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どんなジャックにもジルがいる  作者: 黛ちまた


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58/73

58.どうか私を信用しないでください

「レジー様?」

「ごめん、フィア。考えごとをしてしまって」

 

 声をかけると、我に返ったような顔をなさって、慌てて私に謝罪なさる。私のことだけを考えてほしいとお願いしたから、そうできていないことを申し訳なく思われるのだと思う。


 レジー様は私を慮り、人目はあるけれど、人の少ない場所を選んでくださる。私の為にそうしてくださっているけれど、今のレジー様にとっても都合がいいのかもしれない。

 

「先日の方とベン様のことを考えておいでですか?」

 

 ちらと周囲に目をやると、力なく頷く。

 

「さすがフィア、僕のことはお見通しですね」

 

 いつもよりも覇気のない笑顔。

 

「……僕がもう大人だったら、少しは違ったのかとか考えてしまうんですが、大人になっても僕では力が足りないだろうなとか……そんなことばかり考えてしまう」

 

 私達は成人したとはいってもまだ形ばかりで、親の庇護下にいる。学園を卒業したらすぐに立派な紳士淑女になれるわけもなく。レジー様のおっしゃる、大人になっても、というのはそういったことなのだと思う。

 

 全てを話してはいただけないけれど、おおよそのことは教えていただいているし、お父様も教えてくださる。全てではないのは、私を案じてなのだということも分かっている。

 ご本人が認めてらっしゃるように、レジー様を悩ませているのは、弟のベン様と一緒にいた、クックソン家令息 ネヴィル様の恋人、オースチン嬢。

 あの方がどういった意図をもってベン様に近付いたのか。そこに悪意があるのなら、レジーはこのように憂いているのではなく、苛立ちのようなものを滲ませるのではないかしら。

 表面ではなく裏を読めるようにならないといけない、そうジェマに言われて、心掛けているけれど、なかなかに難しくて、立派な淑女になるのは少し時間がかかりそう。

 

「私、今の自分を前よりも好ましく思っております」

 

 頷くレジー様。

 

「ですがまだ、私は完璧な淑女ではありませんし、実のところレジー様への独占欲も全て出してはおりません」

 

 衝撃を受けた顔をなさるレジー様。もっと出してほしいとおっしゃるに違いないわ。

 

「フィア、遠慮しないでください。婚約者なんですから」

 

 婚約者だからといって、いえ、婚約者だからこそ配慮が必要なのに、レジー様はこうやって私を甘やかす。

 

「今日より明日、明日より明後日。私はより成長しているはずです。レジー様もそうです」

「フィア……」

 

 一瞬、レジー様に浮かんだ笑顔は、すぐに悲しい表情に変わった。

 

「……自分には思いも付かないような極悪非道なことをする者がいて、でも本当はその人物も被害者で……悪いのは誰なのかは分かっているのに、何も出来ない自分が、傲慢な言い方をしますが、情けなくて」

 

 お父様は、子供は考え、行動し、失敗することで多くを学ぶとおっしゃっていた。その通りにできれば簡単だけれど、私達は大人の世界にも足を踏み入れてしまっているから、自分だけの問題ではなくなってしまっている。

 レジー様が立ち向かおうとしているのは、この国の頂点の地位を手に入れる為に悪事を働くクックソン家。それこそあちらが時間をかけてきたことに、力も知恵も満ち足りていない者が立ち向かうのは至難だと思う。私ならきっと投げ出してしまうと思うのに、この方は諦めない。逃げたくなるような状況なのに、気弱なことを口になさっても、きっと逃げ出さないと思う。レジー様はそういう方。

 真っ直ぐに物事に立ち向かうけれど、ただ正面から自分の考えだけをぶつけるわけではなくて、様々なものを受け入れて、前へ進んでいく。簡単なことではないのに、自然とそうなさる。

 

「どのようなことになって、後悔なさったとしても、私はレジー様の味方です」

 

 何もしないほうがよかったなどと、勝手に言う方もいるとは思う。そうかもしれないけれど、何もしない者がしたり顔でそのようなことを言うのを見るのも聞くのも嫌。人の失敗から学ぶ人なら、そのような発言をするはずもないもの。

 

 レジー様が笑顔になる。優しくて、柔らかい笑顔。この笑顔が大好きで、本当は独り占めしたいし、閉じ込めてしまいたいぐらい。

 私にできることがあればいいのにと思ってしまう。私の存在が邪魔にならないようにと、気を付けるぐらいしかできない。







「ご機嫌よう」

 

 マギー・パット・オースチン嬢が私に会いに来てしまった。タウンハウスにではなく、学園に。

 卒業生は自由に訪れることができるのだから、彼女がここにいるのはなんら不思議なことではない。けれど、なんて大胆なの。

 

「私があなたにこうして会うのはこれが最初で最後」

 

 最後という言葉に引っかかってしまう。もしや私を害そうと?

 

「本題の前に、まず謝罪をさせていただきたいの」


 謝罪?

 

「愚か者の弟があなたに暴力を振るったこと。とんでもないことだわ。あなたに怪我がなくて良かったけれど、婚約者のトレヴァー子息は大怪我をなさったもの」

 

 ミラー家がオースチン家から謝罪を受けた際、マギー様はいらっしゃらなかった。その時は姫のおそばに仕えていたから。

 

「申し訳ありません」

 

 深々と頭を下げられて、反応に困ってしまう。

 頭を上げると、私を見て苦笑いを浮かべる。

 

「ごめんなさい。色々と騙し討ちのようになってしまって。自由に行動ができないものだから、このような形になってしまったの。できたとしても、オースチン家に対してよく思われてはいないだろうから、お会いすることも難しいのは分かっていたし」

「えぇ、きっとお断りしておりました」

 

 ふ、と口元に浮かべた笑みに、いやらしさはなかった。怖い人物だと聞いていたのに、思っていたのと異なって戸惑ってしまう。

 

「婚約者からどれだけ教えていただいているの?」

「おおよそのことのみです」

「全てが秘密ではないのね。彼はあなたにとても誠実なのね」

「えぇ」

 

 レジー様は誰よりも私を思ってくださる方。

 

「このままでは、決定的な証拠を得ることができずに、クックソン家を取り逃すと思うわ」

「皆様が努力なされても無駄だと?」

「阻止はできても、逃げ延びてしまう」

 

 それでは駄目なの、とマギー様はおっしゃる。

 

「あの家の不遜な野望は完全に潰えさせなくてはならないのよ」

「私にそのようなことを仰せになるということは、なにか提案していただけるのですか?」

 

 そう尋ねれば、マギー様はにっこりと微笑んだ。

 

「察しの良い人は好きよ。話が早く進むから」

「私に出来ることは多くありません。その私でも出来ることがあるのなら、教えていただきたいのです」

「あるわ」

 

 そう言って私に封筒を差し出した。受け取り、マギー様の顔を見る。

 

「これは……?」

「証拠という奴よ。本物。大丈夫よ、偽物も置いてきてあるから」

「偽物と露見することはないのですか?」

「ばれることはないと思うわ。あぁ、これについてはあなたの婚約者様にとても感謝しているの」

「レジー様にですか?」

「そうよ。愚弟がトレヴァー子息と張り合おうとして画家を探した時にね、贋作が得意な者を見つけることができたの」

 

 レジー様に対抗すべく、代わりに絵を描く画家を探すだろうとは言われていたけれど、まさかそれがきっかけで模写をする画家を見つけるだなんて。

 

「私が目指すのはネヴィル・リー・クックソンの破滅。どれだけ時間がかかろうと問題なかったのよ。けれど、本物を私が持ち続けるのは危険でしょう? かと言って何処かに預けることもできなくて。それでここに隠すことに決めたの」

 

 トントン、と指で本の背表紙を叩く。

 

「かと言ってずっと置いてもおけないし」

「それで私に? 私は狙われているのではないですか?」

「トレヴァー子息の弱点であることは誰もが知るところだからこそ、狙えないのよ。ネヴィルが狙うのは完璧な王位簒奪なの。あからさまなことはできないわ」

「ですが、ベン様のことは勧誘なさってますよね?」

「えぇ。でもトレヴァー家が中立派だからで説明がついてしまうわ。中立派を自分の派閥に引き込みたかった、それでいいの。嘘ではないでしょう? 情報を流せなんて一言も言われていないはずよ? ささやかな嫌がらせよ。トレヴァー家側がしていることに対する。その程度の牽制は誰だってするわ。これを機に完全に王家の派閥につかないことは誰もが分かっているの。ハンプデンだもの。気が合わないからといって敵対するには影響力がありすぎるのよ、あの一族は」

「まぁ……大変細やかな攻防をするものなのですね」

 

 私の表現がおかしかったのか、マギー様が笑う。

 

「遠慮せず、小賢しいと言っていいと思うわ」

「お預かりして、そのまま王家にお届けしてよろしいのですか?」

「王太子殿下の婚約者が狙われる騒動後にお渡しいただきたいの。ジェーン殿下を経由して」

 

 マギー様は姫に酷いことをなさったと聞いている。洗脳まがいのことをなさったと。けれどこうして話しているととても感じが良くて、そのようなことをした人には思えなくて。目の前の方が分からなくなる。

 

「ジェーン殿下になさったことを、どう思っておいでなのですか?」

「貴女、真っ直ぐなのね」

「マギー様を信用していいのか、判断がつきません。それなのに言われるままに証拠を預かったことで、私の大切な方達を危険な目に遭わせるわけにはまいりませんので」

 

 そうよね、とマギー様は答えて微笑む。

 

「もし殿下に言伝を頼めるのなら、私を信用しないでくださいと、お伝えしてほしいわ」

「……それですと、この証拠もお渡しできません」

「最終的な判断はお任せするわ。私としても手は一つではないの」

 

 この証拠が駄目になったとしても、他にもやりようがある、そうおっしゃる。

 マギー様の目を見る。左右の瞳の色は、近くで見なければ分からないような、ほんの少しの違い。

 

「大変月並みな言葉で申し訳ないのですけれど」

「なにかしら」

「私はマギー様の右の瞳の色、好ましく思います」

「月並みならば両方を褒めるのではなくて?」

「私、できる限り素直に生きることにしたのです」

 

 レジー様に出会って、私を受け入れてもらえてとても嬉しかった。自身の行いの所為だけれど、これまで多くの婚約者に受け入れてもらえず、婚約を解消されてきた。自分を変えねば、そう思うのに変えられなくて、苦しかった。家の為に変わらねばならないのに、変わらなくてはならないことが辛かった。

 けれどそんな私をレジー様は受け入れてくださった。それがどれだけ嬉しかったか。マギー様がクックソン令息を愛してしまった気持ちが嫌というほどに分かる。

 己を偽ることなく、生きることは難しいこと。全てに素直になれなくても、素直になれるところは素直でいるようにしている。

 

「そうなのね。ありがとう」

「お預かりいたします」

  

 頭を下げると、マギー様は去って行った。

 

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