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「うっ、うるさい。どこのどいつか知らんが、ワシはこの下賎な女に身の程を弁えるように諭しているだけだ!」
そう反論しながら、アデス伯爵は声をかけてきた第三者を振り返った。
「ほぅ。身の程を弁えるように、ね ――― それは貴公にもいえることではないのか? そもそもそちらの女性は陛下ご自身が保護されお部屋を賜れた方のはずだが、貴公はその点を理解しているのかな?」
そこに立っていたのは、にこやかに微笑みながらも目は決して笑っていない銀髪の男だった。
その人物の姿を確認したアデス伯爵は、その場に凍りつく。
「え、あっ、こ、これは…ワーズワース侯爵……た、大変な失礼を…」
「ああ、本当に失礼な物言いだったね。この私を怒鳴りつけるなど、貴公は勇気のある人物だ」
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆっ、勇気などっ…ごっ、ございません。ワーズワース侯爵、ど、ど、どうか、お許しをっ」
冷や汗を流し、どもりながら謝罪の言葉をつなぐアデス伯爵を、“滝のように流れる冷や汗ってはじめて見たわー、すっごーい”と感心しながら八重は見つめた。
視界の端にワーズワース侯爵と呼ばれた男の姿がチラリと入ってくるが、俯いたままあえて見えない振りをすることも忘れない。
「お許しを、ね。私より先に、謝罪せねばならない方がおられると思うのだが?」
ワーズワースの言葉に、アデスがグゥッと言葉を詰まらせる。
『こいつ何言ってるの!? 確かにブチ切れそうだから救助してくれる人間を求めはしたけど、そこまでさせなくていいわよ。ハゲスなんてちっとも怖かないけど、そんなことしたら逆恨みされちゃうでしょうが! 私に恨みでもあるのか、この外道っ』
蛙がつぶれるようなアデスのうなり声を聞きながら、八重はワーズワースの言動にムカつきを覚える。
ただし場所が場所だけに本性を晒すわけにはいかず、グッと堪えるしかない。
「たっ、たたた、確かに…ワーズワース侯爵の、おっしゃるとおり、です……女、あ、いや、ラヴィ、ニア、嬢……」
屈辱に声を震わせながらアデスが八重の通り名を呼ぶと、彼女はビクリと殊更大きく身体を硬直させた。
視線はあくまでも床に向けられたままだ。
「そ、の…何というかだな……し、失礼なことを言って、も、もうし、わけ、な、い……ゆ、許して、くれ!」
アデスは一欠けらも悪いなどと思っていない謝罪を口にすると、
「ワ、ワーズワース侯爵にも改めて、謝罪申し上げます。きゅっ、急用を思い出したので、これにて失礼させていただきますっ!」
ワーズワースにも改めて謝罪の言葉を口にして、脱兎のごとくその場を逃げ出したのだった。
* * *
アデス伯爵が走り去った後も、八重はしばらく床に視線を落としたまま身動きひとつせず、とりあえずワーズワースがその場を立ち去るのを待つことにした。
だが何を考えているのか、ワーズワースはその場を立ち去ろうとはせず、二人の間に沈黙が流れる。
「……」
「……」
視線を上げる気になれないので、仕方がなく床を凝視しながらそこに映る自分の姿に“掃除が行き届いているなぁ”と関心していると、沈黙を破ってワーズワースが八重に声をかけてきた。
「災難でしたね、お嬢さん。まさか陛下の大切な客人をあのように愚弄する愚か者がいるとは、情けない限りです。上位貴族を代表して、お詫びいたします」
衣擦れの音に、ワーズワースが謝罪の礼を取ったことを理解する。
「……」
自分にちょっかいをかけてきたアデスではなく、まったく無関係のワーズワースが謝罪することに違和感を感じずにはいられない。
「お許しいただけませんか?」
正直、係わりあいになりたくない人物なのだが、そう問われて無視できるはずがない。
八重は小さく息を吐くと、長く床に向けていた視線をワーズワース侯爵に向けた。
そこに立っていたのは、三十代半ばほどの容姿を持つ、鮮やかな銀髪の無駄にキラキラした長身の男だった。
エヴァンジェリスタの超絶美形顔を知っているので驚くに値しないが、彼の隣に立ってなお霞むことのない麗しい顔の持ち主だ。
しかしその顔にはイヤというほど見覚えがある。
だが今の今まで八重自身、存在を忘れていた男だ。
『何でこいつがエヴァの城にいるのよ!? ってゆーか、ワーズワース侯爵ってなに? こいつの名前じゃないでしょうが!』
ここが往来の通路でさえなければ、すぐにでも首を締め上げて問いただしてやるのに! と物騒なことを考えながら、演技を続けた。
「謝罪は、お受けします…助けてくださって、ありがとうございました」
泣き出しそうな声を演出して再び俯くと静かに後ろに後退し、そのまま一目散にこの場を去ることにする。
「お待ちください」
だがそれを狙い済ましたかのように、ワーズワースの手が八重の右手首をやわらかく掴んだ。
!!
「ああ。不躾なことをして申し訳ありません」
目を見張る八重を見て、ワーズワースは慌てて謝罪しながら掴んだ手首を離す。
「…いえ……」
青い瞳がまっすぐに八重に向けられ、何か問いたげに細められるが、“聞いてやる義理などない!” と彼女は心の底で叫んだ。
「お戻りになられるのなら、お送りしましょう。またあのような輩に出会わぬとは限りませんので」
「え? あっ、そんな…侯爵様にそこまでしていただくわけには参りません」
“余計なお世話っ!”と思いながら、やんわりと断る。
「私の身分などお気になさらず。先ほども言いましたが、貴女は陛下のお客人として城に迎えられた方なのです。立場的には私よりも上位にあたります」
だがワーズワースはしつこく食い下がると、八重の返答を待たずに改めて八重の手を紳士的にとった。
「お部屋まで送らせてください。ラヴィニア嬢」
ここで八重がワーズワースの手を振りほどけば、無用な醜聞を立ててしまうことになるだろう。
「…では、よろしくお願いいたします」
時には妥協も必要だと自分に言い聞かせながら八重は頷き、ワーズワースに導かれるまま城内へと戻ったのだった。
2012.11.11 ムーン様に投稿
2014.2.1 なろう様に再投稿




