第二十九話・修羅場中での画像取得
駅構内の通路で、人が急に倒れました。幸い通行人の多いところですぐ近くに医師と看護師がいました。彼らは救急車到着まで救命にあたりました。心疾患だったらしいですがAED使用で無事、回復に至りました。美談ですが今回の話のテーマではない。
これは救命にあたっていた当の医師の知人の知人から聞いた話。通行人が多いところということは、ヤジウマがいっぱい。もちろん心配している人が大半。医療従事者は申し出てくれて人手があったのは本当に運がよかった。しかし一生懸命している最中、ずっと被写体になっていたそうです。目の端ににょきっと手が出てバシャとやられたと。つまりヤジウマが、救命中の画像を撮っていたわけです。処置中は患者だけを診ているので「撮るな」 と言えません。患者が助かったと聞いてから落ち着いて当時の状況を反芻、怒りが湧いてきたらしい。
もちろんヤジウマの中に、SNSにあげるさいにも「どうか助かりますように」 と祈る気持ちであったかもしれませんが……あとで本人やその家族がSNSにあげられている画像で命の恩人を見つけた、ということになるかもしれませんが。
海外のニュースで、刑罰の様子をスマホをかざして撮影しているヤジウマたちの顔をみます。むち打ちの刑や、見物人から石を投げられる刑、縛り首……公開処刑は今でもありますが、それをパソコンで日本でいながらにして閲覧できるのは、そういったヤジウマのおかげでもあります。
だれが悪いという話ではなく、好奇心は人間そのものの習性で止められない。ニュース発信が誰にでも当たり前にできるようになったことで、世界が変質したと思います。
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個人的な話ですが、素直に通学して素直に卒業して素直に就職して老いた親の経済を助け老いた親の介護を素直にする素直な子を育て上げるのが子育て成功だとしたら、私は失敗者です。我が子が不登校になった話は前回も書きました。その時に教諭の家庭訪問が何度もありました。良い先生の出会いはもちろんあったのですが、変な人もいました。生徒宅訪問の際、一人で行ってはいけないという決まりがあるようで、必ず二人もしくは三人で訪問されました。ある教諭が来たときの話。Qとします。
Qはヤジウマ精神を持っていたらしい。訪問はいいが、母親の私に無断で私の目の前で子供の部屋の様子を撮影しました。部屋の主が不在時の話。子供部屋にはつくえやベッドの常備品のほか、暴れたときに壊されたかべなどが…ある…うーん、これは不登校の子供の部屋だ、という何かのお手本になるのか?
私は他の事で対応しており、「撮影されている」 と理解はしていたのですが、「撮影した相手に対して怒るほどヒマではなかった」 のです。Qが帰った後に、冷静になった私は「家の中の画像を勝手に撮られた」 ということを思い出しました。
……不登校の生徒の部屋の画像を撮る際にもなんの説明もなかった。
……親に無断で、しかも何枚も角度を変えて撮った。
……部屋の画像をどうする気だろう。
……誰に見せるつもりなのか?
……初対面のQがそんなことをするなんて……。
我が家に来るおなじみの担任と副担任ではないためか、余計にいらいらとしてきました。初訪問でそんなことをするなんて。今更にしてその場で「消せ」 といえなかった己にも腹をたてる。
結局翌日担任に電話をして、消すように取り次いでもらいました。担任にとって同僚にあたりますので、言いにくければ私が校長に直接電話するといいました。本人にいうと、言い逃れされそうな懸念があったので、第三者を通じて言いました。
結果的にQは担任に「まずかったか」 と言って削除はしたそうですが、本当に「削除」 したかどうかはだれにもわからない。
私はそのQに対し、今後家に来ないように要請しました。
しかしまだ続きがあります。親が双方仕事で家をあけているとき、つまり日中は、子供は不登校のため、一人で留守番です。すると、その翌々日、来るなと言った母親の私に無断で、Qが我が家を再訪しました。
「近くまで来たので、顔だけ見に来た」 そうです。
本人の顔を見て「安心した」 とだけ言って帰ったそうですが、学校と家には車で一時間の距離がある。それなのにわざわざ来た。今後家に来るなと言ったにもかかわらず、なぜ来たのかという話です。
私が学校側に正式にクレームをつけると、心配のあまりで顔を見たかった、会議の行き帰りでついでだったという返答がきました。
当の子供に聞いてみると、授業の時だけにしか会わない先生で個人的に話もしたことはないとのこと。だとしたら単なる好奇心できたとしか思えぬ。副担が出張で来れなかったので代理できたとはいえ、変です。
もちろん不登校中の本人と、その本人を育てた母親の私が一番悪いのですが、不登校児の部屋はこんな感じですよという撮影の対象にされたことと別問題。無断撮影したものを、好奇心でSNSにあげるとか、教諭仲間の何かの研究会で使うつもりでやったと思われても仕方がないと思う。
教諭にもこんな人がいます。画像は削除したといわれても私の目の前ではないし、その場で言わなかった私自身を責めて今なお悔やんでいます。




