59 重なる想い
アリスが部屋にやってきた。
それはいい。
だけどなんでこんな状況に陥っているのか。
アリスを部屋に招き入れて椅子を勧めた。
だけどアリスはそれを無視してベットの片側に腰を下ろした。
仕方ないので俺ももう片方のベットに腰かけて向かい合う。
それからどれだけの時間が過ぎただろうか。
何かを言いたそうにして、でも何も言わずに俯いてということを繰り返すアリス。
アリスが何かを言うのを待った方がいいのか、それとも俺から声をかけるべきか。
それはそうとなんの用で来たんだろう?
思い当たるとしたらやっぱり契約のときのことかな。
あのときは勢い余って手を出してしまったけど、ちゃんと気持ちを伝えたわけじゃないからな。
「アリスがここに来たのって契約のときのことについて……であってる?」
俺から沈黙を破るとアリスはビクッと身体を震わせた。
そしてアリスは意を決したように顔を持ち上げて、胸元に両手を当ててやや早口気味にまくし立てる。
「うん。シヴァから力を貰って、そのおかげで悪魔を倒せたからお返しにきたというか……。でも私そういうのしたこと無くて。キスだってシヴァにしてもらったあれが初めてで……。でも、その、満足してもらえるように頑張るから!」
なんかとんでもないこと言ってる気がするけど……気のせいかな。
「ごめん。話の流れがよく分からないんだけど一体なんのこと?」
一度アリスを落ち着かせるためこちらから質問する。
契約のときにキスしたことを聞きに来たとかじゃないのか?
「だってあのときのキスって……そういうことじゃないの?」
俺の質問に対して落ち着かない様子で聞き返してくる。
なんだろう、俺とアリスの間で致命的な認識のずれがあるような?
アリスと契約を交わしたときのことを思い返してみる。
”それで、その……契約ってどうすればいいの? それに代償って一体何を差し出せば……”
”別に難しいことはない。アリスはそのまま立っているだけでいい”
そのあと思わずアリスにキスをして………………なるほど。
たしかにあの流れだと勘違いするかも。
というよりも俺、代償に関して何にも答えてなかったな。
これはもしかしなくてもあれか、力の代わりにアリスの体を差し出せって契約だと勘違いされた?
いや確かにそういう要求をした悪魔も過去にはいたらしいけど。
「その……力の代わりに私のことをって。だから……」
「いや、あれは悪魔の契約とは関係なく思わずしてしまったというか」
「えっ?」
冷静になって考えるとあのときの俺、かなり暴走してたな。
「えっと、それじゃあ私の勘違い?」
「俺も説明してなかったけど、あのときの契約でアリスから何かを代わりにもらったり、今後何かをもらうつもりはないよ」
「でも悪魔との契約って何かを差し出さないといけないんじゃないの?」
「悪魔側の視点で見ると必ず代償として何かを受け取らないといけないって決まりはないからなぁ。代償はなんでもいいし、受け取らないって選択も……普通はしないけど契約する悪魔次第ではありえる。過去にいたかどうかはわからないけどね」
説明を聞いたアリスはだんだんと顔を赤らめていく。
たっぷり五つ数えられるほどの時間が流れた。
「私、ナナリーのところに戻るね!」
ベットから立ち上がり、急いで出口に向かおうとするアリス。
慌てて俺も腰を上げてアリスの手を掴んで引き寄せ、後ろから優しく抱きしめた。
俺を振りほどこうと腕に手をかけてきたけど全然力が入ってない。
本気で逃げようとしているってより、恥ずかしいのを誤魔化そうとしてるんだろうけど。
「離してよ」
いじけた子供のように呟くアリス。
言葉とは裏腹に、俺に寄り掛かるように背中を預けてきた。
肩に回していた腕の力を少しだけ強めて耳元で囁く。
「契約なんか関係ない。こうやって抱きしめたいし、離したくない。もっと近くに感じていたいんだ」
自分の気持ちに気づいたからだろう、今までなら口が裂けても言えなかったセリフが自然と溢れてきた。
アリスの手が俺の手にそっと重ねられる。
肩越しに俺の方へと顔を向けて小さく震える唇。
――私だって、本当はもっとあなたと触れ合いたいんだよ……
アリスの気持ちが言葉になって零れ出た。それが聴覚を飛び越えて心の奥底にまで沁み込んでいく。
落ち着いてなんかいられなかった。どうしようもなく暴れまわるアリスへの想いを静めることなんてできなかった。
さっきまで俺が座っていたベットにアリスを押し倒した。
軋むベットの上でアリスが無防備に俺を見上げている。
二度目の口づけをしようと顔を近づけて、あと一歩のところでアリスが慌てたように口を開いた。
「ま、待って。やっぱりだめだよ」
「何がだめなの?」
少しぶっきらぼうになってしまったけど、仕方ない。
もう止まれないし、止まる気もない。
「ほら、私って勇者だし、これからも沢山魔物とか悪魔とかと戦わないといけないと思うんだよね。こういうことすると、その――赤ちゃんできちゃうかもしれないし――そうしたら勇者としての役目が果たせなくなっちゃうから……」
途中声が小さくなって聞き取りづらかった部分もあったけど、何を気にしてるのかは分かった。
「それに関しては問題ない。精を魔力に変換する魔法使えるから」
「え?」
「俺は元魔王だぞ? サキュバスやらインキュバスが使える魔法ぐらい使えてもおかしくないだろ」
「それはそうなのかもしれないけど――んんっ!?」
これ以上無駄口を叩けないように唇を奪った。
アリスが落ち着くのを待ってからゆっくりと顔を離して。
「アリスは嫌か?」
「その聞き方はずるいよ」
アリスは困ったように笑い、俺の頬に両手を添えてそのまま頭の後ろまで手を回してきた。
ゆっくりと引き寄せられる。
鼻と鼻が触れ合うほどの距離まで近づくと、アリスから瞳を閉じて唇を重ねてきた。
遠慮気味に差し出された舌先に自分のものを絡ませてアリスの口内へと入っていく。
体を震わせ驚いて見せるアリス。でもそれも一瞬。
俺を受け入れて、お返しとばかりに絡みついてくる。
温かくて柔らかい感触。唾液を交換する水っぽい音と二人の息遣いが頭の中に響いた。
「んんっ、ん、はぁっ、はぁっ……これで……答えになってるかな?」
情熱的な返答にどうしようもなく興奮が高まっていく。
濡れた瞳、上気した頬、はにかんで笑うその姿はいままで見たどんな笑顔よりも愛しくて――強く、強く抱きしめた。決して離れていかないように。
この日、俺たちは夜が更けるまで何度も想いを重ね合わせた。
眠りから覚めると、最初に肌を刺すような寒さを顔に感じた。次に温もりを左腕に感じて目を開ける。
小窓から差し込む明かりが天使のような――そう言っても大げさではないぐらい可憐な寝顔を照らし出す。
二人で寝るには少し狭いベット。でも、だからこそこんなにも幸せを感じられる。
俺の腕に抱きつくようにして寝ているアリスの頭を撫でると気持ち良さそうに小さく身じろぎをした。
ずっと撫でていたくなるがぐっと我慢する。
アリスを起こさないようにベットから降りて、いつもの黒革のコートとズボンに着替えた。
そのあとは昨日したみたいに部屋を魔法で暖める。
十分に部屋が暖まったところでベットに腰かけ、誘惑に負けた俺は再びアリスの髪を梳くように撫で始める。
さっきの我慢は一体なんだったのか。
昨日起きた戦い、そして今後のことを考えると楽観的にはいられない。
おそらく悪魔との戦闘は激化するだろう。
いまの俺とアリスなら確実にアリスの方が強い。
力を失った状態でどれだけ役に立つのかはわからない。
いつ頃になったら回復するのかも。
それでも俺はアリスの隣で戦い続ける。
人間に生まれ変わって最初に決意したこと。
俺を封印した悪魔たちを倒す。
それを目標にして強くなったはずなのに。
一番優先するべきことなのに。
いつからだろう?
それが一番じゃなくなったのは。
自問自答して出た答え。
思い出すのは幼いあの日、雨に濡れる中涙を流しているアリスを抱きしめたあのとき。
きっとあのときから俺の中で何かが少しずつ、そして決定的に変わっていった。
いまの俺はアリスの幸せを一番に願ってる。
それは誰かの幸せを願うという、人が当たり前のように抱く想いの一つ。
悪魔に戻れなくていいと考えながら、それでも人のような想いをもつことに戸惑いを感じている俺は……一体何者なんだろうか?
そんなことを考えているとアリスが起きだした。
ゆっくりと瞬きをし、目を擦りながら周りを見回している。
「ん、ん~?」
眠たそうな瞳が俺を捕えた。
「あれ……あっ。そっか昨日……」
目を細めて嬉しそうな表情を浮かべたかと思うと、すぐに引っ張り上げた毛布の下に顔を隠してしまった。
ゆっくりと毛布から目元だけを出して俺の様子を伺うように見上げている。
何してんだ?
首を傾げると俺が思っていることを察したのか小声でアリスが答えた。
「恥ずかしいというか」
「いまさら?」
「なんで笑うの?」
「いや、なんでもないよ。それよりも今日は朝早くから王都に向かうんだろ? すぐに用意しないとな」
自分の顔は見えない。
それでも一つだけわかることはある。
きっとだらしない笑顔を浮かべていることだろう。
いつかは倒すとして、それでもいまは俺を封印したあの悪魔たちに感謝しよう。
愛しい人に出会わせてくれた――その奇跡に。
第2章 完




