フェリディの町にて~就寝
部屋には簡素なベッドが2つにソファが一つ、石造りの壁や床は頑丈そうだ。ベッド際の壁に段差があって燭台があったので、手にしていた蝋燭を立てた。
小さめだが暖炉があり、トイレも完備してある。風呂はない。代わりに水を貯めておける洗面台がある。
窓は一つきりだ。外側に開けて空気を入れ替える。空気の味は少しだけ山と水の香りを感じさせる。窓を閉めてベッドに戻る。
防具を外して楽な格好になってベッドに寝転がる。
運営がプレイヤーに一定の誘導をしないゲームもあることはある。アルファ・テストともなれば開発途上であるが故に致命的なバグを含むこともあるだろう。
だがこれまでプレイしていて分かることだが、前作の設定を流用している世界である以上、ここまでプレイヤーに優しくない仕様なのは明らかにおかしい。
違和感がある。
運営掲示板も支援AIのおかげで書き込みができたが、オレが支援AIを引き連れてなかったら立ち往生してただろう。
別の意図があるにしても動機が思いつかない。痛覚をカットしていないことから、よりリアルを追求したかった、という予測は立つが、それではビジネスモデルとして成立しないだろう。
謎だ。
睡魔に襲われそうになったが廊下に足音が聞こえたので目が覚めていく。
まだ【知覚強化】が効いてる筈だが、足音は小さい気がする。
ドアがノックされ「お湯をお持ちしました」と声がかかった。
内側からドアを引くと桶を両手で重そうにぶら下げた子供がいた。獣人族なのが獣耳で分かる。それで足音があまりしなかったのか。
その場で桶を受け取った。
「お手洗いですけど、出来れば就寝前に残り湯で流しておいて下さい」
一礼して帰っていく。よく仕込んである。さっきの受付の男の子供なんだろうか。
ドアの上下にある閂をかけてお湯を両手でぶら下げてベッド傍に運ぶ。ベッドに腰を下ろすと暫く呆けたようになってしまった。
まあ、あれだ。
何も考えたくなくて休みたい気分になることってあるよね。
それでもやれることは先にやっておこう。
最初に着ていた麻のチュニックを取り出す。一旦手洗いしてあったがオーガの血が所々にこびりついていてもう使い物にならないだろう。
ダガーで使えそうな所を切っていく。布地をこしらえるとブーツを脱ぎ布地をお湯に浸して足を拭いていった。
き、気持ちいいぞこれは。触覚も強化されてるからなおさらだ。
ズボンを脱ぎ下半身を全て拭き終えたら先程購入した替えのズボンに着替える。上半身も裸になって拭いていって着替えて、やっと一息ついた。
いや、まだやるべきことがある。
日本刀を抜いてみる。【知覚強化】の効果がもう薄れているようだ。もう夕刻のせいもあって刀身の表面もイマイチよく見えない。
布地は麻だからそのまま拭くのはやめておく。綿布があったらいいんだが。
刀を鞘に納めて【アイテムボックス】から荷物を全て取り出した。
硬貨の数を確かめる。金貨が5枚、軽貨が1枚、銀貨が12枚、銅貨が2枚、鈍貨が5枚だ。
どうにもこの軽貨って奴はしっくりこない。アルミだしな。
この世界では希少金属なんだろうし、持ち運ぶにも軽くて便利だ。でもオレには【アイテムボックス】があるからあまり意味はない。
アルミは電気を大量に用いることで安価に生産できるようになった軽金属だが、ゲーム設定ではその技術はない。
そういえば前作である魔術師がボーキサイトを用いてアルミ製造をしようとして運営に怒られたことがある。
その事態を横目で見てたオレも人のことは言えない。加硫ゴムを製造しようとして運営に怒られたのだ。
オーバーテクノロジーの早期導入は考え物だ。
でも時代的にないはずのフォークがあるのは何故だ。
脇に逸れた。
護身用にダガーだけを残して他の装備を【アイテムボックス】に入れてみる。日本刀、硬貨、オーブ、鉈、ブーツ、皮ジャケット、皮鎧・・・全部入っった。
ダガーも入るか試してみる・・・入らない。総重量なのかアイテム点数なのか分からないが上限らしい。
【アイテムボックス】の紐に手を当てて魔力を注ぎ込み、紐を閉じる。そのまま【アイテムボックス】とダガーを抱えるようにベッドに潜り込んだ。
なんか今日はこのまま眠りたい。
「C-1、D-2」
《はい。ナノポッド運用状況は問題なし。代謝廃棄物の回収も確認》
《外部接続の状況は進展ありません》
《環境評価は随時継続中、翻訳解析は日常用語の範囲は予測可能な状態にまで進行しました。仮想ウィンドウにて表示可能です》
「よし、脳内コマンドで仮想ウィンドウ表示できるようにしておけ。」
《了解。環境評価にて一点ご報告があります》
なんだ?
《五感のバイタル・リアクションで過剰な反応が見られます。ゲーム内コマンドの影響です。運営側出力基準となります》
ああ、【知覚強化】のことか。
《交感神経、副交感神経を含めた過剰刺激の影響評価を精査しました。0-2に記録されている電脳麻薬【ブースト】及び類似麻薬の類型レポート、治験記録との比較になります》
なんかえらく怖い話になってきたな。
《脳内神経組織の覚醒反応は今までにないデータを示しました。標準偏差を考慮し95%の精度で脳内神経反応速度が22%以上の向上です。外部刺激の増加は最大で3倍近い範囲までのデータによる統計です》
「刺激増加による習慣性の有無はあるのか、予測できるか?」
《【ブースト】に特有のアップ系興奮状態は、直後に非常に大きなダウン系麻薬反応を生じることが知られています。本日のマスターの生体反応データではこういった反応は全く見られません》
「使っていても問題ないか?」
《データが不足しており断定は不可能です》
「他のバーチャル・リアリティ・ゲームとの比較対象はできるか?」
《C-1にて既に実行中。これまでのところ相関する過剰刺激の検出はありません。五感別で精査中》
杞憂に終わる話なのかもしれないが留意すべきだろうな、これは。
「引き続きモニターしておいてくれ。精査は後回しでもかまわん」
《了解》
「就寝する。ゲーム内で聴覚異常を検知したら起こしてくれ」
今日はなんか疲れた。【知覚強化】で過剰なストレスを強いたせいなのだろうか。
疑問を抱きながらもベッドの中で体を丸めるようにしてすぐに眠りについた。
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集合場所は円卓だった。
テーブルも椅子も黒曜石なのか、黒光りしていて重厚な雰囲気を醸し出している。
それ以上に陰鬱な雰囲気が漂っている。出席者が発散する感情が渦巻いてるからだ。
1人は樽のような体躯をしているドワーフの男性。
出席者の中では一番背が低い筈だが、その存在感は大きな岩を想起させ、周囲を自然と威圧していた。
不機嫌そうな顔を隠そうともしないが普段からこんな顔なのだ。心の中までは計り知れない。
1人は輝くかのような美貌のエルフ女性。
北欧神話のバルキリーかのような煌びやかな装いだが、それには不釣合いな大剣を背負っている。
美しい顔に似つかわしくない苦い表情が張り付いたままだ。
1人はひょろりと背の高い男。
魔術師らしくローブを羽織り、奇妙に捩じれた木の杖を持っていた。
その顔にうかぶ表情は笑顔のままで変わることがない。
1人は雄雄しい体躯の熊人族の男。
農民が着ているような胴衣で気取った所が一切なく寸鉄をも身につけてなかった。
だがその顔は怒りに彩られており、剣呑な雰囲気を周囲に撒き散らしている。
1人はフードを深く被った女。
漆黒のローブを纏っていて何者なのかも伺う隙を見せていない。
フードの奥に見えるのは口元だけで血の色の唇は微笑の形をとっている。
そしてオレもまた彼らの輪の中に加わっていった。
「運営のあの対応は聞いたか!」
熊人族の男が怒りの言葉を吐く。黒いテーブルが震えた。いや、震えるように見えた。
テーブルに叩き付けた拳は怒りに震えているからだ。
「今月の新規会員登録は200人を割った、それも複数アカウントを込みでだ!運営側は人件費を減らしてばかりゲーム内容の充実を図ろうともしない!」
「落ち着きなさいって」
「もう新人プレイヤー同士がパーティを組めなくなってしまって久しい。総プレイヤーの数は既に半減どころじゃないのにか?」
エルフ女性がすかさず掣肘の言葉を差し挟むが聞きはしない。
彼らいつもこうなのだ。
「討論のルールその1」
魔術師の男は笑みを崩さずその場の空気を読まずにまぜっかえす。いつも思うことだが口を動かしているように見えない。
「発言を途中で遮ってはならない」
「あなたも遮ってるようなもんじゃない」
「よせ」
ドワーフの男は一言で3者を制した。
「もう隠し切れない事態だ。ゲームそのものは陳腐化し、我等が仕掛けてきたイベントも底上げには繋がらなかった」
その言葉には苦渋の色が見えるかのようだ。
「後発で似たようなゲームが現れてはプレイヤーの数を削っていく。もはや新機軸を投入する余力もない」
「ワールドデザインの時点で考慮しておくべきだった事態だ」
熊人族の男の怒りは治まる気配がない。
「この場所を見ろよ!11人のカウンターストップに与えられた栄誉ある円卓、だが今ここに集っている人数を見ろよ!」
種族経験値を上限にまで極めた11人は6人にまで減っていた。引退していった5人の存在を寂しく思うこともあった。今は違う感情が湧き上がってくるのが分かる。
ゲーム世界で何を楽しむためにプレイしてきたのか。
最初にログインしてきたときに感じたあの高揚感はなんだったのか。
自ら積み上げてきたものを自らが捨て去る瞬間の感情をどう表現すればいいのか。
今なら分かる。
引退していった彼らが何も語ろうとしなかった気持ちが。
「これもまた現実だよね」
魔術師の男の言葉は楽しげにも聞こえる。癇に障るその言葉にはナイフの鋭さが込められているかのようだ。
熊人族の男の罵声とエルフ女性の悲鳴が交錯する。
もう何も聞きたくない。
「語る言葉をも持たないというならこの場より去れ。この会合とて最早意味もあるまい」
ドワーフの男の声はこれまでに聞いたことのない哀しさが滲んでいた。
魔術師の男が消え、熊人族の男、エルフ女性も次々とログアウトしていく。あいさつもない。
彼らもかつては社交的なプレイヤーだったというのに。
最後まで発言しようとしなかった漆黒のローブを纏う人物が呟く。
「で、貴方にも言うべきことがあったのでは?」
オレには痛い言葉だった。
「・・・私も引退することにしました」
「やはりか」
ドワーフの男の呟きには何の感情が込められていたのだろうか。
顔を上げることができなかったオレにそれを知る手段は声色だけだ。
「理由は・・・」
「進学、なのでしょうね」
真紅の唇が紡ぐ言葉に感情の色は見えない。
漆黒のローブを纏った死霊使い唯一のカウンターストップ、この人物の言動から運営側に属するプレイヤーであることはなんとなく察知してはいた。
オレの個人情報をある程度把握しているのであれば、引退する事情を予測するのも容易いことだろう。大学受験が迫ってきているのだ。
ドワーフの男は何者なのかもある程度は察しが付いていた。現実の世界では寝たきりの病人なのだ。性別や年齢までは確信が持てないが恐らくは若い女性だろう。
《カイザード・オンライン1》からプレイし続けてきた古参の1人。リアルフォース社が特待で招いたユーザーだろう。
会社が広報の一環で募集した中に出歩けない病人の枠があったことをPRしていた。
このドワーフはゲーム内で体を動かすことを心底楽しんでいた。それはカウンターストップとなっても変わっていなかったように思う。
口数は少なく、口調も男のものだったが、その言動の端々に喜びの感情に満ち溢れていた。オレにとっても一番長く組んでいた相手なのだ。
「では貴方のキャラですが、引退した5名と同様、イベント用に引き継ぐことを提案いたします」
「合意します」
「無論、プレイヤーとして流用する真似は致しません。飽くまでも貴方というプレイヤーがいたことの証がこの世界に残る。そうなるよう努めます」
まあなぐさめにもなっていないが、誠意の一端は持ち合わせていると考えていいかもしれない。引退した5名の扱いは見ていたのだから。
「一つ、お願いがあります」
ついでだ、前からどうしても気になることがあったのを思い出した。
「あなたの素顔は知っておきたい」
まるで病人のような青白い手がゆっくりとフードを上げていく。
オレはその顔を・・・美しい、と思ったのだろうか。
思い出せない。
オレの発した最後の言葉は・・・ありがとう、ではなかったか。
思い出せない。
何故、思い出せないのだろう。
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目が覚めたらまだ外は暗いままだ。
いつものように頭を一つ振って覚醒を促す。思考がクリアになっていく。
夢を、見た。
あれは現実で見た夢なんだろうか?
部屋の中が暗いままなので【ライト】を詠唱破棄で念じる。頭上に球状の光が出現して周囲を照らす。
冒険者には必須のコモン魔術だ。
「C-1、D-2と交代で支援だ。寝ていた間の進捗はどうだ?」
《了解。接続状況に進展はありません》
《ゲーム内での聴覚異常の検知もありません》
日々是平穏なり、か。
一晩眠ったから種族レベルが上がっている筈だ。
となれば【アイテムボックス】は容量が増えておりダガーも入る筈である。
紐を緩めてダガーを入れてみる・・・ちゃんと入れることができた。
種族レベル3に無事なっているようだ。
腰帯を出して身に着け日本刀を手にすると再びベッドの上に寝転んだ。
「C-1、運営掲示板のログを表示、日付が新しい順番でソートだ」
《了解》
朝何時なのか分からなかったが朝飯の時間まで余裕があるだろう。
夜明けまで記事を読み込むことにした。




