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#117

「ただ今戻りましたわ!」


「ああ、おかえりアイリ。それから、コーイチも」


「はい、ただ今戻りました」


 アレキサンダーの執務室にて、柔らかな声で迎え入れられる。

 直近はマーシャのことでいろいろ動いていたということもあり、ここに来るのもちょっとばかし久しぶりな気がする。

 少し前であれば、各方面の貴族とのあいさつ回りの合間合間でここに立ち寄ることも多かったけども。……まあ、とはいっても、半ば中継地にするような意味合いだったが。


「ははっ、もっと気軽に来てくれてもいいんだよ。それこそ、友達の家に遊びにいくような感覚でね」


 そんな浩一の心情を読んだのか、冗談めかした口振りで言ってくる。

 もはや底がしれないのはいつものことなので、心を読んでくるくらいならなんてことは……いや、急にされるとびっくりするからやめてほしい。

 あと、王太子のところに行くのが、友達の家に遊びに行く感覚で、というのはなかなか無理な話ではなかろうか。

 まあ、大方からかわれているというのが半分なのだろう。もう半分は、連絡の頻度をあげろ、という意味。


 いちおう、浩一の身分はアレキサンダーの側仕えということになっている。なぜか、離れていることのほうが多いが。

 ついでに、鉄道事業自体も指揮を執っているのは浩一である一方で、出資であるとか書面上での代表はアレキサンダーになっている。そういう意味でも報告義務はある。


 浩一も、ちゃんと手紙などでは連絡をしているんだけれども。とはいえ、アレキサンダー言葉が意図するところは、顔を合わせての情報交換がしたい、ということだろう。


「まあ、それはさておき。本題に入ろうか」


 今回、アレキサンダーが浩一とアイリスを呼び戻した理由。それは、想像に難くない。

 なんせ、マーシャによってとてつもないものが発明されたのだ。いろいろな意味で、対処が必要になる。


「通話機――凄まじいね、これは」


 机の上に置かれた通話機を、軽く撫でながらに彼はそう言う。


 まだ通話線の代替となる線路は敷設できていないものの。しかし、そもそもの通常の通話線があれば通話機自体は使えるため、アレキサンダーへの報告も兼ねて、試作品は既に彼に送られている。


 そして、実際に使ってみたからこそ。その無法の性能に、アレキサンダー自身が驚いている、


「実用化した際の物としての価格が現状では高価になるということもあり、現状の話題として広がっているほとんどは貴族たちだが、それでも、彼らの常識をまるごとひっくり返すくらいのことが、今起こっている。君たちやってくれたのは、冗談抜きを抜きにして、それくらいのことだ」


 通話機の発明は、それくらいに影響力を持つ。


 いい意味でも、悪い意味でも。


「それで、だ。コーイチには、リヴァ子爵領に行ってきてほしい。通話機についての話をしたいしそうだ」


 厳密には他の貴族たちからも要請は多いらしいのだが、リヴァ子爵家からの要請が群を抜いて強いらしい。


「リヴァ子爵領、ですか……」


 浩一は、努めて顔には出さないように反応していたが、その隣ではアイリスがわかりやすく苦い顔をする。

 社交界などでの交流があるアイリスはもちろん、浩一もリヴァ子爵との面識はある。

 というか、現状の浩一は、交流の如何を無視するならば、なぜかほぼ全ての貴族家と面識がある。

 まあ、早い話が鉄道路線を通す上で線路を各地に敷設する必要があり、その交渉に向かっていたから。なんならば、浩一の足役を買って出てくれているということもあり、アイリスもそのときに顔を合わせている。


 それはさておき、アイリスが顔をしかめていた理由は、至極単純。前回の交渉があまりうまく進まなかったから。

 つまるところが、鉄道事業に対して、あまり好ましい感情は抱かれなかったし、更に言えば、未だに線路敷設の許可を得られていない。


 とはいえ、鉄道事業を好意的に受け入れてくれていない貴族は、なにもリヴァ子爵だけではない。

 もちろん、フィーリッツ侯爵やレーヴェ子爵のように、諸手を挙げて歓迎してくれている人たちもいるが。しかし、そういった前のめりに関わってくれているのは正直なところ少数派。

 大多数は利益があるということを理解したがゆえに、まあそれならば一応協力をしましょう、というスタンツだし。理由はそれぞれ様々ではあるが、リヴァ子爵のように否定的な意見を持つ貴族も少なくない。


 とはいえ、元々の計画としても、鉄道路線は主要な都市部を繋ぎ、他の細かな街や村に対しては従来の箒での輸送路を確保するという形式を想定していたこともあり、実はこれ自体はそれほど問題というわけでもない。

 集落規模と領地規模では発生する物品の需要に大きな差はあり、比較すると箒での輸送における弱点は露見する。けれども、国全体の需要を支えていた今までとは違い、ひとつの領地で必要になる量を、それも隣の領までは運搬できる、という形式にはなるので、ひとつやふたつの領地が頑として線路を引かないという選択肢を取っても、大抵の場合はそれほど問題が発生はしない。


 ただし、例外はある。そして、リヴァ子爵領もそのひとつである。

 それもあって、以前訪問したときはアイリスの助けも得ながらに粘っては見たのだけれども、結果は不調。それもあってか、浩一もアイリスもあまりいい思い出がない。


「まあ、今回についてはこちらからのアクションというよりかは、向こうからの呼び出しに近いからね。前回とは立場が逆、というのは大きいだろう」


 アレキサンダーがそう付け足す。

 たしかに、これは大きな差ではある。それこそ、言ってしまえば鉄道というものを売り込みに行っていた前回と比較して、今回はリヴァ子爵の方から用事があると言ってきているのであれば、まず大前提の会話のテーブルがあるということになる。……前回は、そこから既に大変だった。


「今回については、鉄道事業と完全に別件とは言わないまでも、別の議題ではあるから。線路敷設の云々についてはやれそうなら、で構わないよ。もちろん、そこまで話をまとめることができれば一番ではあるけれど」


「はは……頑張ります……」


 アレキサンダーからのその言葉に、浩一は苦く笑う。

 つまるところが、これは「やれ」ということなのだろうか。こういった腹芸に慣れていない浩一からすると、はたしてこれが額面どおりの言葉なのか裏があるのかの判断がつかない。

 ……あとで、アイリスに聞こう。


「向こうからの呼び出しであると同時に。いちおうは視察のような役割も兼ねているからね。しっかりといろいろ見てきてくれると嬉しい」


 挨拶回りのときに訪問はしているものの、全貴族との顔繋ぎをしなければいけなかったという前回訪問と違い、今回はしばらくリヴァ子爵領に向かうことになる。たしかに、それならばある程度の視察はできるだろう。


「それから。これを渡しておくね」


「……封筒? なんです、これ」


 シンプルながらに精緻な装飾の施された封筒。赤色の封蝋には、アレキサンダーのものであることがわかるスタンプが捺されている。


「まあ、ちょっとした手助けかな。なにか困ったことがあったり、あるいは、気になることがあったときにこれを開くといい」


「……ええ」


 とてつもなく意味ありげな言葉。褒め言葉として、どこまでも底が知れないアレキサンダーが意味深長に渡してきた封筒とか、嫌な予感しかしない。

 いやむしろ、そんなものが「必要になるかもしれない」という事実を突きつけられていることについても。


 とはいえ、手助けとなるものらしいので、ありがたく受け取っておくべきだろう。


「うん。それじゃ、任せたよ」


 いつもどおり、柔らかな笑みを浮かべたアレキサンダーが、そう送り出してくれた。

 まあ、頑張るしかないだろう。厄介ごとの匂いしか、しないけども。

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