009 そして物語は始まる
「まさみ、瑞穂さんを返すよ」
「瑞穂さん!」
リビングの隣の六畳くらいの部屋に秋月は居た。
すごい暖房が効きすぎているくらいの部屋でまるで蒸し風呂だった。
いくら二月だからってこんなに暖房を効かせるなんておかしいだろ?
そんな中で二人のガードマンは汗すらかいていない。
だけどまさみは先ほどまで羽織っていたはずの革ジャンを脱いで、今はワイシャツだけになっていた。
額にも汗が滲み出ている。
そしてワイシャツにはピンクの下着が透き通って見えていた。
こいつちょっと派手な下着も着るんだな。なんて軽く思っていたんだが。
「ご主人様もうよろしいですか?」
「ああ、もう終わった」
二人のガードマンは部屋から出ていった。
まさみはハンカチで汗と涙をぬぐっている。
「瑞穂さん、まさみはお待ちかねだったようだよ?」
「あ、はい……ま、まさみさん……お待たせしました」
「よかった……無事で……」
いっぱい泣いたのか、秋月は真っ赤な瞳で俺を見据えるとすぐに立ち上がり俺に駆け寄ってきた。
そして、勢いよく俺をぎゅっと抱きしめる。
「まさみさん……うう……」
本当にこういう仕草は昔から女みたいだなお前……すぐ泣く。
「ん?」
ここで俺はとある男子にはありえない感触に動揺した。
間違いかと思い自分から体を密着させてみるが、それは確かに存在した。
相撲とりならありえるが、こんな細い体でこの部位に脂肪の塊がついているはずがない。
そしてゆっくりと後ろを振り向く。
「よかった……よかった……本当に……何かされたんじゃって心配だったんだ」
「な、何もされなかったから安心して」
俺と目が合った父親がニヤリとほほ笑む。
いや、ちょっと待て……こんなの聞いてないぞ?
「えっと、お父さん? なんでこの部屋はこんなに暑いのですか?」
「察してもらう為だね」
「……」
……こいつの秘密を俺に知って貰うって言うのか?
何で? こんな回りくどいやり方しなくってもさっき言えば良かったんだ。
「瑞穂さん……本当によかったよ」
間違いない。
この柔らかい体。
この独特の骨格。
この膨らんだ……胸部。
そうだ……
今まで触れ合わなかったからわからなかったけど……
まさかまさみは……
「瑞穂さん、まさみは君の恋人として相応しい相手だよね? そう思うだろ?」
その含みを持った笑顔に俺は完全に確信した。
そう、恋人として相応しと言っている理由はひとつだ。
まさみは男じゃない。女だから。
「ふふふ。瑞穂さん、こんなまさみだけど宜しく頼むよ?」
そうだ、まさみの父親と母親はまさみを男装させて高校に通わせていたのだ。
さっきこの両親が言っていた。
女装と男装が商売になるって。
きっとまさみは男装の実験も兼ねてこんな恰好で俺の高校に通わされていたのだ。
遠い俺の学校に通っていたのは、知り合いがいないからか?
でも、戸籍とかごまかせないだろ? 学校とか女子を男子として通わせるはずないだろ?
でも考えてみればうちは私立だった。
そうか、もしかすると学校もグルかよ。
うちは私立だし、こんだけでっかい企業からお金貰ってたら隠し通すかもしれない。
「あんたら……」
だから彼女をつくれという叶いそうな宿題がとんでもない宿題になっていたんだ。
そんなの、ふつうに考えても無理だろう?
女が彼女をつくるとか、できるはずないじゃん!
ましてや恋人同士になってマジでピュアな関係を保つとか無理すぎだろ?
女の子だって男の子だってそういうのに興味あるじゃないか。
最低でもべたべたするだろ?
「なんだい?」
今のまさみは我を忘れているから、そして俺を女だと思っているから抱き付いているんだ……
今日だけで終わる関係だと思っているからバレてもいいって思っているのかもしれない。
おかげでまさみが女性だってわかったんだけど……
「……ひどい人ですね」
マジで最低だなこの親は。
くっそ……三年もお前は女装してこんな仕打ちを我慢してたのかよ?
アホだろ? マジでアホだろ?
だから友達つくんなかったのかよ?
だからいっつも体育休みだったのかよ?
だから修学旅行も来なかったのかよ?
マジで馬鹿だな。くっそ!
「自覚はしてるよ」
「……くっ即答かよ」
この後、まさみの両親からまさみに俺(瑞穂)と一年の交際をする事を命じられた。
まさみはまさかの展開に言葉を失っていた。
本気で動揺して、そして泣きそうな顔で両親に『何でだよ』と詰め寄っていた。
そりゃそうだろうな、まさか俺(瑞穂)と一年も付き合わなきゃいけないんだから。
そしてまさみは優しいからか、自分の夢を諦める趣旨の言葉を両親へと放ったのだけど、もちろん俺がそれ自体を拒んでやった。
俺はお前の両親ともう約束しちまった。
お前と一年間だけ恋人として過ごすってな。
★☆★
「あ、あのぉ……」
豪邸からの帰り道。
秋月が俺を駅まで送ってくれている途中。
もちろんもう革ジャンを着ているのでピンクの下着は透けて見えない。
「なんでしょう?」
俺はまさみの両親に男だってバレている。
でも、まさみにはバレていない。
要するにこれから一年はこいつの前では女として通さないといけないんだ。
「ほんとうにごめんなさい!」
真っ赤な瞳のまままさみが平謝りしてくる。
でも、俺はまさみに対してはまったく怒ってない。
まさみの両親に対してはマジで腹立ってるけどな。
「いや、いいですよ。恋人として付き合うって言っても、今日と同じで恋人のふりを一年するだけですからね」
「で、でも、瑞穂さんは本当に可愛いし、こんな事をしてたら彼氏だって作れなくなりますよ?」
「えっと……」
それは大丈夫だから。俺は男だから。
それより……俺はお前が女だという秘密を知っているからやりずらいんだよな。
「フリだって認めてくれる男性はいないですよ!」
「ああ、はい。でも大丈夫です。うん、私は彼氏とかあまり興味ありませんので」
少しでも秋月が後ろめたい気持ちにならないようにそう言ってみた。
それにこう言っておけば俺もそう言っておけば変な関係にならないだろうという予防線にもなる。
「そんな……それって僕の為に言ってませんか?」
「いえいえ、特別あなたを気遣ってませんし、ふりなら大丈夫でしょ?」
「そうですか……本当に申し訳ありません……でも、嫌だったらいつでも言ってくださいね? 僕、そこまでして親に約束を守ってもらわなくてもいいので」
秋月は唇を噛んで俯いた。
おい秋月、そこは違うだろ?
本当はすっごく夢を叶えたいんだろ?
だから三年も我慢して、また一年我慢するんだろ?
お前だって本当は女だって事を隠してまで俺と付き合うのは嫌なんだろ?
そんなお前に比べや俺なんてほんの十数回の女装で済むんだよ。って言えないけどな。
「本当に気にしないでください。あと、これからも偽物の彼女ですが宜しくお願いしますね」
「は、はい! こちらこそ宜しくお願いします」
深々と頭を下げる秋月の頭に白いものが乗っかった。
見上げれば空から白い氷の綿がゆっくりゆっくりと降り注いでくる。
「あ、雪ですね」
「うん、そうですね」
雪は俺の手のひらに乗ってすぐに溶けた。
「それじゃ、気をつけて……」
「はい、まさみさんも」
まるで本当の恋人同士かのように改札を挟んで手を振りあった。
こうして俺が彼女で彼女が彼氏と言う不思議な、そして偽物の恋物語が始まる事になったのだった。
某二月、寒い冬の雪の日。
『秋山瑞穂か……そう、俺は秋山みずきじゃなくって秋山瑞穂なんだ』
『どうしよう……なんで秋山君の従姉妹さんとこんな事になっちゃんったんだろう……私、秋山君になんて説明すればいいんだろう……もう……なんか……つらいよ』
互いに互いの気持ちなどまったく理解していない二人の交差する恋の物語が。
終わり
明日の更新で本当に完結になりますが、明日の更新はこの小説のあるはずのない未来予告の予定です。
この先の展開に興味のない方はここで終了にするのが吉。




