第七十一話・寄付金差別 □
宗教家の人はぜひ読んでほしいです。
私が独身だったときの話で、どうしても書きたいので書いてみる。例の叔母Jの件もあって、これをいうと親戚に迷惑かなという配慮がゼロになったこともある。
私の家は父がサラリーマンで、親戚の中では一番貧乏でした。それ故、いろいろなことがありました。だから順番に書いてみます。
例のJはあちこちで寄付をしていました。元は高校にもあがれるかどうかの貧乏な家から、高卒後に入職した勤務先から横領したお金を倍々で増やして財産家になりました。
今回は財テクで成功した叔母Jとして尊敬もしていたころの話です。そのJと同居のもう一人の義叔母(正確には叔父の嫁、Jと同居)が実家にやってきて某寺への改装のための寄付金をお願いという。その時たまたま両親は不在で私一人が留守番でした。
「いくらですか」 と聞く私。義叔母は「二千円からです」 というので二千円だけ渡しました。給料前だったというのもあります。その義叔母は黙って領収書を書き、車に戻って大きな箱を渡しました。中を開けると薄い灰色をした瓦でした。そこに墨痕鮮やかに「風」 と書かれています。達筆だなあと感心しているとその義叔母がこういいました。
「それは某寺で一番偉い僧侶が書いたものです。瓦によって文字が違います。値打ちのあるものなので大事にしなさい」
もちろんですとも。でも、そのあとが大きなイラクサでした。
「私は二十万の寄付をしました。でも、もらったのは、あんたと同じ瓦。高僧のお考えでは寄付金の差別はしてはいけないの。あんたは二千円しかくれないけど、二十万や百万出した人と同じものがもらえるのよ、わかった?」
あきらかな嫌味でした。私は印象的なことは映像で記憶するので、その時の義叔母の口調や顔つきまで思い出すことができます。寄付金差別をしない高僧のお考え自体は立派だけど、その寄付金を募る義叔母のような人がいては台無しです。某寺の高僧様、いや、仏教に限らず宗教的な寄付を募る側の偉い人は集金をする信者にそこをよくよく言い聞かせてやってください。
少ないお金で同じお礼をもらうのって、高額の寄付者にとっては、そんなに腹がたつものでしょうか。貧乏人に遠回しの嫌味をいうなんて、もってのほかです。あの嫌味な表情……貧乏な私に対して大事なことを教えてあげようという好意は、まったく感じられませんでした。
例の瓦は高僧には申し訳ないですが飾るたびに思い出すので捨てました。高僧にとっては例の叔母Jも義叔母も覚えめでたいらしく、インド旅行にも同行させた。そういうグループで大きな顔をし、その子供同志で夏休みなどで寺で合宿などもする。由緒ある寺なので信者にはよい家柄や地位ある人が多い。叔母たちは彼らと知己でそれも自慢だ。バカバカしい。私はそういうのも見抜けない高僧たちが嫌い。一生貧乏人上等。それでも見栄っ張りの叔母たちよりは心豊かな人生だよ。




