17 幕間〝すずや〟
フェロモン魔人の回
お先に失礼しまーすの声に、
ありがとう、また明日お願いします、と声を掛けて店内にもどる。
最後のお客の空いた皿を片付けて洗い場に持ってきた彼女に、もう上がっていいよ、と声をかける。
は〜い
といいながら全てのテーブルを拭いている彼女を微笑ましく眺める。
洗い場を全て清めて最後の拭き上げをすると、カウンターを拭いていた彼女の動きがふいに止まった。
「大将、2週間後、どうするんですか?」
「んー?」
「あんな事、約束しちゃって」
「うーん、そうだね」
多分、あいつの事だから何だかんだ言って最初の約束の日を休みのシフトにしてると思うんだよね、と言った。
「だから、何とかあの日にかち合わせたくてさ」
「それはいいとして、都合よく新物上がりますかね」
「何とも言えないな、それを言うなら〆張の濁り、2週間後までとっとけば良かったのに」
〆張鶴の濁り酒はなかなか市場に出回らない。酒造元と繋がりのある酒屋さんが特別に下ろしてくれた物だ。
この店に届いたのも一本だけで、これが無くなったらまた来年まで出てこない。
充分、新物に値する。
そう言うと、彼女はあり得ない、と首を振った。
「テイスティングで口火を切ってしまいましたもの。それに今日は祝杯ですよ? 一番相応しいじゃないですか」
ちょっとした良き日に、いつもとは違う特別なお酒、提供したいじゃないですか。
店内を眺めながらそう言う彼女に、そうだね、と言った。
「ありがとう、ナミさん」
「大将、仕事中です」
「もう上がったよ?」
「こちらはまだ仕事中です」
はっきりそう言ってまたカウンターを拭いていく。苦笑してツトムは内暖簾をくぐり、着替えて鞄を肩に掛けた。
車の鍵を弄りながらカウンターに寄っかかって待っていると、暖簾、下ろすの忘れてた、とナミが外から戻ってきた。
こちらに背を向けて暖簾を片付けている華奢な立ち姿。無造作に一つにまとめた髪の一筋が、首筋に垂れている。
「ナーミーさん」
「……仕事中です」
「色気出してる貴女が悪いと思います」
「出してません」
「エプロン姿ってエロいよね」
「! エロくない!」
背後から抱きしめられて固まっていたナミがくるんとツトムの方に向いた。
お? その気になった? と攻めようとすると、みよーーんと頬を両方に引っ張られた。
「あにすんにょ」
「ここは仕事場です」
「ひょっとくらひ、ひーでひょ」
「大将にとって板場が神聖な場所の様に、私にとってフロアが神聖な場所なんです」
「……しゅみばしぇん」
「分かればいいのです」
腰から腕が引いたのを見て、頬の手を離す。
連れないな、と頬をさすりながら先に車に行ってる、ととぼとぼ歩くツトムをナミは腕を組んで見送っている。
内暖簾に手をかけた所でツトムは半身だけ振り向き、
「煽った分、覚悟してよね」
強烈な流し目と捨て台詞を吐いて暖簾の中へ入っていった。
ナミは裏口が閉まった音を確認して、その場にしゃがみ込む。
もう、どうにかして、あの人…
大将の時は完璧なフェロモン魔人。
ナミの事も従業員として接し、それ以上でもそれ以下でもない。
だか今日みたいに人がはけて二人きりになると……
ナミだって嫌なのだ。
鍵を弄って寄っかかってるだけでどきっとしてしまう心臓。
これから二、三日は暖簾を片付ける時に抱き締められたのを思い出してしまう、どうしようもない脳味噌。
本当に、困るのだ。
この場所で口付けでもされようものなら、仕事中でも思い出してお酒をこぼしてしまう。
「……ケンさんの気持ち、分かるな」
仕事に支障が出るなら離れたい。
まだ恋をしていないのなら、このままフェイドアウトしたい。
今の自分にはまだ、かわす余裕がないから。
でもケンさん
と腕に突っ伏して思う。
もう無理かも
落ちたらきっと、離してもらえない
いつかゆっくり話せる機会があったら、お互い肩を叩き合おう。
きっと私達、同じ穴のムジナだ。
だって見初められてしまったのだから。
天然強力フェロモン魔人達に。
ナミさん、とフェロモン魔人は言っていますが、ナミの方が年下です。
3、4歳差かな。
16話のすずやの様子から、この話が出来ました。
W主人公が甘くないので、甘いの欲しくなりました。。。




