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「君はシェムハザのことが好きなのですか?」
「好き?」
嘘鼠の魔法使いの問いかけに、悪魔は不審げな声をあげる。
「最近ずっと家の側に来ていましたよね。街中でもシェムハザのことを後ろから付け回していた。流石に人通りの多い場所で襲うような真似はしませんでしたが」
「人を好きになるということ? 僕にはわからない」
思ったことを淡々と答える悪魔。
「ではどうしてシェムハザを追い回し始めたのです?」
さらなる問いかけに、悪魔は沈黙した。
正直な所、わからない。一年前にシェムハザと出会い、彼女のことが気に入った。三ヶ月前に再会してますます気にいって、住む場所も突き止めて、その後はしばらく、ただ行動を追っていた。ただ見ていた。しかし何も手出しをしようとは思わなかった。
自分で自分の心がわからない。ただシェムハザを遠巻きに見守っているだけで、それで幸せな気分だった。そんな自分の気持ちを深く考えることもなかった。嘘鼠の魔法使いに指摘されて、初めて悪魔は不思議に思う。
「貴方には興味があります。そしてシェムハザに害を成す存在として警戒もしています。ここで貴方を拘束し、研究材料とさせていただきます」
柔らかな口調のまま嘘鼠の魔法使いが宣言し、杖を振るう。
悪魔も即座に反応して戦闘モードに入る。嘘鼠の魔法使いに向かって人差し指を指すと、指の前に、赤、緑、青の三食の光点が無数に発生する。
嘘鼠の魔法使いが持つ杖から光るルーン文字が大量に飛び出て、空中を乱舞すると、強烈な吹雪を巻き起こす。
視界が閉ざされ、超低温に包まれた悪魔であるが、ひるみながらも三色の光線を嘘鼠の魔法使いに向けて放つ。
続け様に放たれる無数の光線を、嘘鼠の魔法使いは回避しきれなかった。腕、肩、足の三ヵ所が光線によって貫かれる。
(命に支障はありませんが、中々手強い相手のようですね)
目の前の限定された範囲で吹き荒れる吹雪を見やり、嘘鼠の魔法使いは気を引き締める。
悪魔は凍り付きそうな体を必死になって動かして、吹雪の中から何とか飛び出た。しかし飛び出た所で両膝をついてしまう。
それを見た嘘鼠の魔法使いが、追撃にかかる。再び杖から光の文字が飛び出す。
嘘鼠の魔法使いと悪魔の間の空間に、炎の竜巻が発生すると、悪魔めがけてゆっくりと移動する。しかも移動しながら徐々に巨大化していく。
悪魔は背中より蝙蝠の翼を生やして飛翔し、竜巻から逃れる。竜巻の風速は相当なものであったが、範囲から逃れることはそう難しくなかった。
(手強い。手加減はできそうにない)
空中から嘘鼠の魔法使いを見下ろし、悪魔は思う。
(この男を殺したら、シェムハザの保護者もいなくなって、シェムハザは嘆き、困ることになる。それはいいことなのか悪いことなのか、僕にはわからない。シェムハザが嘆く姿を見たい。孤独なったシェムハザを僕のものにしたい。でも何でだろう? そうしたくないという気持ちも僕の中にある。僕の中にあるその気持ちが理解できない)
悪魔は自分の感情がわからなかった。困惑していた。そしてある結論に至った。次に何をするかを決定した。
「忘れろ」
一言呟くと同時に、悪魔は力を発動させた。
直後、嘘鼠の魔法使いは呆けたような表情になった。炎の竜巻も消えた。
悪魔は高速飛翔して、一目散にその場から逃げ出した。
「これは……」
先程まで空く間がいた空間――今は鳥が飛ぶだけの青空を見上げ、嘘鼠の魔法使いは呆然としている。
(記憶が飛んでいますね。部分的に欠落しています。非常に不自然……。誰かと戦っていたような覚えはありますが。実際体のあちこち負傷していますし……)
今の状況から導き出される結論は一つだった。
(忘却の力? 記憶の操作? まさか私がこうも容易く何者かの力に屈してしまうとは……)
そこまで考えて、弟子の事を思いだす。
(シェムハザを依頼解決の旅に出したことは忘れていないようですが、彼女にも危険が及んでいる可能性がありますね。後を追わねば……)
嘘鼠の魔法使いは呪文を唱え、使い魔の烏を呼び出してシェムハザの後を追わせた。
(今後は一応、使い魔同伴にしておきましょう……)
完全な一人旅はまだ危険だと思い、改めることにした嘘鼠の魔法使いだった。
「僕は疲れている……」
一方で悪魔は、町から遠く離れた空を飛びながら、疑問を抱く。
記憶が欠落している。何故自分が激しく疲労した状態で飛んでいるのか、それがわからない。何があってこうなったのか。
(僕は忘却の力を使った? そのおかげで僕の記憶も抜け落ちているみたいだ)
悪魔が持つ忘却の力は、ここぞという所で使う切り札だ。代償として、時間差を置いて、悪魔自身の記憶も、部分的かつランダムに失われてしまう。
(何をしようとしたのかも……忘れてしまった……)
空中で溜息をつくと、悪魔はゆっくりと降下していった。
***
一人で旅に出たシェムハザは、最初の方こそうつむき加減でしょんぼりとしていたが、すぐに気持ちを立て直し、これまでの旅のように、馬車の中から周囲の風景を見て楽しんでいた。
目的の村には一日と立たずに到着した。ぱっと見、豊かな農村だった。ライ麦畑が延々と続いている。
三ヶ月前の初めての旅以降、シェムハザは嘘鼠の魔法使いを伴って、何度か街を出て、こうした地方の村や集落を訪れている。
中にはひどく排他的な村もあった。排他的な村を訪れることを、シェムハザは嫌った。わざわざ助けに出向いてなお、そのような態度で対応されることに、どうしても納得がいかない。
師匠はそんな者達を相手にしても、悠然と微笑んで対応する。シェムハザはそんな嘘鼠の魔法使いを倣って、自分も同様に笑顔で対応しなければと思い、師匠と並んで微笑を絶やさないよう心掛けているが、内心では腹が立っている。
一線を越える者もいた。罵倒する者や、石や糞を投げてくる者だ。追いはぎもいた。そうした者達には、嘘鼠の魔法使いもただ微笑んでいるだけでは済まさなかった。術をかけて心身を操り、町まで歩かせた。嘘鼠の魔法使いの家まで歩かせた。新たな術の実験台として使い潰した。
「あらあら、随分と可愛い旅人さんだこと」
村の中をあてどなく歩きまわっているシェムハザに、村の女性が声をかけた。
農夫の服装をした中年女性だ。でっぷりと太っていて、丸々とした体型だ。
「今日はー。ユリウスさんという方に呼ばれて来たの。これでも医師だよー」
元気よく挨拶するシェムハザに、女性は目を丸くした。
「おやおや、可愛いお医者さんもいたもんだ。でも呼んだのがあのユリウスさんかい……」
眉をひそめる中年女性。
「あの人は変わり者だからねえ。偏屈でもあるし、よくわからない人だよ。そんな人の所に行って大丈夫かねえ。もし何かあったらすぐ逃げるんだよ」
「はーい」
案ずる中年女性に、シェムハザは笑顔のまま返答する。
ヘムナと名乗ったその女性の案内で、シェムハザは依頼者ユリウスの元へと向かう。
「おーい、ヘムナさん、その子は何だね」
農作業をしていた男が、ヘムナに声をかける。
「お医者さんだってよ。村の者に呼ばれたそうだ」
「ほへー。子供だってのにお医者さんか。おれっちの水虫も診てもらおーかな」
ヘムナの言葉を聞いて、男がシェムハザの方を見て冗談めかす。
「この村、豊かなんだね。それに余所から来た人に態度悪いってこともないし」
「まあねえ。町から近いってのもあるし、町の安定した食糧供給源として、国からも重視されている土地だからね。結局国がどんだけ助けてくれるかで、豊かさも違ってくるよ」
楽しく雑談を交わしながら歩き、やがて依頼者の家に辿り着いた。
「さっきも言ったけど、気を付けないよ。変わり者だから」
「うん、わかったー」
案ずるヘムナであったが、どう変わり者でどう気を付ければいいかわからないと思うシェムハザであった。
家の扉をノックすると、目つきの悪い日焼けした痩せた中年男が姿を現す。
「何だ、お前は」
男がギロリとシェムハザを睨む。
「依頼されていた嘘鼠の魔法使いの弟子。事件の解決に来たよー。ユリウスさんだよね?」
「はあ……? まさか本人じゃなくて弟子一人だけ寄越したってのか? しかもこんな餓鬼をだと……」
男――依頼者のユリウスは面食らっていた。
「まあいい……。入れ」
舌打ちして家の中へと招き入れるユリウス。
「足悪いんだ」
片足をひきずって歩くユリウスを見て、シェムハザが言った。
「見ての通りだ。半年前まではまともだったさ。忌々しいことこのうえない。それまでちゃんと動いていた俺の足が、動かなくなっちまってよ。さっさと慣れろと村の奴等は言うが、全然慣れん」
本当に忌々しげに話すユリウス。
(結構喋る人みたいだし、悪い人ではなさそう)
と、シェムハザは思う。
「ちょっと診せてほしいな。治せるかもしれない」
「ははは、小っちゃなお医者様がどれだけのものか、拝ませてもらうか」
シェムハザの言葉に、ユリウスが笑った。
居間でユリウスの足の状態を確かめると、シェムハザはユリウスの足の神経を外側から指でいじり、こっそりと術もかけていく。
「これで動くと思うよー。神経が詰まっていて、それで自分の意思で動かせなかったんだよ。神経を正常化させたし、筋肉も回復させたよ」
「え……? 本当……だ。おい、動くじゃねーかっ!」
思わず驚愕の叫びをあげながら、これまで動かなかった足を勢いよく動かしまくるユリウス。
「こいつは驚いたな。まあ、嘘鼠の魔法使いが一人で寄越すだけのことはあるってか。ありがとうよ。これで元の生活に戻れるよ。ありがとう」
ユリウスは感激して、笑顔で感謝の言葉を口にする。
「マスターのこと知ってるんだよね? マスターが知り合いだって言ってたけど」
「あの男には以前に一度世話になっている。正体も知っている」
シェムハザが伺うと、ユリウスは言った。
「依頼は狼男が村に出るって話だったけど」
「ああ、以前も出たんだ。その時、俺は対抗できる方法がないか調べて、嘘鼠の魔法使いの噂を聞き、頼んだ。俺の見ている前で退治してもらってそれで終わった。で、また現れやがった」
ここまで話した時点で、ユリウスは顔をしかめる。
「今回は前とかってが違う。前回は狼男の存在を知る者はごくわずかだった。犠牲者も少なかった。皆信じていなかった。しかし今回は大勢の村人に目撃されている。犠牲者は以前の数倍だ。狼男そのものが複数のようだ。そのうえ村人が狼男になってしまったという話まで出ている」
「なるほどー」
つまりは狼男を探すことから始めなくてはならず、しかも村人に化けている可能性もあるという話だ。どうやって探り当てるか、シェムハザは思案する。
「ちょっと村の中調査してきていいかなあ?」
「ああ、よろしく頼む。いや、俺も一緒に行くとしよう。村の案内も出来るだろうしな」
シェムハザとユリウスは家を出て、村の中を歩き回る。
「お、おい、ユリウスよ。足は治ったのか?」
先程ヘムナに声をかけてきた農夫が、ユリウスを見て驚く。
「ああ、この小さな名医のおかげでな」
「ほへー……それは聞いてたけど……。よし、後で俺の水虫も頼む」
「いいよー」
今度は冗談ではなく真剣にお願いする農夫に、シェムハザは笑顔で頷く。
それからしばらく歩いた所で、シェムハザは思わず足を止めた。
前方から僧衣姿の一団が歩いてくる。ただの僧衣ではなく、独特のデザインが施されている。そして先頭にいる厳つい顔の大男は、見覚えがあった。
「何だあの坊さんらは」
ユリウスも足を止め、訝った。
(ヨブの報酬……。それにネロさんも)
立ち止まったままじっと見つめるシェムハザの存在に、ネロも気付いて視線が合わさった。




