命した。


 シェムハザはすすり泣きながらも、ヘムナの死を受け入れた。これまでも、もう人の死を何度も見ている。


「あのな……シェムハザ……。君が悲しんだことで、涙したことで、ヘムナは救われた。その……まだ子供の君には難しいかもしれないが、君のおかげでヘムナは救われたのだ」


 ネロがかがみ、シェムハザの肩に手を置いて語りかける。


「どうして……世の中哀しいことでいっぱいなのかな……? ヘムナさんみたいないい人が……こんな辛い目に……。他の人達も……」


 シェムハザの問いかけに、ネロは答えられなかった。迂闊に答えない方が良いと判断した。


 しばらく無言の時間が流れる。


「涙できる君が羨ましい」

「ネロさん?」


 しばらくして、ぽつりとこぼしたネロの台詞に反応するシェムハザ。


「俺は……色々あったせいで、涙を失ってしまった」


 この時ネロが口にした台詞は、シェムハザの心に深く突き刺さった。他人事ではない台詞となった。


***


「嘘だろ……あのヘムナが……」


 シェムハザの報告を聞き、ユリウスは愕然とした。ヘムナは村の中でも評判の良い、気立てのいい女性だ。村に恨みを抱き、狼男を作っていた魔術師だったなど、とても信じられない。


「他にも狼男にされた人達は、私が治しておいたから」


 あからさまに元気の無い様子のシェムハザが、淡々と報告する。


「私の仕事はこれで終わりかなあ。解決したのはネロさんだし、私はいらなかったかもねえ」


 自分は来ない方が良かったのではないかとすら、シェムハザは考えてしまう。来なくてもネロ達が解決してくれただろうと。来なければ悲しむこともなく済んだと。


「いや、俺の脚を治してくれたし、狼男になった村の者も治してくれたじゃねえか。それだけでもすげえ来た価値あったぜ」


 ユリウスが微苦笑をこぼして、慰めのつもりで言った。


(君のおかげでヘムナは救われたのだ)


 先程のネロの台詞が、シェムハザの脳裏に蘇る。それは事実かもしれないが、それでもなお、シェムハザの気持ちが和らぐことはない。


***


 家への到着が待ち遠しかった。早く帰って師の顔を見たかった。


 帰宅したシェムハザは、嘘鼠の魔法使いめがけて一目散に駆け寄ると、勢いよく飛びついて抱き着く。嘘鼠の魔法使いもシェムハザの小さな体をしっかりと受け止める。


「もう……嫌だよ……離れたくないよ。悲しいものも辛いものも見たくないよ。一人旅はこれっきりにしてよ……」


 涙声で訴えるシェムハザに、嘘鼠の魔法使いは眉をひそめる。


「私も貴女と離れたくありません。しかしそういうわけにもいきません。これも貴女に必要なことなのです」


 自分で言っておきながら、非情な言葉だと思う。弟子の傷ついた心をさらに鞭で打つような所業であると。


「シェムハザ、私にとっても貴女はとても大事な存在です。離れたくはありません。しかしこれが貴女のためなのです。苦しみや悲しみと直面しても、それを乗り越え、一人でも世界と対峙できるようにしなければならないのです」


 嘘鼠の魔法使いが真摯な口調で告げると、シェムハザの嗚咽の声が大きくなった。


(そう遠くないうちに……別れは訪れるのですから……)


 明確な時期まではまだわからないが、嘘鼠の魔法使いは予知してしまった。自分に残された時間がそう多くは無いことを知ってしまった。

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