第三十八話・にわとり
亡くなった義父が許せないと言っていた昔の事件です。田舎の話なので表立ってコトを荒立てなかった分、表に出せない恨みを持っていました。相手をW家とします。私はよそからきた嫁だし、W家から私もとばっちりで、新しく建ててもらった新居の位置が気に入らないと嫌味を言われていました。いわゆる景観を損ねるという苦情を私に言われても、解決のしようがないし困るだけです。そういう意味では私も田舎システムに組み込まれた素粒子の一員です。W家のWはどうでもいい人なので書いてみます。
義父の家は築百年を超えた専業農家。昭和の初めの時代。家族のほか、労役用の牛、肉牛、病人用のミルクをしぼるための羊、卵が摂れる数十羽のにわとり、番犬などがいました。馬だけはいなかったらしいですが、昔の農家ってこんなのかという話が豊富に残っております。それ以前の大飢饉時の言い伝えがあり、聞くも涙です。
で、にわとりの卵を近所の人に一個五円で販売していました。年をとって卵を産まなくなるとつぶしてかしわにしてそれを売るということもしていました。
母屋のとなりの牛小屋のすみにひよこの居場所がありました。薄黄色い波打つ絨毯のように見えるぴよぴよという鳴き声が常に聞こえる一角があったそうです。牛小屋や納屋にはツバメなどの野鳥の巣もありました。ガラス窓はなく、開けっ放しの明り取りの窓から堂々と出入りしていました。鳥好きの私から見れば天国みたいです。こんなのどかなところでもW家のおばあさんから苦情が入りました。
「一番どりの声がうるさい」
田舎なので各戸はもちろん一戸建て、防音装置なし。それでも騒音トラブル勃発です。にわとりのオスは明け方に鳴くものです。一番強いにわとりがまず鳴くらしいですね。鳴く時刻も体内時計によるものという論文があります。Wにとっては、明け方のトキの声はうるさいだけ。クレームつけてやろってなもんです。
「こけっこっこー」
実は過去、私の実家でもにわとりを飼っており、クレームが来た時がありました。隣の家ではなく数軒離れた不眠症の一人暮らしのおばあちゃんからでした。実家の成鳥は卵用ではなくペット用でした。そのうちの一羽がオスのクロちゃん。何度もクレームがつき、それでもにわとりを家の中で飼うわけにはいかぬので、泣く泣くかしわ屋さん(そういうのがあった)に引き取らせました。
しかし、義父の家ではお金を儲けるためでもありますので、数十羽いる。一番どりが鳴き出すと、次々にとぎれなく「こけっこっこー」 です。にわとりの習性は変えようがない。
義父は義祖父母、義曽祖父と話し合いの上、処分しました。処分というのは全員殺したということ。つまり卵を売るのは廃業です。W家は、溜飲をさげたでしょうが、ここから数十年にわたる義父の恨みを買いました。
卵とかしわが売れなくなった義父の家に代わってWの家がにわとりを飼い始めたのです。今度は夜明けにWの家で「こけこっこー」 です。卵も一個五円で近所に売り始めた。そんな仕打ちができる神経がわかりかねますが、それをやった。W家は義父のお商売にクレームをつけてつぶし、その後にまったく同じお商売を始めたわけです。義父たちが怒るのも当然です。
数十年後、私が嫁に来たときは、当時のW家のWはとうに故人です。息子も代替わりしたものの早くに亡くなり、現在は未亡人がW家を守っています。過疎地域の例にもれず、孫やひ孫たちは都会に出ています。物好きにも田舎暮らしをはじめた新入りの嫁となった私に対して「新居の位置が気に入らない。窓から私の家や庭が見られて困る」 というまるで数十年も前のにわとりクレームの再来のように何も知らぬ私に言いました。
W家の例の未亡人は当時のにわとり騒ぎを知らないでしょうが、クレームをいう家の家格というか血脈というのがあるのかというのが今回のキモというか、イラクサです。訴訟に至らぬまでも、こういうことがあちこちであるとは思いますが解決しようがなく双方とももやもやしつつ、それでも村の行事で顔をあわせると「こんにちは」 ぐらいは言います。人生は、このなあなあの繰り返しで、杓子定規に納得いく解決をするまで追求すると己の心が病んでしまうしかけになっているのかとも思ってます。
私はそれを言われてから二階の窓は開かずの窓にしています。十数年たっていますが、カーテンがしまったままです。一度別の人からいつでもカーテンが閉まっているがなぜかと質問され、正直に事情を話しました。するとそれが広まったらしく、W家未亡人の別居の娘さんとそのお婿さんから顔をあわせると困った顔をされるようになりました。でもはっきりと聞いてこないのですよね。そういうなあなあところが田舎ぽい。私は田舎のそういうところは苦手です。




