#107
思い立ったその日に動こうとはしたものの、休みは休みとアイリスに言われてしまって、翌日。
ひょこひょこと後ろをついてくるアイリスとともに、工房に顔を出す。
「マーシャ、調子はどうだ?」
「んー、ああ、おにーさん。なかなか難しいね、これ」
ひょいと頭を上げて反応するマーシャ。案の定というべくか、髪や服がやや荒れている。
元がいいのだから身なりを整えておけばいいのに、とそう思いはするのだが。どうやら彼女にとってはそれはさほど重要ではないのだろう。
まあ、さすがに風呂には入っておけと、周囲の人間としては思うが。
「それで、どうかしたの?」
「忙しいところに悪いな。ちょっと作ってもらいたいものがあって。マーシャが作る必要はないんだが、誰が適任かを一番理解しているのはマーシャだろうし」
製作チームを主導してくれているのはマーシャと、それから管理側のルイスだ。
忙しい彼女に窓口を頼むのも少し憚られるが、誰がどんな工作が得意か、なんてことはマーシャが一番詳しいだろう。
「ふんふん、どんなものを作ればいいの?」
「ボイラー部分の設計って、たしかある程度は組み上がってただろ? それの石炭投入口と火床を再現した設備を作ってほしいんだ。あと、スコップ」
「それなら、スコップはともかくとして、レナードさんたちの管轄だね。わかった、伝えておくよ。……ちなみに、どういう目的のものなの?」
作るものが同じにしても、使途によってどこに注力すればいいのか、などが変わってくる。
「蒸気機関車の運転を行う上で、ボイラーに石炭を投げ込む――投炭作業が発生するんだが、しっかりと狙った場所に石炭を投げ込めるようにならないといけないからな。そのための練習設備。投炭練習機だ」
今回の投炭練習機については、投入口やその開閉の機構は実際に実装するものと同じように作る必要はあるだろうし、火床の大きさなども同様に作る必要がある。
その一方で、投入口以外の壁面や火床などの材料については特段本物と同様であることにこだわる必要はない。
浩一のオーダーが石炭投入口と火床だけであったように、一度使った石炭を再利用できるようにするため、手前側の壁面以外については石炭を投げ込む都合ある程度の高さは用意しつつも、取り払われている方がいい。
「スコップは、石炭を投げ込むためのやつってことだね。それなら、炭水車を想定した石炭置き場も準備しておいたほうがいい?」
「ああ、助かる」
実際に運転をすることを想定した訓練なのだから、一連の流れを含めて練習できるのが最適だろう。
「了解。それじゃ、そのことを伝えておくから。また、完成したらおにーさんのところに連絡が行くようにルイスにお願いしておくね!」
それが彼の仕事なのだが、なんだかんだと彼ノ仕事も多い気がする。もちろん、最近はルイスのサポートにあたってくれている職員が更にいるにはいるのだけれども。
そんなことを浩一が考えていると、アイリスからちょんちょんと脇を突かれる。顔を向けてみるとみると、ジトッとした視線。
お前のほうが働きすぎだ、とでも言いたげなその表情に、浩一は苦笑いをする。
「それじゃあ、よろしく頼むよ、マーシャ」
「うん。任せて。……って言っても、私も他の人に連絡するだけだけどね」
へへへ、と。マーシャは小さく笑いながらそう言っていた。
「マーシャちゃん、ちょっと元気がありませんでしたわね」
工房からの帰り道。浩一の隣で、アイリスがふとそんなことをつぶやく。
たしかに、浩一も先程までそこまで気にしていなかったが。言われてみればいつもより食いつきやテンションが控えめだったような気がする。
「そうだったか。なら、仕事を任せたのはよくなかったか?」
「いえ、そういう類の元気というよりかは。なんでしょう。なにか、悩みごとがあるというか、なんというか。そういう感じの元気の無さがいたします」
マーシャとの付き合いも長い上に、他人との付き合い方のうまいアイリスが言うのであれば、多分そうなのであろう。
少なくとも、風花から「他人の心が理解できてるようで理解できてない」と言われる浩一よりかは正しいとみていい。
「しかし、悩みごとか」
「今作ってる機構があんまりうまく行かなくて悩んでるとか、でしょうか?」
「いや、そっちの悩みならむしろテンションが上がってるだろ」
「それもそうですわね。ことマーシャちゃんについては特に」
これが仮に何十日もずっと、というような状態ならともかく。数日程度で落ち込むような性分の人間ではない。
しかし、だとするといったいなにに悩んでいるのだろうか。
「これが深刻な様子なら、多少無理にでも聞き出すが。そこまでっていう感じなんだよなあ」
それこそ、普段よりかいくらか元気がない、くりらいではあるのだ。
まあ、そもそもマーシャに元気がないということが異常といえば異常なんだけれども。
悩みというものは元来言いにくいものではあるものの、自発的に相談できるのであればそれに越したことはない。
そもそも、程度が軽ければ自己解決するだろうし。
まあ、まさかマーシャが悩みごとか、と思わなくもないが。とはいえ、マーシャだってひとりの人なのだから、当然といえば当然だろう。
「とりあえず、私、しばらくマーシャちゃんのこと気にかけておきますわ」
「ああ、頼む」
事態が深刻でないのならば、この程度の距離感が丁度いいだろう。
数日後には、ルイスから投炭練習機が完成した旨の連絡が来た。
アイリス曰く、マーシャの調子は今のところあまり変わりないとのこと。
案の定、製作に詰まって悩んでいるとかそういうわけではなく、彼女自身の進捗も進んでいるので、やはり悩みは別のところなのだろう。
マーシャのことも気がかりだが。とはいえ、彼女の方からなんらか相談が来たわけでも、まだ強引に踏み込むような段階でもないだろうと。ひとまず、浩一は浩一の役割をこなしていく。
「おお、これが投炭練習機なのですね。その、思っていたよりかは……」
「まあ、必要な機能だけを入れ込んだ、まさしく練習機だからな」
言葉を淀ませたアイリスに、浩一がそう続ける。
壁らしい壁は手前の面のみ。他の面には膝辺りまでの、壁というよりかは枠が設置されている。
壁の面には実際のボイラーと同じく、投炭を行う焚口とその蓋。そして、それを開くためヒンジや鎖がついているのみ。
よく言えばシンプル。悪く言うと、まあ、見た目だけならば貧相といっても差し支えないだろう。
ちなみに、浩一も投炭練習機の写真などでは見たことはあったが、実物を見るのは初めてである。これを実物と呼ぶのかは定かではないが。
とはいえ、造り自体はしっかりしているし、先述のとおり必要な機能はしっかりと備わっている。
後方にも、マーシャの提案どおり炭水車を想定した石炭置き場が設置されており。石炭を掬って投げ込むためのスコップ――ワンスコも準備されていた。
ちなみに、ワンスコとは1kgスコップのこと。一杯あたりの石炭の重さがだいたい1kgとなる大きさのスコップだからそう呼ばれているらしい。
ヴィンヘルム王国に於いて、元々なかったキログラムという概念だが。以前にメートル法を導入した際、後から追いかける形で実装していた。
とはいっても、浩一たちがこちらに来てから作った疑似メートル法で計測した疑似リットルを使い、1Lの水をイコール1kgとなるように作成した疑似キログラムではあるが。
とはいえ、元々がだいたい1kgの石炭を掬うスコップであるので、疑似キログラムであろうが大差はない。誰がなんと言おうがこれは1kgスコップだし、ワンスコである。




