第324話 実験
「ご主人様。お願いがございます」
立ち上がったエルがいつもより真面目な表情の侍女モードでそう告げる。
もしかして国語のドリルは全部解き終わったんだろうか。日本語を全く知らない人間が解くにはそれなりに難しいと思うけど、さっき日本語で挨拶を返してきたしなぁ。
「どうしたの?」
なんとなく身構えていると、本来の主人である莉緒が一歩前に出る。エルもテーブルの前から離れるとこちらに近づいてきて跪くと首を垂れる。
「……ニホンに行きたいです」
「え?」
「あ、いえ、そうではなく……、ニホンゴを喋れるようにもっと勉強がしたいです」
ぼそっと呟かれた言葉に聞き返すと、顔を上げて切実に訴えてきた。行きたいと聞こえた気がしたけどそっちが本音なのかもしれない。
「数単語ほど喋れるようになったとは思っていますが、発音が合っているのかわかりません」
「うーん。確かに、さっきのも微妙に間違ってたわね」
「やはり……」
莉緒の言葉に表情を曇らせるエル。なんとなく予感はしていたのかそれほどの落ち込みはないようだ。すぐに視線を上げると真面目な表情に戻っている。
「ニホンゴの発音がもっと知りたいのです。ニホンゴがいつでも聞ける環境が欲しいです!」
だんだんヒートアップしてきたのか口調に力がこもっている。
「カデンセイヒンの仕組みを解き明かすのに必要なのです!」
立ち上がると右こぶしを握り締めるとそう宣言する。ここまでぐいぐい来られると正直ドン引きだ。
「あー、うん……、がんばって」
「はい! がんばります! ですのでぜひとも!」
前に聞かれたことがあったが、ただの高校生である俺たちが家電製品が動く仕組みを知ってるはずもない。ただ電気を動力源として動いてるとしか答えられなかったのだが、エルはそれでも諦める様子を見せなかった。
こうなったら教材を買って自主的に勉強してもらうしかないが、その前に日本語を読み書きできるようにならないといけないのだ。高校生だった俺たちでもさっぱりわからないのに、エルのやる気はとどまるところを知らない。
「スマホがあれば動画は見れるけど」
ちらりと莉緒から視線を向けられるが、なんとなく言いたいことはわかる。基本的にはこっちの世界だと圏外だが、次元魔法で日本とつなげるとかろうじて電波が立つのだ。ネットにさえ繋がれば、日本語を話す動画が見放題になるだろう。いい機会だし、スマホを作ったみたいに次元をつなげる魔道具も作ってみてもいいかもしれない。
「ちょっと考えてみるかな?」
まだ夕飯まで時間がありそうだ。リビングのソファに腰を落ち着けると腕を組んで考え込む。その様子を見たエルが興奮状態でお礼を口にすると、機嫌よく夕飯の支度をしにキッチンへと姿を消した。
スマホにも次元魔法を付与してあるが、あくまでも補助だ。今回はメインとして付与するわけだが多少の応用でいけるんじゃなかろうか。
日本へと通じる穴を空けて維持する魔道具だ。仁平さんから届いたメッセージを読むときは一時的に魔法で穴を空けているけど、最低限それを肩代わりさせることを考えている。
「うーん……、やっぱり家の中くらいどこでも繋がるようになったほうが便利だよなぁ……」
「それはそうだろうけど……。あ、ほら、WiFiとか設置できたらいいんじゃない?」
「そういやそんなのもあったな。それなら家中カバーできそうだけど……、どうやるんだろう?」
自分が知ってるWiFiは日本にはあったからたぶんあっちの日本にもあると思うけど、追加で契約とかいるのかな。少なくとも次元の穴を空けた向こう側から漏れる電波を使うより、WiFi機器ごとこっちに置いたほうが便利そうなのは確かだ。
「そこは仁平さんに聞いてみましょうか」
「そうだな。じゃあケーブルを引っ張り込めないかまずは実験してみるか」
ケーブルさえ引き込めるならネットだけじゃなく電気もいけるはずだ。わざわざ大型のモバイルバッテリーも必要なくなるし、できることも増えそうだ。
「よし、まずはロープから試してみるか」
「うん」
ロープを取り出すとさっそく次元の穴を空けて、単独で向こう側へと歩いていく。もちろん反対側は莉緒が握ったままだ。
『着いたぞ』
マンションのベランダへと出て日本に着くと、合わせて次元の穴の維持を止めたことを念話で知らせる。と、手に持っていたロープが引っ張られた。
『まだ繋がってるみたいね』
『みたいだな。すぐ閉じると思ってたんだけど思ったより粘るな』
いつもは世界を渡り切ったところで穴を閉じていたが、今回はただ制御を手放しただけなのでまだ穴は閉じていない。
『でもちょっとずつ小さくなってるみたい』
『確かに』
数分もすれば立ったまま人が通れたくらいの大きさの穴が、ちょっと屈まないといけないくらいにしぼんでいく。
『あ、切れ――』
さらにしばらくすると一気に穴がしぼんでいき、お互いに引っ張り合っていたロープが切れた。ついでに念話も届かなくなる。
ちょっと焦ったけど当たり前といえば当たり前だ。さすがに念話と言えど次元を超えて届くものでもない。
『――る? 柊、聞こえる?』
「え?」
気を取り直して次元の穴を開こうと思ったら念話が届いた。思わず言葉が漏れたけど念話に切り替える。
『あー、あー、聞こえるぞ。こっちの声は聞こえるか?』
つながってしまえば相手をたどるのは簡単だ。
『聞こえる聞こえる! よかった、繋がった』
念話に次元属性が乗っているのが感じられる。やっぱり魔法関連は莉緒のほうが強いな。
『よし、次はミスリルで試してみるか』
『わかったわ』
次の実験に魔力との親和性の高いミスリルを選んだ俺は、莉緒に合流すべく異世界へと繋がる次元の穴を空けた。




