第三十五話・守秘義務で悩んだ話
医療分野で働くと、根幹に守秘義務というものがついてまわります。個々の病歴は戸籍と同様個人情報にかかわることになりますので、秘匿は重大な任務です。しかしある事件が起き、ある人の病歴を職務で知り得、それを伝えるべきかで悩んだことがあります。伝えると大変な騒ぎになるとわかってはいます。幸い言わぬままで解決できました。つまり、伝えないですみました。今回それを差支えない範囲で書いて考察してみます。
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知人NがOという人と自動車事故を起こしました。
NのバンとOの軽トラが交差点で接触しました。停止していたNの車に、Oが右折したのですが、大きくカーブして接触してきたのです。通常ではありえない運転の仕方でした。接触したといっても、運転席の前面がかすったというか、へこんだぐらいですんでよかったです。双方ともけがなし。運転していたら大きな事故も目撃することはどなたにもありますので、怪我なく助かったという安堵感は理解していただけると思います。
被害者がN,加害者をOとします。知人Nは子連れでしたが無事、Oも無事。おまけにNとOは顔知りでした。
誰しも事故にかかわると、逆上しますが、Nがいうには、左折優先の交差点なのに右折で強気でつっこんできたそうです。ドライブレコーダーは当時はまだ一般的ではなかったので双方ともつけていません。
事故直後、Oが運転席から降りてきて、謝るどころか「おっ、Nか。どこを見て運転しているのかごらぁ」 と吠えたそうです。とにかくまず警察。
こういう時、田舎ぐらしというのは、身元がお互いわかっているということが多い。実はNはOが何度も事故を起こす常連であることを知っていた。警察も双方の運転免許証を見るとNの方を向いて、各種持ってるねと言いました。Nは職業柄大型や特殊免許を持っています。免許の種類多くかつ普段から運転する職種の人はそういう意味では信頼度があります。Oはあっちが悪いとごねていましたが、事故車両の様子を見る限りOの前方不注意は明らかです。ここから本番です。
双方の保険会社からの話し合いでNとOは二対八といってきました。つまり車を治すのに相応の割合で保険を使うわけです。Nとしては過失が二割あると認定され納得できるはずがない。過失はゼロで当たり前のはずだとNは主張する。
「ぼくはOが過去起こした人身事故を知っている。相手は亡くなり、Oは交通刑務所に入った。周囲の人は全員その話を知っている。それなのに、今回の事故もこちらも過失ありとされて二割も負担しないといけないのか。二対八ではなく、ゼロ対十であるべきだろう」
私はそのOさんのフルネームを聞いて……まてよ、と感じました。フルネームでいくと珍名とまではいかぬがインパクトのある名前です。実はOさん、勤務先の病院の常連さんでした。Oさんは某という薬を長期にわたり飲んでいる……職場の電子カルテで検索すると入院歴が何度もある。通院歴も三か月毎だが自宅で処方された薬を飲み続けている。処方薬は副作用として眠気や判断能力が落ちるということはある。ために事故を重ね、今回の事故も薬の副作用のせいだとしたら……。私は事故との因果関係がある可能性大だと感じました。しかしOさんの病歴、服薬歴は守秘義務に抵触するので言えぬ。Oさんの服薬がいい加減で、粗暴傾向もあり。事故当時は服薬していたが、服薬を過量にしていたかも。指示されていた量を服薬していたとしても前日の酒量が響いて相乗効果で判断力が落ちて事故をおこした可能性もある……しかし言えぬ。
Nさんは保険会社通じて怒りのクレームを入れる。その努力が実り、というか保険会社もOの履歴がわかったのだと思う。過去の事故の様子も検分されてNの過失はゼロに落ちついた。
結論として私はNにこれを伝える義務も何もない。言ってない。でも一瞬でも伝えるべきでないかと思ったのは確か。ということでエッセイにしました。仮に伝えたとしてもより事態を混乱させるだけでそれこそ医療職の資格がないと言われかねない。
O自身が事故につながったことを隠ぺいし、Nを一方的に攻めた心情も理解してあげるべきかもしれませんが、事故直後で逆上したこと、保険でもそういうことを隠したままNを責めたことはずうずうしいと思います。
職務で知り得た守秘義務はどういうことであっても漏らすべきではない……というわけであいまいなイラクサができましてUPしてみました。己に不利だと思ったら障碍を隠す人も多い実態も問題になると思っています。




