第五十一話・田舎小説誕生秘話
秘話というほどのことでもないけど。前にも同じテーマで書いたけど追記で。
近所トラブルは田舎話でもいろいろ書きましたが、犯罪まがいのこともありました。寄進するとその奉納物に名前が刻まれますが義父の名前を刻んだ場所だけが削られていました。そこで今度は私が義父の名前で寄進、新品を奉納したのですが、またおなじところをやられました。苗字は同じのが多いので、義父の名前の部分だけを削られたのです。立派な器物破損です。目撃者がいたので犯人はわかっていましたが、二度も同じ目にあった被害者である義父は放って置けという。わしの名前だけを傷つけるというのが目的だからそれ以上の器物破産はするまいという。神社の名前にも傷がつくから通報するのはやめろという。どうも被害に会ったこと自体ハジだと思っている。田舎の人間は、どうしてそういう思考なのだろうか。寄進されたものは、神社のもので天罰が下るはずですが下ってない。やっぱり残念ながらこの世は因果応報はない。
寄進した現場の神社は過疎すぎて参拝者は普段はいない。しかし地元の人は大事にして当番制で月日をきめて早朝掃除をしています。その人が目撃したんだよね。しかもこちらの親戚。犯人は鋭利な刃物ではなく鈍器で名前部分を削っている。あわてていたらしく半分しか削られていなかった。目撃者まで警察には行くまいというし仕方がありません。こういう思いの積み重ねで、拙作、「私はこうして田舎が嫌いになりました」 ができました。幸い広く読まれて、人生どう進むかわからんものだなあというのが正直な思いです。褒め言葉もいただきますが、田舎在住の人間としては気分が悪いという感想もダイレクトで来ました。書き手としては、どういうご感想でも有り難いです。読み手がいたという証明ですから。
私には理解しがたいが、義父に限らず過疎の田舎の人は、警察の関わりを嫌がる。だからムラの駐在さんは仕事がラクだと思う。どの人も数年で異動になるのはそれゆえか。単身赴任であれば、よく本宅へ帰られるせいか不在がち。病気がちの人もいる。用事があっても、駐在の奥様から「今日も病院へ行きました」 と堂々という。もちろん、町の警察に話は通してくれたりはしますけど。田んぼに何かを撒かれたときも現行犯なのに、義父が警察に通報するまでもないというし。私が駐在さんに相談しにいくと、奥さんが県警に電話してくださいという。犯人は◎◎さんですけど、というと、奥さんが苦笑して「ああ、あのひと……」 とつぶやいたのが印象に残っています。
この時は、我が子に類が及んだら一体どうしてくれる? と私が義父のいうことを聞かずに通報しました。県警に。しかし、警察でも証拠不十分で何もできなかったです。で、ここから本題です。そいつが死んだとき、私はジュースで乾杯しました。
義父たちは近所ということもあって葬式の手伝いをしてあげている。田舎の人は義理ごとにはなぜか情熱を持って助け合う。不仲でも葬式は手伝いあうのが田舎の七不思議。私は義父に言いました。
私 → 「葬式の手伝いをしてあげるって優しいですね。でも、私は手伝わない。亡くなってうれしい。あとは奥さんだけですよね」
私は気を許した人にはつい本心を言ってしまう。実母が私に人前で話すのを嫌がったのは私の聴力の悪さを恥じたこともあるがこういうこともあったのではないか。しかし、私が産んだ子供、当時はよちよち歩きだった幼子に対しても義父の孫というだけで意地悪してくるような人間になんの遠慮があるものか。死んだと聞いてあの胸のすくような快感は忘れられない。持病持ちなのに他人にあそこまで嫌がらせができるのは人間だが人間でないと思っていました。奥さんのことまで持ち出したのは、故人でも類は友を呼ぶ。つまり、その妻も嫌がらせ大魔王だから。彼女は義父の家に来た私だけをターゲットにするだけではなく、婦人会や常会、老人会でも気の弱い人に向かって、やらかしている。痴呆が出始め義母もカラオケ会でターゲットの一人にされ、過疎地域なのにカラオケ会が二つに分裂した。たった一人でグループをかき回したわけです。誰がどういう言い方をしても平気な境界型人格障碍者でコタエない。こちらも義父母への遠慮があって声をあげられぬ。田舎嫌い小説ができたのは、そういう鬱屈した思いの積み重ねです。
今度は人間が出てこない自然の美しさを謡うものを書いてみようかな。星空や山の稜線の美しさ、四季の変化のすばらしさはたとえようもないから。




