第294話 楓さんの帰還
「あの、少しだけ考える時間をもらってもいいですか?」
おずおずと切り出した楓さんだったが、言うことも尤もである。準備もなしにいきなりここを離れることもできないだろう。
「はい。大丈夫ですよ。俺たちもいきなり押しかけましたし、急いでるわけでもないですから」
「十四郎さんたちは首を長くして待ってるだろうけど」
「なんなら今からパッと行って話だけしてもらって帰ってきてもいいし」
「えっ?」
莉緒の言葉に苦笑しながらそう告げると、よくわかっていない表情が返ってきた。
「えーと、行くのに何日もかかるのでは……?」
楓さんの言葉に莉緒と顔を見合わせる。
なんかかみ合ってないと思ったけどそういうことか?
「一時間もあれば十四郎さんの職場に行けますよ」
「……え? いやいや、いくらなんでもそれは」
「はは、魔法って便利ですよね。だいたいなんでもできちゃうので」
あんまり信じてもらえてないようだけど、実際に一時間もかからないと思う。俺たちが拠点にしているマンションから駅まで徒歩五分。電車に乗ってる時間も三十分もなかったはずで、そこからDORAGON社のビルまで徒歩五分くらいだったはずだ。
「私も魔法を使えるようになってできることは増えましたけど、限度があるでしょう……? ……本当に?」
「ここで冗談を言ってもしょうがないでしょう。どうせ楓さんを連れていく日になればバレるでしょうし」
「そうですね……」
俺の言葉にしばし考え込んでいた楓さんだったが、口をへの字にするとミラベルさんへと向き直る。
「すみませんミラベルさん。今からちょっとだけ行ってきてもいいですか?」
「もちろんかまわないわよ。……五年振りにご家族の方に会えるんでしょう? 行ってらっしゃい」
申し訳なさそうにする楓さんを、ミラベルさんが苦笑しつつも快く送り出す。
「ありがとう、ございます」
深々と頭を下げる楓さんにミラベルさんも胸がいっぱいのようだ。
「こっちのことは心配しないで。何なら一日くらい大丈夫だから、目一杯家族と一緒に過ごしてきなさい」
「……はい!」
「じゃあ孤児院にはエルを置いておきましょうか」
楓さんの一時帰宅が決まったと同時に、莉緒からそんな声が上がった。
「え?」
まったく予想していなかったからか、後ろから声が上がる。
「急に人手がいなくなったら大変でしょう。エルを置いていくのでどうぞこき使ってやってください」
「うん。そりゃいいな。ニルもここに残るだろ? また電車に乗るとケージに入らないとダメだしな」
「わふぅ……」
電車と言う言葉を聞いて耳がぺたりと倒れて悲しそうになる。
「電車……!」
楓さんからも同じ言葉が繰り返されている。
「えっと、そこまでしていただくわけには……」
「気にしないでください。押しかけたのは私たちですし、楓ちゃんがいない間の埋め合わせはさせてもらいます。エル、命令です。ミラベルさんの言うことをちゃんと聞くように」
「畏まりました」
指名を受けたエルが背後から一歩前に出て、軽く頭を下げる。自分も日本に行きたかったオーラが背後から感じられるがスルーする。
「ニルも子どもたちと遊んであげてくれ。怪我だけはさせないようにな」
「わふっ」
「それじゃあさっそく行きましょうか」
フォニアが莉緒の膝の上から降りると俺たちも立ち上がる。椅子をテーブルの中に仕舞うと後ろにスペースを作る。
「あの、どうやって行くんでしょうか」
「ここに今から穴を開けるので、そこをくぐればもう日本ですよ」
「はぁ……」
莉緒が魔力を練り上げるとさっそく次元の穴を部屋の中に開ける。何度か繰り返すうちに発動もスムーズになってきた。
「じゃあ先に行ってるぜ」
「おさきにー」
イヴァンとフォニアがためらいもなく、空間に開いた穴の中へと入っていく。
「さあ楓さんもどうぞ」
ゴクリと唾を飲み込むような仕草をする楓さんが、真剣な表情でテーブルのこちら側へと歩いてくる。
「すごい……、魔力ですね……」
しばらく空間に開いた穴を眺めていた楓さんだったが、意を決して足を踏み入れる。
「では俺たちもこれで失礼します。エル、あとは頼んだぞ。ニルもよろしくな」
「あの子を、カエデをよろしくお願いします」
深々と頭を下げるミラベルさんに頷くと、楓さんの後を追って穴へと飛び込んだ。
出た場所は日本で拠点としているマンションのベランダだ。だいたいが靴を履いたままなので、日本に来るときは出る場所をベランダにしている。
オフィス街ほどではないが、それなりにマンションの林立する住宅エリアである。コンクリート造りの家やビルが立ち並ぶさまは、あの異世界では絶対に見られない風景だ。こちらの時間帯も昼間のようだが、そういえば一日の周期ってあっちも一緒なのかな。
「ここは……」
ベランダから外の風景を眺めていた楓さんがぽつりとつぶやく。ゆっくりと周囲を見回していると、瞳からひとつの雫が地面へと落ちる。
気が済むまで景色を堪能してもらうことにした俺は、さっそくポケットからスマホを取り出して仁平さんへと電話を掛けた。
『もしもし、柊くんかね!』
ワンコールもしないうちに即電話から声が聞こえてくる。
「はい。早いですね……」
『もちろんだとも! 柊くんのほうから連絡をくれるということは、何か進展があったんだね?』
何やら電話の背後から「会長!」という声が聞こえてくる気がするけど、聞かなかったことにしておこう。
「はい。楓さんが見つかったので、今からそちらに連れて向かいます」
『……は?』
端的に成果を告げたが、スマホからは間抜けな一言が返ってくるだけだった。




