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#110

 数日が経って、投炭練習場の横にお風呂が併設された。

 それも、シャワーだけではない。ちゃんとした浴槽と、そこにお湯を張るための湯沸かし器がついている、いわゆるお風呂である。


 アイリスからの手伝いの申し出を断るのにも苦労するので、臨時的に仮設のシャワーはすぐに設置してもらったのだが。それはそれとしてマーシャ相談してみたところ、彼女から別の人に頼む形で存外にすんなりとお風呂が設置された。

 なんでも、ボイラーの設計を進めていたこともあって、それを応用することで早くに作ることができたとのこと。……まあ、ボイラーを応用して湯沸かし器、とは。発展の順序としてはなかなかに逆な気もするけど。


「毎度毎度悪いな、マーシャ。いろいろと頼んじまって」


「ううん、大丈夫。私はカイさんとキットさんにお願いしただけだし。それよりちゃんと使えてる?」


「ああ、既に数日使ってみているが問題ない。なんなら、ちょうど今からアイリと風花が一緒に入ってくるらしい」


 案の定というべくかなんというべくか。今回のお風呂について、一番喜んでいたのは風花である。

 浩一の側からは完成を伝えていなかったはずなのに完成当日にふらっと投炭練習場にやってきてお風呂に入って行った。

 それからも近くにいるときはだいたい入っていっている。


「そっかそっか。うんうん。それならよかった。カイさんもキットさんも、みんなすごい人だから、あんまり心配もしてなかったけどね」


 笑顔を作りながらにそう言ってくるマーシャ。

 以前は言われるまで気づかなかったが。しかし、改まってこうやって見てみると、たしかにわかる。

 いつものマーシャより、元気がない。


 立ち居振る舞いや表情については元気なように見えるのだけれども、声音や反応などが、いつもの彼女にしてはいくらかぎこちないように見える。


 悩みについては、あまり問題がないようならば様子見をするのもありではあるのだが。既に十日はゆうに超えていて、さすがに少し期間が長い。

 今のところはなにも起こってはいないものの、この様子ならば自力での改善は難しいかもしれないし、この調子が続くようならば、そのうちになんらかの事故が起きても不思議でなない。


 いちおう、今もアイリスやルイスには、多少マーシャのことを気にかけてもらってはいるけど。彼女たちにも別にやることがある中で負担ばかりを増やすわけにもいかないだろう。


「マーシャ。なにか、悩んでることとかあるか?」


 ――元より、ここにきた目的のひとつに、マーシャの様子を見に来る。というのもあった。

 意を決して、浩一がそう尋ねる。


 突然のその質問にマーシャは目を丸くしてから。すっ、と。その視線の向きを動かしながらに、少し考えてから。


「悩みかあ。んー、そうだね。やっぱりおにーさんが言ってたフェイルセーフ? の仕組みをどうしようかなーって考えてるよ」


 難しいね、と。頬を上げながらにそう言ってみせるマーシャ。

 その表情はたしかに笑顔ではあるのだが、どうにも貼り付けたものにしか見えない。


(……まあ、誤魔化すよな。ここであっさりと言うようであれば、マーシャの性格的に既に誰かに相談してそうなものだし)


 とはいえ、ある種の回答の拒否をされたのと同等である現状、下手に詰めるとむしろ逃げられかねない。それはなんとか避けたいところではある。


 わざわざ、フェイルセーフの製作が難航していることを盾として出してきたということは、こちらの方面ではないはずだ。まあ、こういう方面の悩みであればむしろ嬉々として取り組みそうなのがマーシャなので、これについてはわかりきっていたことではあるが。


 他に悩みがありそうなところでいうと、たとえばライフワークバランス。

 特にマーシャにとっては仕事と趣味の境界が曖昧になっているために、少し気をつけてみておかないと働きすぎる、ということがありうる。

 だが、これについても最近はルイスがかなりよく見てくれているらしく。事実、現在のマーシャの血色もかなりよい。

 逆にもっと働かせろ、という主張ならあるかもしれないが。これについてもわざわざマーシャが誤魔化す理由もないだろう。


 最近の彼女のやっていたこと。役割や立ち回りを思い起こす。

 初めこそひとりで開発やらなんやらを担ってくれていたマーシャだが、浩一が方々の貴族たちとのツテを作る中で協力してくれる技術者も増えて、知見や知識は、発想の幅が増えた。マーシャ自身も、意見交換が活発になった、とも言っていた。


 だが。


(……ああ、なるほど。マーシャが気にしているのは、ソレか)


 浩一やアイリスたちの視点から見れば、十二分なことであるが故に、見落としていた。

 だが、当人であるマーシャからすると、たしかに気になってしまうことだとも思える。そして、とてつもなく言いにくい。

 彼女が、浩一やアイリスと仲がいいからこそ、なおのこと。


(問題は、どうやって切り出すか、だな)






「あーっ! 気持ちいいわねー!」


 ざっぱーん、と。風花は勢いよく、湯船に身体を入れる。

 日本の銭湯などでやろうものならばマナー違反などと批判されそうなものだが、あいにくここは日本でも銭湯でもなく、投炭練習場横の風呂である。誰にも咎められる所以はない。

 強いて言うなれば、アイリスの前でやるということで、彼女が変な学び方をするとかの悪影響が出るとか、そういうくらいだろう。


「しかし、本当にコーイチ様に任せてしまってよかったのでしょうか」


 風花に続くようにしてお風呂に入ってきたアイリスが、肩までお湯に浸かりながら、息と一緒にそう言葉を漏らす。


「あら、浩一じゃ心配?」


「いえ、そんなことは! ……ちょっとだけ」


 少し気まずそうにしながら、アイリスがそう言う。

 なんせ、アイリスは自分の気持ちがどうにも伝わらないというのを最大限感じている当人である。


「まあ、他人の感情の機微に対しては、敏感なのか鈍感なのかわからない浩一だけど。でも、こういうことに関しては、むしろあいつだからいいってところもあるのよ」


 人や状況にもよるけどね、と。風花は小さく笑ってみせる。


「実際、アイリスちゃんが思ってるように浩一は鈍感ね。特にあいつ自身に向けられている感情については殊更。……でも、変なところで敏感でもある。アイリスちゃんも自覚あるでしょ? そして。だからこそ、好きになった」


「うぐ……」


 まさしく、どんぴしゃりと言い当てられて。恥ずかしさから、ぶくぶくぶくと口元を湯に沈めてしまう。


「助けの手を伸ばしてくるような相手なら、私やアイリスちゃんのほうがたしかに適任よ。でも、その一方でその真逆もいる」


 それこそ、今のマーシャのように。あるいは、少し前の風花のように。

 そこまで言われて、アイリスははっとする。そういえば、以前のキャンプのときには。


「そう。浩一は、よくも悪くもお節介なのよ。それも、捉えようによっては過剰なくらいにね」


 風花からもやりすぎだと言うように何度か伝えたことはあるし、彼自身それを自覚はしているけれど。それでも踏み込んでしまうことがあるのは、もはや浩一自身の性分と言っていい。


 そして、そんな彼の性格は、自分の内側に閉じ込めてしまうような悩みに対して。よくも悪くも、無遠慮に、土足で踏み込んでくる。


「どっちかっていうと、アイリスちゃんとしては別のことを心配したほうがいいんじゃない?」


「別のこと、ですか?」


「うん。だって、マーシャちゃんからすると、どうしようもなくて悩み続けていたところを。暗がりで彷徨っていたところを。手を差し伸べて、明るい方へと連れて行ってくれるのよ?」


「……あっ」


 たしかに、それは、よくないかもしれない。いや、友人の幸せを考えるならば、マーシャは助かってほしいのだけれども。


「増えないといいわね? ライバル」


「た、大変ですわ……!」

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