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#82

「ええっ、と。……なにがあったんだ?」


 浩一が、そんな言葉を漏らす。


 アムリスへと帰ってきた浩一とフィーリア。そんなふたりを迎えてくれたのは、どうやら元気を取り戻したらしいアイリスと、その立役者である風花。

 そして、ひたすらに机にかじりつきながら加工を行っているマーシャの姿であった。


「いちおう弁明しておくと、エルストに行って、そこでやったほうがいいんじゃないか? とは私も聞いたのよ?」


 マーシャが行っているのは、おそらく機構に関する実験であろう。少なくとも今までの浩一が見たことがない、初めての設計図を机に広げながら、それに合わせて加工を行っている。

 とはいえ、場所が場所。ただの宿屋の一室である。

 揃っている道具は手持ちしているようなものだけだし、設備らしい設備もない。王城にある実験棟よりも、やれることは大きく狭まる。


「なんでも、蒸気機関の案が浮かんだから。その仕組みがちゃんと動くのかどうかを確かめたいんだってさ」


 呆れたような表情で言い放つ風花。


「……いや、それこそ風花の言うとおり、むしろエルストでやるべきだろう」


 道具も設備も、そして材料に至るまで。同じアルバーマ領内ではあるものの、その質はアムリスとエルストでは雲泥の差である。……まあ、領内でいちおうは中心である都市とはいえ、それを専門にしている街に対抗できるかといえば、そんなわけがないという話である。


「なんでも。早く浩一に見せたかったんだって。だから、あなたたちが帰ってきて真っ先に来るであろうここで待ってたってわけ」


「……なるほどな」


 相変わらず、妹とかそういう方面でのかわいらしいところのあるマーシャだ。実際、彼女からの呼ばれ方が「おにーさん」なのでその性格はより強く出る。


「それでいて、いざ帰ってきたら自分は作業に集中してて帰ってきたことに気づいてないんだから。本当にマーシャらしいってもんだよ」


 これだけ話しているのに、いっさいこちらに気づく素振りがない。余程、集中しているのだろう。

 なにせ、本来の設備がないだけに、無い道具と設備で仕上げていく必要がある。

 さすがに試験的に機構がうまく行くのかを確かめている、という様子ではあるが。しかし、それでも実験室レベルのことを、なんてことはない普通の部屋でやろうとしているのだから、その難易度は想像もできない。


「……っと、マーシャの話もいいんだが」


 もちろん、彼女に頼んでいた蒸気機関にどうやら進展があったらしい、というのは驚くべきことであり、横に置いておくには大きすぎる話ではあるのだが。しかし、蒸気機関に関わっていた張本人が集中し切っていて話し掛けられる様子ではない。

 まだ時間が掛かりそうなマーシャはひとまず置いておいて。浩一はその視線をアイリスへと向け直す。


 むふん、と。元気いっぱいの様子を見せながらにアイリスは浩一に向けて「おかえりなさいませ、コーイチ様!」と。


「ああ、ただいま。……って、そういえばまだ言ってなかったか」


 マーシャのことが衝撃で、すっかり挨拶を忘れていた。


「どうやら、随分とよくなったみたいだな」


「ええ、フーカ様のおかげで、もう大丈夫ですの!」


 元気になったことは、その様子を見ればよくわかる。

 なんなら、彼女が体調を崩す前よりずっとエネルギッシュかもしれない。


 そうしてアイリスは、ジッとこちらの顔を見つめると。

 少しだけ、真面目な表情をその顔に浮かべながらに。


「迷っている暇は……ええ。迷っている場合でなどないということを、重々理解しましたので」


 と。改めて確かめるように、彼女はそう言った。


 その言葉は浩一に聞かせるためであり、自分自身に言い聞かせるためでもあるようで。

 そして。それでいて、他の誰かにも伝える意図があるかのような。そんな、力強く、意志のこもった言葉だった。


 ……そしてその当の浩一はというと。彼女の言っていた迷っていた、というその言葉に、いったいなにに迷っていたのだろうか、と。少し首を傾げるが。

 まあ、わざわざ首を突っ込むものでもないだろう、と。風花たちと話して解決したところを見る限り、女性同士で話すような話であった可能性もあるだろうし、わざわざ掘り返すようなものでもない。


「ふふふ。これは私も気を引き締めなければなりませんね」


 そう言ったのはフィーリア。なにがどうあってそうなったのかはわからないが。まあ、気合が入っていることに悪いことは、あんまりないだろう。たぶん。


「そういうわけで、ご心配をおかけしましたがもう大丈夫ですの!」


 もちろん、箒のふたり乗りについてもたぶん大丈夫、と。アイリスは堂々と宣言する。……その意気の強さの割に、たぶんがついているあたりがアイリスらしいというかなんというか。

 ただ、この様子を見るに、おそらく大丈夫だということはなんとなく伝わってくる。


 浩一としても、アイリスがこうして復帰してくれることはかなりありがたかったりする。

 あちこちの貴族の元へと行かなければならない現在の仕事の都合、彼女の移動力を使えるかどうかはかなり大きい。

 フィーリアでも可能なことではあるのだが、やはり貴族令嬢という立場なんかも鑑みると、そう気軽に、というのは憚られる。今回だって、レーヴェ子爵家がアルバーマ男爵家と懇意であるということと、アイリスの不調が合わさったからそこ頼んだ経緯はある。


 ……まあ、そのあたり細かく言い始めると、そもそもアイリスは王女なんだけれども、というお話が始まりかねないが。


「フィーリア様も、今回は私の代わりに行って下さり、ありがとうございました。……ええ、本当に。おかげさまで、十分な休養と、考える時間がいただけましたわ」


「あら。それならばよかったです。よろしければ臨時の代理と言わず、私が務めさせていただいても大丈夫ですよ?」


「いえいえ、そういうわけにはいきませんわ。なにせ、これは私の仕事。お兄様から仰せつかっている、私の仕事ですので。王族が仕事を放り出して他人に押しつけるだなんて、そんな貴族や民衆たちに示しのつかないことをするわけにはいかないでしょう?」


 ふふふ、ふふふ、と。表面上はにこやかに。そして会話の内容としては、至極普通なやり取りがなされている、はずなのだが。

 なぜだろうか。ものすごく、穏やかではないなにかが起こっているような、そんな気がする。


「ひとまず、私はこのあたりで帰りますね。レーヴェ子爵家でのことをお父様に報告しないといけませんし」


 フィーリアがそう言う。それならば浩一も報告をするべきだろうとついていこうとするが「大丈夫ですよ」と。

 たしかに筋を通すならばそうなのだろうが、アルバーマ男爵と浩一が知らない仲というわけではないし、それよりもせっかくこうして待ってくれていたマーシャが下手に待たせるのも悪いだろうし、と。フィーリアが気を利かせてくれたようだった。


「それでは皆様、また」


 挨拶をしてフィーリアが部屋から退室しようとして。しかし「あっ」と、その足を止める。

 なにか忘れ物だろうか、と。浩一たちが思っていると。彼女はくるりと振り返ると、いたずらっぽくも、どこか艶やかな笑みを浮かべると――、


「楽しかったですよ、コーイチさん。また、機会があればぜひ」


 そう言い放つフィーリアの表情は、レーヴェで彼女が見せた表情にどこか重なるものがあり。浩一に思わず、動揺が走る。


 改めて挨拶をし直したフィーリアは、今度こそ、部屋から出ていって。

 最後にとんでもない爆弾を落としてくれたものだ、と。浩一がひと息つこうとした、その瞬間。

 ガシッ、と。肩が掴まれ。身体が一気に硬直する。


 錆び固まったブリキ人形のようになった首を、なんとかゆっくりと回していくと。そこには笑顔の風花。

 ……笑顔、なんだけど。どう見てもその感情が穏やかではないのは確実で。


「さて。いったいなにがあったのか、もちろん教えてくれるわよね?」


「いや、その。特になにも――」


「あのフィーリアさんの反応がありながら。まさか、なにもなかった、なんてこと言わないわよね?」


 いや、たしかになにもなかったわけじゃないけど!

 ただ、疚しいことは一切ない! 誓って!


「コーイチ様! 私、私!」


 たぜか動転した様子のアイリスが浩一の腕にガッシリとその両腕で掴まってなにかを訴えかけようとしている。その、なにがとは言わないが、当たってるから。当たってるから!


 左右から挟まれ、混沌とした状態。両側から引っ張られて、浩一がはたしてどうしたものかと、困っていると。


 そんなさなかに、ひとつの声が飛んでくる。


「あ、おにーさんだ! おかえり!」


 マーシャが、こちらに気がついた。


「なんか、すごいことになってるね。……って、そんなことよりも聞いて聞いて! あのね! やっと思いついたの! 蒸気機関車の外燃機関エンジン! まだ案の段階だけれど」


 全ての事柄を無視した上で、自分のことを通してくるマーシャ。事務作業中なんかでも構わずやってくるので、普段ならば、あとで聞くから待っててくれ、と言うことが多いものだが。


「ああ、ぜひ聞かせてくれ! 今すぐに!」


 こと今に関しては、これほどにありがたいことはなかった。

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