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ラヴィニア・ホワイト。
彼女は神聖ファーノ帝国皇帝エヴァンジェリスタの誕生祭当日、突然王宮に現れた謎の女性としてこのひと月、貴族たちから注目を浴び続けていた。
王宮に現れたその日のうちに王宮内に部屋を与えられたことから、皇帝陛下の御手がついた女性ではないか? と疑う者もいたのだが、王宮に住み着いて十日も過ぎないうちに宰相のそばで書類を整理したり、お茶を淹れたりするラヴィニアの姿が見受けられるようになったことから、貴族の中には彼女のことを影で“宰相の愛人”と揶揄する者も現れた。
ただ、彼女にあてがわれた部屋が皇帝陛下の私室の目と鼻の先にあること、部屋を移る気配が一切ないことなどから現在は“陛下の側室”説と“宰相の愛人”説がほぼ同数で対立していた。
そしてラヴィニアが現れて半月が過ぎる頃になると、彼女の噂は帝国内の貴族の令嬢たちの間に広まり、多くの令嬢を嫉妬させた。
皇妃に就けることは無理でも、自分の娘を皇帝の側室に据えたいと思っている野心ある令嬢の父親たちは、ラヴィニアの存在を疎ましく思いながらも、まずは彼女がどういう人間なのか、その出自・性格・容姿などを調べることにしたようだった。
しかし彼女の出自に関しては、どのような手段を用いても知ることはできなかったらしい。
性格についても、城に迎えられてわずかな日数しか経っていないことから的を得た回答が返されることはなかったようだ。
そして彼女の容姿だが、彼女の姿を見たすべての人間が揃って“至って平凡 ――― というより、一度顔を見ただけではほとんど印象に残らない地味な女性だった”と答える旨の報告を受けると、平凡な顔をした女が娘のライバルになるはずがないと決めつけ、父娘ともども彼女をこけ下ろし始めたのである。
実際、王宮内を一人で歩いているラヴィニアと出会った貴族の中には、あからさまに彼女を侮辱する発言をする者も現れた。
彼女はそんな相手に絡まれると、決まって無言で彼らの心無い言葉を受け止め、最後には今にも泣きそうな顔で逃げ出すようにその場を走り去るという行動を繰り返しており、その弱気ともとれる態度がますます彼女を侮辱する者たちを付け上がらせる原因にもなっていた。
ただし、それらはすべてラヴィニア自身の計算による行動であり、彼女を侮辱することで優越感を感じている貴族連中は彼女の掌の上で踊らされているだけなのだが。
そしてその日もある貴族が一人で廊下を歩いていたラヴィニアを呼び止め、一方的に嫌味を聞かせていた。
「まったく。どこの馬の骨ともわからぬ下賎な女が、身の程も弁えず皇帝陛下のお傍に侍るなど度し難い所業だな。いい加減、お前の軽い頭でもワシの言葉の意味くらいはわかっても良かろうにのう」
「…」
「大体、美しさを微塵も感じさせないその顔で、よくお美しい陛下の前に顔を出せるものよ。恥すら知らんとは情けない女よ。陛下も宰相閣下もこのような女のどこがお気に召して宮中に留め置かれるのかまるで理解ができんな…いや待てよ。顔はともかく身体は立派に女のものに見えるな。もしや、アソコの具合が相当イイのか? その身体でお二人を誑かしているのではないのか?」
「……」
言い返すこともなく、ラヴィニアは泣きそうな顔でうつむき、男の嫌味を浴び続ける。
時折二人の存在に気づく者もいるが、新参者でしかないラヴィニアに助け舟を出す者はなく、皆見て見ぬ振りをして通り過ぎていた。
ラヴィニアにとってはまさに孤立無援の状態といえるだろう。
だが現実は、まったく違っていた。
なぜなら、見た目の悲愴さからは想像もつかない思考が、彼女の胸の内を渦巻いていたからである。
『しっかし、よくまあ大の男がか弱い女に毎日毎日入れ替わり立ち代り、嫌味攻撃を仕掛けられるものよね。しかも嫌味を言ってくるのがみんな年頃の娘持ちのお貴族様ってところが笑えるったらないわ~』
ラヴィニア・ホワイト。こと遠野八重は、プププッと心の中で笑いながら、目の前で言いたい放題のことを言っている男 ――― アデス伯爵の足元を見つめた。
チビ・デブ・ハゲの三拍子が揃った人物なので、正面から顔を直視してしまうと大笑いしてしまう自信があるため、とにかく視線をそむけるしかないのだ。
『自分の娘をエヴァの嫁にしたいなら、“陛下の傍にお前のような女がいること自体が邪魔なんだ、城から出て行け!”ってはっきり言えばいいのに、遠まわしに嫌味しか言えないあたりがめちゃくちゃ小者よね』
漫画や小説の中でしかお目にかかったことのない王道な展開であることも、愉快でたまらない。
城にとどまることを決めた当初は、自分を煙たがる存在がこれほど存在するとは思っていなかったが、よくよく考えると見た目超イケメンな独身皇帝のすぐ傍に出自不明な女がいれば、排除したいと思う人間の一人や二人や十数人、いてもおかしくないだろう。
社会人となって十五年以上が過ぎ、平穏で単調な日常生活を送れることこそが幸せなのだと思っていたが、再び異世界にやってきて一ヵ月。
気分は知らない土地で一人旅をしているおばちゃん ――― 知り合いは誰も見ていないんだから、少しくらいはじけちゃってもいいんじゃない? ――― な心境になっていた。
「お二人がその身体に飽きたら、ワシの元へ来るがいい。一度くらいは相手をしてやろう。顔は好みではないが、アソコの具合さえよければ飽きるまで傍に置いてやるぞ」
アデス伯爵の話など、聞いた振りして半分も聞いていない八重だが、聞き逃してはならない言葉はちゃんと聞いているのである。
『ほんっと、救いようのないバカだわ。わたしとエヴァの関係が謎な以上、下手なことを言うべきじゃないってことくらい普通わかるわよね? おたくが今言った言葉を、私が二人に伝えないとか思っているのかな?』
多分そう思っているのだろうなと確信しながら、アデス伯爵の名を自らの頭の中にある抹消者リストの上部に書き込んだ。
それにしても、と八重は思う。
魔力を膜で覆って身体の外に漏れないように細工し、見た目もこれでもかというほど影の薄い平凡顔に映るように魔法をかけ、嫌味を言われても言い返すこともできずにすぐ泣きそうになる気弱な女を演じただけで、八重に悪意を抱く貴族たちが連日いびりにやってくるのだ。
それこそ、社内一の彼女なしの独身イケメン出世頭青年に群がる独身女社員たちが、更衣室で日々繰り広げているライバルを蹴落とすためのいびりと大差ない。
ただしここで行われているいびりは女同士の間で繰り広げられるものではなく、国を支えるはずの有力貴族の当主が後ろ盾のない若い娘を槍玉にあげて行っているのだが。
『大の男が反論もできない弱い女をいじめて罪悪感ひとつ感じないなんて普通じゃないわよね。現時点でこの国が世界一の大国らしいけど、国を支えるはずの貴族がこんな低レベルな人間の集まりじゃあ先行きは暗いわね』
もちろんすべての貴族が低レベルだとは思っていないが、優秀だと思える貴族には今のところ片手の指で数えられるほどしか会っていない。
『エヴァって皇帝としては優秀だとは思うけど、立派すぎてほとんどの問題を一人で解決しちゃうのよね。だから下がうまく育たないんだろうな。確かにエヴァが処理した方が無駄な時間を割かずに済むんだろうけど、やっぱり下の連中を育てるには時間がかかっても、たとえ失敗したとしても、あえて任せるくらいしなきゃダメよね ――― あー、それにしてもこのオヤジ話長すぎ! いい加減うざいぞ、いい加減切り上げろ、ハゲスぅ』
決して我慢強い性格とはいえない八重は、ねちこいハゲス…もとい、アデス伯爵の話に飽き飽きしてきていた。
『あーっ、イライラしてきた。誰かヘルプッ、ヘルプミーッ! せっかくの擬態が解けてブチ切れる前にハゲスをどこかに追いやって~』
目じりに涙を溜め、唇をかみ締めながら、八重は表情からは読みとれない事を考える。だが二人がいる廊下を通る者はそれほど多くはない。
何より八重を助けようという奇特な人間自体が、王宮にはほとんどいないのだ。
ある意味、絶体絶命。
カウントダウン開始まで残り三十秒くらいだろうか?
『落ち着けー、落ち着くのよ。わたしは大人、立派なおとなーっ』
苛立ちのあまり自然と頭が揺れ、演技で溜めていた涙が頬を伝う。
「ふん。泣けば済むと思っているあたりが姑息だな」
彼女の涙を見たアデスが嬉々として言ったかと思うと、
「まったく。先ほどから黙って聞いていれば、そのように年若いお嬢さんをよくもまあそこまで苛めるものですね。感心しますよ、アデス伯爵」
突然その場にあきれ返ったといわんばかりの声音で、第三者が割り込んできたのだった。
2012.11.4 ムーン様に投稿。
2014.2.1 なろう様に再投稿。




