82 前を向いて
日が傾き、空が赤く染まり始めた頃、俺は聖女様が用意してくれた屋敷に戻ってきた。
この屋敷はなんでも聖教会に訪れた貴族が使うような所らしく、外観も内装も華やかな造りになっていた。
戦闘の影響で多少散らかっている部分はあったけど、そんな細かいところを気にするような俺たちじゃない。
それに部屋は綺麗に掃除されていたし、わざわざ急いで用意してくれたのに遠慮するのも逆に失礼だろう。
そんな訳でありがたく使わせてもらうことにしたのだ。
扉を開けて中に入ると、赤い絨毯が敷かれた広い玄関ホールに出迎えられた。
掃除をしていたメイドがいたので軽く挨拶と少しばかりの雑談。
すぐに話を切り上げて入り口の正面にある横長の階段に足をかけた。
三階まで上り終え、いくつもの部屋を通り過ぎ、メイドから聞いた目的地にたどり着いた。
バルコニーの手すりに体を寄せて黄昏れているその背中に、なんて声をかけるべきか一瞬悩み、出た答えは名前を呼ぶというシンプルなもの。
「アリス」
普段は艶のある黒髪が、夕日を浴びて赤みを帯びた金色に縁取られていた。
ゆっくりと振り返ったその横顔は、どこか落ち込んでいる様に見える。
「……シヴァ、どうしてここに?」
「誰か帰って来てないかってメイドに聞いたら、ここにアリスがいるって教えてくれたよ。というか声をかけるまで気づかなかったのか?」
特に気配を消していた訳じゃないんだけどな。
「ちょっとボーっとしてて……」
乾いた笑みを浮かべているアリスの隣に並んだ。
手すりに両腕を乗せて外に目を向けると、聖教会アレクサハリンの街並みが一望できた。
「アリスは王都への報告をしに行ってたんだよな。どうだった?」
昨日魔力切れで倒れてから半日近く目を覚まさなかったアリス。
起きてからはすぐに倒れたことを周りに謝って、そのあと王都へ報告をしないと、と言って魔法通信機を借りにどこかへ出かけていた。
「うーん、ちょっとナナリーに叱られちゃった」
「どうして?」
「王都出るときに色々手続きしたんだけど、急いでたから不備があったみたい」
「それはなんていうか」
「それ以外は……うん、よくやったわねって褒めてくれたかな。ああでも、剣を壊しちゃったって言ったらすごく心配されちゃった」
ナナリーさんはアリスのこと妹みたいに思ってるだろうからな。
武器が壊れたって聞かされたら、そりゃ心配もするだろう。
「柄から先が綺麗になくなってたもんな」
「うん」
「ドラゴンにとどめを刺した時のあれはなぁ……」
まさにアリスの全力が込められていた。
それこそ技を放った後に倒れるぐらい。
「今後のことも考えると、アリスの技に耐えられるだけの武器が必要だよな」
「うん。でも私が使ってた剣だってすごくいい物だったんだよ? 元は団長が使ってたやつなんだから」
「どうしてそれをアリスが使ってたんだ?」
「団長が『俺が前に出て戦わないといけない状況ならどうせ剣なんか使わない。だからお前がこれを使え』って以前譲ってくれたの」
アリスがギルバード団長の真似をして、低めの声で教えてくれた。
似てるかどうかはまあ微妙なところだったけど。
「そっか、あの人なら言うかもな」
というかやっぱりあの人のメイン武器は剣じゃないのか。
「でもそれがナナリーにばれて団長怒られてたんだよね。だから同じぐらい良いのを帯剣してるはずだよ」
「そんなことがあったのか。でもそれだけ良いやつでも耐えられないなら、あとはもう伝説上の武器ぐらいしか残ってないよな」
「あ! それってアルフレドが使ってたっていう勇者の剣のこと?」
「そうそれ。まあ伝説上の武器だから本当にあるかは知らないけど。その一振りで山と大地を砕き、空と海を割ったとか、ほんとかよって」
「ほんとにね。でももし、もしもそんな武器があったら、こんなに被害が出る前にあのドラゴンを倒せたのかな……」
落ち込んでる様に見えたのはやっぱりそれか。
もしかしたら子どもの頃の、カムノゴルでの事を思い出してるのかも知れない。
「シヴァが結界を取り戻して、敵を追い詰めるところまでは上手くいってたと思うんだ。だけどね、あのドラゴンが出てきてからは……」
あのドラゴンはロザリーの強化をかなり受けてた。
それこそ町中の人たちから奪った魔力も使っていたんだろう。
強力な剣があったからといって、それであのドラゴンを簡単に倒せたかというと、俺はそうは思わない。
だけど、俺だって以前に無いものねだりをしていたからアリスの事を強くは言えない。魔人化という中途半端なものじゃなく、魔王としての力を使えていればと。
「俺もエンシェントドラゴンが出てくるとは予想外だったよ。それに、どうしたらもっと上手くやれたんだろうな……」
アドバイスすることも、正解はこれだということも俺にはできなかった。
まあアリスもそんなことを求めてる訳じゃなさそうだけど。
「ただ、あんな大物が出てきた割には被害は少なかったんじゃないかな」
一歩間違えてれば町ごと壊滅してた。
いや、もし仮に俺たちが負けたり、あいつを逃がしでもしてたらここだけじゃなくて別の町や、それこそ王都にまで被害が広がってたかもしれない。
そう考えればこの結果はまだマシな方だろう。
「うん。でもね、ゼロじゃないんだよ。きれいごとだって分かってるけど」
「……上手く言えないけどさ」
手すりに寄りかかって町の方に向けていた体ごと、アリスの方に向き直ると、琥珀色に輝く瞳が俺の事をじっと見つめていた。
「たしかに誰も死なないで、町にも被害が出ないっていうのが最善で理想の一番だ。今回はそこから遠い二番、三番の結果かもしれない。でもさ、それが悪いだなんて思い悩む必要はないんじゃないかな。俺たちが動かなかったら、この町はたぶん誰にも気づかれずに、静かに滅んでいたと思う」
被害にあった人たちにこんなこと言ったら、きっと怒るだろうな。
どうして私たちの事も救ってくれなかったのと。
だからこれはただの言い訳で、拙い言葉遊びなのかも知れない。
でも、それでも物事の見方を変えるだけで、少しでもアリスが前を向いてくれるならそれでいい。
「だからさ、いまはこの結果を誇ろう。俺たちはこの町を救ったんだから」
「理想に届かなかったって落ち込むんじゃなくて、町を救った事を誇りに思う……か」
アリスが寄りかかってきて、胸元に頭を軽く押し付けてきた。
「……少しだけ気持ちが楽になったかも」
「そっか。今回上手くできなかったことも、次は……無いほうが良いんだろうけど、仮にあったら俺もまた一緒に頑張るからさ」
「うん。ありがと」
そう甘えた声を出されるとこう、ギュッと抱きしめたくなるんだけど、今はちょっとタイミングが悪い。
不思議に思ったのか、どうしたの? といった感じでアリスが首を傾げている。
抱きしめたい、抱きしめてもいいだろうか?
側に誰が居ようがもはや関係ないと自分に言い聞かせるべきか。
そんな葛藤をしていると、とうとう耐えかねたのか、隠れていた人物が気まずそうに顔を出してきた。
「あの、いい雰囲気のところ申し訳ないんだけど……、そろそろいいかしら?」
「――えっ!?」
アリスが声の方、バルコニーの入り口に顔を向けて驚いている。
そこにいたのは困惑気味のセレン。まあ知り合いがイチャついてるところを見ればそうもなるか。
「というかあなたは気づいてたわよね?」
「え、そうなの?」
「……まあ」
エンシェントドラゴンがどうのってあたりから気配は感じ取ってたけど、それこそアリスとの話を中断できるような雰囲気じゃなかったしなぁ。
「そ、それでそのセレンはど、どうしてここに?」
俺が声をかけたときと同じセリフ。
ただ俺のときよりも激しく動揺してるみたいだけど。
「あなたたちに伝言と、あとは……」
セレンは何か言いづらそうにして、俺の方に視線を向けてきた。
これは俺だけに用があるってことなのか?
同じことをアリスも思ったんだろう。
「私、先に部屋で休んでるよ。伝言はあとで教えてね」
アリスがちょっと恥ずかしそうにしながら俺から離れた。
そして足早にセレンの横を通って部屋に戻って行った。
「アリスには気を遣わせちゃったわね。あとでフォローしておいてよ」
「言われなくても。それで伝言ってなんだ? 今じゃなきゃダメだったのか?」
暗に明日じゃだめなのかと聞くと、呆れたように目を細められた。
「明日の用だから今日中に伝える必要があったのよ。あのまま続けさせてたら二人仲良く部屋に籠って伝えられないじゃない」
そう言われると、まあそんな感じになりそうだったかもしれない。
「それで伝言なんだけど、明日の朝はあなたたち四人全員揃った状態で、この屋敷で待っててほしいのよ」
「四人ってことはライナーとサーベラスもだよな。今回の件で何かあるのか?」
「ええ、あたしがここからアンジェリカ様とレッグ様がいる屋敷に案内するから、そこで謝礼と……今後についての話かしらね」
「ライナーが捕まえたダリウスって男についても何か聞けそうか?」
「たぶんね。きっと今頃レッグ様がそのダリウスってやつから聞き出してるところだと思うわ」
あいつには色々と確認したいことがあるからな。
レッグ様……聖騎士団長だっけ?
その人がちゃんと聞きだしてくれることを祈っておこう。
場合によっては俺が直接聞きに行くしかないけど。
「わかった。それじゃあアリスたちにも俺から伝えておく」
「お願いね」
「伝言の件はこれで終わりだな」
「ええ、そうね」
「それで? アリスがいると話せないような事なんだろ、どんな話だ?」
「……私、最初はあなたたちが付きあってるって知った時、アリスはあなたに弱みでも握られてるんじゃないかってちょっと疑ってたのよね」
「おい、それはどーゆーことだ」
「だってあなたたち釣り合ってないじゃない」
なんだろう、こうまでバッサリ言い切られると逆に気持ちいいな。
俺もアリスに釣り合ってるかって言われると、自分でもどうだろうなって思うときがあるけどさ。
ただそれって周りがどう思ってるかじゃなくて、俺とアリス自身がお互いをどう思ってるかが重要なんじゃないのか?
「有名な冒険者って訳でもなく、驚くような功績を残した訳でもない。でも不思議なのよね。そんなあなたに、みんなが魅かれてる」
これ、褒められてるんだよな?
というか話の流れがまるで見えてこない。
「アリスは、あの子はあなたが隣にいるから前を向いて強くいられるんだと思う。ライナーは、あなたという目標がいるから追い付こうと頑張ってるように見える。サーベラスは、あなたという主の指示があったから命がけで戦ってくれた。そしてマリーさんは、無名のはずのあなたを一番信頼してた」
さっきまでの軽い雰囲気は消えていた。
碧い瞳が真っ直ぐ俺に固定されてる。
まるで俺の本性を暴こうとするかのように。
「勇者のアリスでも、剣神流の師範代でも、強力な魔犬でも、”光壁”の二つ名を持つ聖神官でもない。パーティーの中心はまぎれもなくあなたなのよ。そしてあたし自身も、今回の件を通してあなたのことが少なからず気になってる。でもだからこそ、こうも思うのよ。ねえ、あなたは一体何者なの?」
これはもしかして、正体がバレたのか?
いやでもまさかそんな訳ないよな。
でもアリスがいるとできない話ってそれぐらいしか思いつかないぞ。
アリスが俺の正体知ってるってことを、セレンは知らない訳だし。
「……質問の意味がわからない」
「地下での戦い、見たこともない魔方陣の解除。それに極めつけは転移魔法。ああ、あと転移魔法の応用でドラゴンの攻撃を防ぐって芸当もしていたわね」
とぼけてみたけど駄目だこれ。
色々とやらかした事実は消えない。
でもあれやらないと大聖堂が壊れるどころか、みんな死んでただろうしな。
「この町を救ってくれたあなたにこんな質問するのも失礼だとは思うんだけど、もしかしてあなた――人間と悪魔のハーフなんじゃないの?」
「……ハーフ?」
てっきり元魔王だって事がバレたのかと思ったら、これはどういうことだ?
「え、本当に違うの? ハーフじゃないならクォーターだったりしない? もしくは悪魔じゃなくて天使との子だったり?」
「しないしない。俺には悪魔の血も、天使の血も流れてないよ」
嘘はついてない。悪魔の魂が入ってるだけで。
うーん、半人半魔じゃないけど体人魂魔でハーフと言えなくもない?
まあそれはどうでもいいか、セレンが考えてるハーフとは違うだろうし。
「それに悪魔か天使の血が入ってたらもっと楽に魔法使えるようになってただろうしなぁ……」
両親とは死に別れてて、どっちかが実は……って可能性がないとは言えないけど、それなら生まれつき魔法の素質があってもいいだろう。
子どもの頃に一生懸命魔力を感じ取る修行をしなくても良かったはずだ。
「どういうこと? あなたって昔から魔法が得意だったんじゃないの?」
「俺、魔法の才能なかったんだよ。魔力の流れを感じることができなくて、初めて魔法を使えるようになるまで割と大変だった」
「……むしろそっちのほうが驚きなんですけど」
セレンはそう言ってため息をついた。
そして俺の事を軽く睨んで、すぐに首を振った。
一体なんなんだ?
「でもそっか、違うんだ。結構自信あったんだけどな。安心した様な、予想が外れて少し悔しいような」
セレンは一人で何か考え込むように、下あごに指を当てて唸ってる。
そしてもう一度ため息をつくと、今度はガバッと勢いよく頭を下げてきた。
「変な質問して不快にさせちゃったわよね。ごめんなさい」
「別にいいよ、頭上げてくれ。それよりもどうしてハーフって思ったのか聞いてもいいか?」
「どうしてって、あなたぐらいの年で剣術も魔法も超一流の人間なんて怪しいじゃない。それに一番の理由は転移魔法を使える人なんていないからよ。正解には数十年前に一人だけ現れたらしいんだけど、その人以外ではいないし」
「だったら俺が二人目ってことで」
「そう考えるよりもハーフだから使えるって方が可能性としては高そうじゃない? というかあなた、もしかして転移魔法が使えるもう一人のこと知らないの?」
これには首を振って否定した。
「”賢者”とも呼ばれるほど魔法に精通したご老人よ。今はもう引退してるけど、以前はSランクの冒険者だったらしいわ」
そんな人がいたのか。
現役の冒険者で強そうな奴は一通り確認してたけど、引退してる人までは気にしてなかったな。
「私も会ったことはないんだけど、その人と同じ実力があるって考えるには若すぎるもの、あなた」
「……なるほどな」
俺以外にも転移魔法を使える人がいるって分かった事だし、今後はそこまで気にしなくてもいいかな。
いやまあ今までも割と気にせず使ってはいたけど……
とりあえずボロが出る前にこの話は切り上げよう。
「話はこれだけか?」
「それじゃあ最後にもう一つだけ。あたしの疑問も晴れたことだし、すっきりした気持ちで言えるわ。正式には明日アンジェリカ様から発表されるんだけど」
金色の長い髪を風にゆらめかせながら、セレンが一歩近づいてきた。
「あたし、あなたたちのパーティーに入ることになったから。よろしくね」
差し出された手を見つめる。
どうしてセレンが俺たちのパーティーに入ることになったのか経緯を聞きたいけど、どうせ明日になれば説明されるだろう。
それに俺たちのパーティーは火力重視で純粋な治癒魔法の使い手はいないからな。今後のことも考えると正直助かる。
なにより、アリスにとってセレンの存在は大きいと思う。年の近い同性、さらには加護持ち。
俺には話せないことだって、セレンになら話せることもあるんじゃないかな。
まあ色々と思うことはあるけど、俺が取るべき行動はもう決まってる。
「ああ、こちらこそよろしく」
セレンの手を取って、握手を交わした。
聖教会を救うまでの一時的な関係じゃなくて、本当の意味でセレンが俺たちの仲間になった瞬間だった。
第3章 完




