53 目覚めかけた力
目の前で傷だらけの勇者が声を張り上げて、負けないと強がっている。
そんな勇ましい姿を見せられるともっと痛めつけて、泣かせてみたくなる。
唇を舐めて手元で槍をくるり回し、更なる追撃を加えようと荒れた地面に一歩踏み――出せなかった。
これ以上進んだら戻れない。
その予感が背筋に冷たいものを走らせる。
俺がこんな小娘に恐怖したってのか?
一体なにが……注意深く勇者を観察すると、胸元が淡く輝いていた。
「はっ、だからなんだってんだ!」
迷いを断つように、剣を中段に構える勇者に向かって大きく踏み出して心臓潰しの突きを放つ。
先ほどまでとは異なる本気の一撃。
躱せるわけがない!
勝利を確信した俺の視界は
――二つに別れて暗闇へと落ちていった。
蛇男の槍が半ばから断ち切れて、からんと乾いた音を立てて穂先が地面に落ちた。
音が鳴ると同時に、蛇男の体は左右に別たれ地面を血で染める。
半人半馬の悪魔はアリスの動きを捉えることができなかった。
驚愕はそのまま言葉となり吐き出される。
「おいおいおい。なんだそりゃ?」
アリスは倒れた蛇男を冷めた目で見て、すぐに半人半馬に視線を移した。
対峙する悪魔に先ほどまでのゆるい空気は既に無い。
悪魔は全力を出すために極限まで集中をしている。
しかし、今のアリスを前にして集中した程度ではまだ足りない。
光が走った――そうとしかいいようのないアリスの攻撃に対して、悪魔に許されたのは無様に避けることだけ。
「うおおおおおぉ!」
雄叫びを上げ、馬脚に力を込めて可能な限り距離をとる。
相手は追ってこない。
理由はわからない。
だが助かった。
左肘から先を失い血が抜けていく。
手のひらを傷口に当てて握りつぶし、無理やり血を止めた。
分かったことは勇者が急激に強くなったことだけ。
最初から多少強いことは理解していた。
だが……だが、これはなんだ?
顔を左手で覆い隠し、バランスを崩して倒れそうになった勇者の胸元。
そこには紋章が浮かんでいた。
――翼を伏せて祈りを捧げる天使。
――地水火風の四大精霊。
――雄々しく羽ばたく竜。
天使と竜の翼がバツ印を描ぎ、精霊たちが十字の頂点に佇む、黄金に輝く勇者の紋章。
「今までは力を隠していたってことかい?」
離れた位置で戦っていたナナリーとヴァンパイアの両者もアリスの様子の変化に気づいた。
「アリス様!?」
「あの輝きは一体……」
半人半馬の顔に乾いた笑みが一瞬だけ浮かび、表情が掻き消える。
残った右腕に魔力が集まり、人の腰ほどの太さにまで肥大化していた。
さらには全身を赤褐色の鎧が覆い隠す。
甲冑を装着した半人半馬は巨大な腕を限界まで引き絞り、自らの腕を矢として弓を射る。狙うは勇者ただ一人。
空気を引き裂いて放った拳。しかし、それは結界とも違う、白く光り輝いた薄い膜のようなものに阻まれた。
打ち出した拳に感じる鈍い痛み。
これはまさか……天使の力か?
勇者がゆらりと剣を下段に構えた。
すぐ側にいる圧倒的な力を持った存在におぞましさを感じる。
自らの死を予感してわずかに後退り、恐怖に駆られたまま腕を振るった。
下からすくい上げるように迫ってきた剣と腕が交差し――俺はまだ生きていた。
ガクッと膝を崩し、急に意識が戻った。
どうにか倒れないように地面に手をつく。
目の前にいる半人半馬は呆けた表情で私を見ている。
魔力がほとんど無くなり、急激な脱力感が襲い掛かってきて今にも倒れそうになる。
こんな状態で剣を振るっても鎧に弾かれるだけ。
足に力を込めて一度距離をとった。
ぼんやりとした意識の中、自分の体を誰かに操られていたみたいな感覚。
だけどずっと昔からこう戦えると知っていたかのように、自然と体が動いていた。
今のは一体?
「紋章が消えている。終わり……なのかい? まさかまだ力を隠し持っていたりしないよね?」
半人半馬が疑いの目を向けてくる。
紋章って一体なんのこと?
「まぁいい。こちらとしてもあんな化け物みたいな相手をするなんてごめんだ」
「化け物はあなたでしょう」
「ふっ、さて……どっちだろうねぇ!」
相手の踏み込みと同時に右側に飛んで半人半馬の突進を躱す。
ほんの少しでも遅かったら轢き殺されてた。
あの突進はまともに受けちゃだめ。
私の横を通り過ぎた砲弾が、すぐさま地面を蹴って再び放たれる。
さっきと同じ様にして避けて、だけど――なんども繰り返される。
そのたびわずかに死が近づいてくる。
左手を背後に回してポーチの中からお守りを手探りで掴んだ。
いつも同じところに仕舞っているから間違えるなんてことはない。
方向転換をして再び飛び出そうとしている相手に、手に取ったそれを見せつけるように突き出した。
相手が警戒し、ほんの一瞬動きを止めた。
それで十分。
ペンダントに付けられた魔石を開放して魔力が流れ込んでくる。
目を見開く相手に突き出した左手から爆破魔法を打ち込んだ。
発動速度を優先したから威力はおまけ程度。
狙いは爆発による煙。
ペンダントをポーチに戻して今度は私が煙の中に飛び込む。
相手の魔力を狙って”熾天の剣”を振るうと結界を突き破って肉を裂く感触。
空へと逃げる気配、羽ばたきとともに煙が吹き飛んだ。
馬の首元には焼け爛れた傷跡。
今の一撃が結界、さらには鎧の奥にある肉体にまで届いていた証拠。
一対一なら問題無く戦える。
半人半馬が羽根を舞い散らせて羽ばたき、空高く昇っていく。
頭上を見上げると点になるまで小さくなった相手が、風切り音を鳴らして墜落を始めた。
空から地上へ向かって物凄い速度で駆けてくる。
膝を曲げて腰を落とし、相手が地上にぶつかるその直前、跳躍とともに剣を薙ぐ。
一瞬の交差、隕石が落ちたかのような衝撃を背中に感じる。
光の翼を顕現させて身を翻し、地上を目指す。
クレーターの中央には前脚の付け根を斬られて体勢を崩した半人半馬の姿が見えた。
相手の背後から落下の勢いを乗せた追撃を加える。
体をひねって致命傷は回避された、だけど今の攻撃で左片翼を半ばから切断した。
これで空に逃げることはできない。
飛び退く相手と間合いを詰める。
これで止め、胴体と馬の結合部分を断ち切る!
その直前、意識の外、クレーターができた時に生じた砂煙の中から濃紫色の小柄なヴァンパイアが飛び出してきた。
半人半馬の横を通り過ぎ、地面すれすれを這い、大きく跳躍して首元を狙ってくる。
口元から覗く牙は鋭利な刃物の様で、きっとたやすく私の首元を切り裂く。
無理やり上体を仰け反らせた。
目の前をミニヴァンパイアが通り過ぎ、すぐに反転してきたところを斬り落とした。
足元には変身がとけてこうもりとなった敵が転がる。
一瞬、半人半馬から目を離した。
それが致命的な隙となり、巨大な拳が目の前に迫っていた。
時が止まったみたいにすべてがスローモージョンになっていく。
ナナリーが何か私に向かって叫んで、ヴァンパイアは狙いが上手くいったとばかりにほくそ笑んでいた。
防御も反撃も間に合わない。
まだ何も成し遂げてないのに、勇者としての使命も!
まだ何も伝えてないのに、胸に秘めた想いも!
徐々に大きくなる拳が視界を埋め尽くし――
白金の光が落ちた。
鎧をまとった巨腕が地面を跳ねて遠くまで転がっていき、半人半馬が錐揉みしながら吹き飛んで木々をなぎ倒していく。
理解が追い付かず、驚きのあまり腰が抜けて、言葉も出せずにその後ろ姿をただ見上げた。
その手には無骨なバスタードソードが握られていた。
黒革のコートを羽織った大きな背中。
白金の髪の奥に覗く横顔、その瞳は見るものを惹きつける真紅の輝きに満ちていて。
「間に合ってよかった」
「…………っ!」
優しい微笑みにぎゅっと胸が締め付けられる。
私がピンチのときに颯爽と助けに現れるなんて、まるでナナリーに話した夢物語みたいで。
でもこれじゃあ……私じゃなくて、君のほうが勇者みたいだよ……シヴァ。




