02-01. 学院、初日
初登校の朝。
新しい制服を纏った私は、タウンハウスの玄関先で、見送りに来てくれた両親と侍女のマリアを振り返った。
「お父様、お母様、マリア、行ってまいります!」
今日から四年間、私は王都のタウンハウスから学院に通う予定だ。毎年この時期は領地で過ごす両親も、今年だけは特別に、私の入学に合わせて王都に数日滞在する。
両親の気遣いが嬉しい。
これから頑張らねば、とあらためて身が引き締まる。
マリアもタウンハウスに移り住み、私の専属侍女として世話を担当してくれる。とても心強い。
「アデルお嬢様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「わが天使よ、何かあったらすぐに連絡するんだぞ」
マリアはいつものように淡々と、お父様は感慨深げに声をかけてくれた。
少し白髪と皺が増えたけれど、お父様は今も素敵な男前だ。親バカは相変わらずだけど。
そんなお父様に長生きしていただくためにも、しっかり勉強しなくてはね……!
「あなたの決めた道だから、最善を尽くしなさい。わたくしたちはいつでもあなたを応援しているわ。でもね、アデル……」
「何でしょう、お母様」
気合い十分な私に、お母様は躊躇いがちに声をかけてくる。
「言いにくいけれど、その眼鏡は……ないと思うのよ。あなた、目は良かったわよね? それに制服のサイズが合ってないのではないかしら」
美しいお顔を曇らせて、お母様がそんな事をおっしゃる。……ええ、ご指摘はごもっともです。
──お母様の言うとおり、私の目は悪くない。
悪くないのに、牛乳ビンの底のような分厚いクソデカ眼鏡が、私の顔半分を覆っている。
学院指定の制服も、本来のサイズより二回りも大きいものを選んだ。
でも、このちぐはぐな格好だけは、ぜったいに譲れないのだ。
「お母様、どうかそれはおっしゃらないで。この眼鏡は、"優等生"の必須アイテムなんです!」
「必須アイテム……?」
「ええ。私の目標を達成するためにどうしても必要な物ですわ。何事も形から、というではありませんか。
それに、今から成長するので、制服はまったく問題ありません。ご安心を」
「そ、そうなのね……?」
思いつきの理由を言うと、お母様は一応納得してくださった。少しほっとする。
本当は、こんな格好をする理由は、別にあるのだけれど。
……クソデカ眼鏡もブカブカの制服も、私の派手な顔やスタイルを隠すためのカモフラージュ。
"ド地味な優等生"になりきるためには、どうしてもこの素顔が妨げになるはずだ。
だから私は、自分の本当の容姿は、絶対に周囲に知られてはならない、と考えていた。
これにはもう一つ、理由がある。
正直こちらの方が切実なのだけど……実は、かつての配偶者、レグルス王子は現在、学院の生徒なのだ。
かつての人生でも、彼は王立学院の卒業生だった。それとなく確認したところ、今回も学院に在籍しているという。
レグルス王子は二学年上の三年生。そうそう接点があるとは思わないけれど、万が一、あの惚れっぽい王子に見つかって、見初められたら──
せっかくのギロチン回避計画が、すべて吹っ飛んでしまう。今までの努力が無になりかねない。
それだけは御免だ……!
記憶を取り戻してから、私は美しさを保つ努力を一切しなくなった。
代わりにひたすら勉強していた。
髪も肌も、最低限のお手入れしかしていない。
なのに、私の外見は、絶世の美少女のままだった。
単に地味な格好をしただけでは「地味令嬢」にはなりきれない。それくらい派手。
これはけして自慢なんかじゃない。「いっそ顔を焼いてしまおうか」と思いつめるくらい、私は真剣に悩んでいた。
もはや、忌々しい呪いだ。
それであれこれ試した結果、ビン底眼鏡で顔を覆い、ダボダボの服で体を隠すのが一番手っ取り早い、と気づいた。だからそうしたまでである。
◇◇◇
私を見つめる両親の表情は、何となく悲しげだ。
将来は優秀な婿を取って、家を継がせよう……と考えていた箱入り娘が、こんな「ダサ眼鏡の優等生」になったら、それは悲しいだろう。
でも、私は一度ギロチンを経験している。
あんなのは嫌だ。両親の非業の死だって、全力で阻止してみせる。
お二人には申し訳ないけれど、可憐なアデルハイデは白昼夢か何かだったと思って、すっぱり忘れていただきたい……
そんなわけで、私はビン底眼鏡をかけ、もっさりした前髪に地味な二つ結び──間違ってもツインテールなどというお洒落結びではない──、ダボダボの制服でひっそり登校したのだった。
両親とマリアに見送られ、馬車に揺られて暫くすると、王立学院に到着した。
立派な鉄の門をくぐり、その先の車寄せで馬車を止め、そっと降りる。
まわりはキラキラした貴族の子息や令嬢ばかりだ。ダサい髪型にビン底眼鏡、ブカブカの制服を着ている子は一人もいない。私を除いて。
悪目立ちする前に退散しよう。
私はそそくさとその場を立ち去った。
…………えーと、私の教室はどこかしら。
煉瓦造りの建物に移動し、廊下でキョロキョロする。その時、後ろからドンと押されて尻餅をついた。
「きゃっ……!」
悲鳴を上げて、床に手をつく。まわりにいた子たちがくすくすと笑っている。
抑えた笑い声には、うっすら悪意が籠っていた。
私はとっさに悲しげな表情を浮かべた。
でも本当は、全然気にしてない。首チョンパされた元"悪女"のしたたかさを舐めないでほしい。
「……すまない、平気?」
「大丈夫……です」
しゅん、としたフリをしていると、ぶつかった相手が声をかけてきた。
視線を上げる。
相手と目が合って、軽く息を飲んだ。
空気がキラキラ光ってる。
……幻覚?
暫く私は固まっていた。
目を疑うような麗しい少年が、心配そうに私を覗きこんでいたからだ。
これは……すごいわ。
内心で唸る。
光を集めたかのような輝く白銀の髪に、明け方の空のような、澄んだ青の瞳。
そして、とんでもなく整った顔。
キリッとした眉に、すっと通った鼻筋。薄い唇。どの角度から見ても隙がない。完璧な美だ。
引き締まった長身に、制服がよく馴染んでるように見えるから、多分、騎士科の上級生だろう。
そんな美形を前にして、私は冷たい水をザザーッとぶっかけられた気分になった。
私の勘が、特大の警告を発している。
──これ、ぜったい関わっちゃダメなヤツだ。
だって、普通の人体はこんなにキラキラしてない。近くにいたら変に目立って、おかしな事になる……!
私はすっと視線を外し、スカートの埃を払って立ち上がった。
差し出された手は取らなかった。というか、こわくて取れない。
「私がどんくさいのがいけなかったんです。こちらこそすみません」
「僕も余所見してた。申し訳ない」
差し出した手を引っ込めて、少年はすまなさそうに謝った。またキラキラした何かが飛び散る。
まわりの女生徒たちの目がハートになった。イケメンこっわ……!
軽く頭を下げて、そそくさと立ち去る。
……この動きが定番になりつつあるけれど、それより、少年から離れて心底ほっとした。
初日はそんな感じで、何事もなく終わった。
教養科のクラスメイトは、大人しくて賢そうな印象の子が多かった。このクラスは将来文官を目指す者がほとんどで、騎士科の脳筋系とか、魔法科みたいにひと癖ある生徒はおらず、みんな堅実そうに見えた。
負けてられない、と気合いを入れる。
ここで優秀な成績を修めなければ、王宮で希望の部署には配属されないのだから。
卒業まで四年間は、熾烈な競争に勝ち続けねばならない。
でもきっとやれる。"悪女"だった過去にキッパリ決別するんだ。
決意を新たにした私は、学院初日の夜も遅くまでコツコツ勉強したのだった。




