第九十三話・他人から話しかけられるのがどうしても嫌だった時代の話
十代、二十代のころの話。
私は私の聴力が悪いことを恥じていた母に育てられたものだから、私も己の聴力を恥じて誰にも言えなかった時代。
特に美容院に行くのがうっとおしくて、自分でカットしていた時代がありました。とにかく他人に話しかけられうのが苦手。当時の私は「無言美容院」 というのがあればいいのにと本気で思っていました。
美容院は補聴器をはずさないとできないので当時の私にとって苦痛でしかありません。もちろん美容師さんには悪気はなく、逆にこちらが黙り込んでいても一生懸命話しかけてあげなさいと言われているらしく、平気で話しかけてくる。私も聴力が悪いからと一言説明できたらよかったのに。現在の私は若い頃の己が不甲斐なく、人間関係全般、何とかならなかったのかと後悔している。
それでも、一人暮らしをするようになったら、知恵がついてきて、この本を集中して読みたいから、もしくは学生の時はこの表を暗記してしまいたいからと最初に告げていました。
現在では、どこでも補聴器使用者だと告げています。というよりそれが本来あるべき態度でしょう。若い私は聴力に障碍がある己を自己卑下するだけの愚か者でした。
初対面で「感音性難聴です。話しかけても無反応な場合はほっといてください」 と断っておけばこちらは客だし、それで怒られることはないはずです。私は母のせいで、耳が悪いというと、他人に嫌われてしまうと思い込んでいました。幼かった私がいじめられた遠因は母が作ったと今にしてわかる。
現在通っている美容院は難聴者だと覚えられてしまっているので、気楽です。声をはっきりと区切って言われるとマスクをされていても聞こえる。もっと早くにそうすればよかった。
先日も母を病院に連れて行ったが、運転している私に「補聴器が丸見えだ」 と怒る。母は変わらない。私の為を思って言う。だから私はこの年になってもなお母の愚かさを痛感する。彼女はもう矯正がきかない。昭和十二年生まれの無学な人は皆こうなのか。
年配の人でも海外の方が補聴器を見せると親切です。時には補聴器の見せあいもしたこともあって、これも思い出になっています。私が現在愛用しているものはデンマーク製です。本場には大きな工場や研究所がある。もし今からでもお金持ちになれたら海外のバレエ団、劇場も見に行くついでにあちこちの補聴器工場も行ってみたいです。
聴力が悪いことを恥じるような教育をされた私。
私のようなかわいそうな思いをした子が、この世からいなくなるように。
無名ながら生きている限りそれをするのも私の責務ではないかと最近考えている。




