07-02. 二回目の終わり
──目を開けて、最初に見えたのは白い天井だった。
一瞬、マリアが私を呼び寄せた、あの白い空間にまだいるのだろうか、と混乱する。
でも、そうではないとすぐに気づいた。
そこは小さな寝室のような場所だった。カーテンで空間が仕切られており、かすかに薬のにおいがする。
ベッドに寝かされた私を、そばに立っていたジーク先輩が心配そうに見下ろしていた。
「先輩、ここは……?」
「王宮の医務室。君は馬車のなかで失神したんだ。気分はどう?」
気遣わしげなジーク先輩の言葉にハッとして、慌ててガバッと半身を起こす。
「……私の侍女のマリアを呼んでほしいんですが!」
「え? 君にマリアなんて名前の侍女いたっけ………?」
「えっ」
先輩は不思議そうに首をかしげている。
いや待ってほしい。
マリアの話は、彼に何度かしている。何ならわが家に招待した時に会ってもいる。
いくら座学が苦手なジーク先輩でも、こんな風にマリアを忘れるはずがない。
じわじわと違和感が強くなる。
もしかして、マリアは私の記憶の中だけの存在になってしまったのだろうか。
時間逆行前の記憶のように。
女神の御使いなら、あり得ない話ではない。
え、でも待って?
マリアの存在が消えたって事は、女神様との伝手も完全に切れてしまったのでは……?
だとしたら、私はこの先、"魔王"化するかもしれないこの厄介なストーカーから、どうやって身を守ればいいんですかぁーー!!?
天を仰いで心の中で叫んでみたが、答えてくれる者は誰もいなかった。
「その…………ごめん。君が大変な時に、自分の気持ちを押しつけてしまって。気を失うほど、嫌だったんだよね……?」
ストーカー……もとい先輩は、捨てられた子犬のようにしょぼくれている。
「や、あはは……そういうわけではないので、気にしないでください。先輩、とりあえず私は回復したので、調書室に行きましょう」
私は、適当に濁しながら先輩を励ました。
ちょっとそっちからは逃避したい。
雑な扱いで申し訳ないが、今はやるべき事がある。
色々ありすぎて忘れかけていたが、私たちが王宮に呼ばれたのは、ファトマ公爵の悪事の数々を証言するためなのだ。
公爵は拘束され、尋問を受けているらしい。
手篭めにされそうになった身としては、ざまぁとしか言い様がない。
今まで可哀想だと思ってた首チョンパも、あのゲス野郎に執行するというのなら、喜んで賛同する。
とはいえ腐っても王族だから、幽閉がせいぜいかもしれないが。
夜遅くまでかかって、証言の調書を作成してもらい、ようやく解放された所で、「アデルーーーー!!!」と誰かが後ろから飛び付いてきた。
つんのめりながら何とか踏みとどまって振り返ると、涙目のソニアが私にかじりついていた。
ジーク先輩は眉間にシワを寄せているが、それを気にするソニアではない。
「さっきは少ししか話せなかったから、心配で……アデル、どこも痛くはない?」
「ええ、大丈夫ですよ。結局、擦り傷しかありませんでしたし、手当てもしていただきました」
「本当に無事で良かった、アデルに何かあったらあたし……!!」
涙目で訴えるソニアを、「落ち着いてください」とどうにか宥める。
「あなたが殿下を連れて来てくれたお陰で、私は助かったんですから。ありがとうございます」
「こんなの、あなたがあたしにしてくれた事の半分にも満たないわよ!」
一人称が「わたくし」から「あたし」に戻ってますよソニアさん。
ぐすぐすと泣きやまない彼女の後ろに、心配そうなレグルス殿下がおられる。
腰をかがめて黙礼し、ソニアを宥めて殿下に預けると、彼は優しくソニアを慰めながらどこかに行った。
先輩は二人の後ろ姿を眺めて、肩をすくめた。
「……仲睦まじいようで、何よりだね」
「私と先輩が全力でキューピッド役をしたんですから、そうでなくては困ります」
「確かに」
ふふっとジーク先輩が笑う。
いつもの空気感だ……と安心したところで、先輩と別れ、私は馬車に乗った。
王都のタウンハウスに戻った頃には、とっくに日付が変わっていて、そこでようやく一息つけた。
でも──マリアという侍女の痕跡は、きれいさっぱり消えてなくなっていた。
◇◇◇
マリアという存在の消失。
それはなかなかにショックだったけれど、彼女はジーク先輩が"英雄"や"魔王"になる未来はないと見定めたから、いなくなったのだ。
私が処刑される未来もないと確約してくれた。それが途轍もなく嬉しい。
"魔王"系ストーカーや、私の無惨な死で"魔王"化ルートが開くかもしれない……等、不安要素もあるにはある。
だけどよく考えたら、私は誰かと結婚するつもりなんかなかったのを思い出した。
今後もひっそりド地味に生きる予定だし、いきなり他殺体になってたなんて事も、そうそうないはずだ。だから、世界を崩壊させる"魔王"の出現はない……と思う。多分。
女神との伝手がなくたって何とかなる、と私は楽観的に考えるようにした。
先輩の告白にどう対応するかは悩ましいけれど、誰とも結婚するつもりがないので、必然的に応えられない……という結論になる。
うっすら感じる胸の苦しさは、この際、置いておくとして。
「…………悩みのスケールが、大きいんだか、小さいんだか」
苦笑と共に、独り言を呟いてしまった。
隣の同僚が怪訝な顔をする。まずい、仕事中だった。
へらっと笑いかけて誤魔化して、壁掛け時計で時間を確認する。
その時、フェルメ室長と目があった。
彼はパッと顔を赤くして、目を逸らした。地下牢で素顔を見られて以来、たまにこういう反応をされる。
直接何か言われるわけではないけど、ちょっとだけやりにくい……
それはそうと、ソニアとレグルス殿下は、来月、正式な婚約式を執り行う事になった。
幸せそうなあの二人に関しては、もはや何も言う事はない。お幸せに、と祈るばかりだ。
かねがね噂されていたが、ジーク先輩は近衛騎士に抜擢された。彼も、レグルス王子の婚約式に警備として立ち会う。
公爵は予想より重い流刑になった。ざまみろ。
お父様、お母様は健在で、ローエングリム家は近々養子を迎え入れる事が決まった。
何もかも順調だ。
そして私は、ある重要な選択をしたのだった。
◇◇◇
…………
……………………
……………………………………
ソニアとレグルス殿下の婚約式から一年後、私は財務官を辞めて、領地に永住するという決断をした。
わがローエングリムの領地は、王都から馬車で五日。近衛騎士の先輩は、職務放棄しない限り、来れる距離ではない。
これだけ物理的距離を置けば、いかにストーカーっ気のある"魔王の末裔"でも、さすがに追っては来ないだろう。
先輩は学院に行かせてくれた家族に恩を感じてるから、エリートの道を捨ててまでストーカーを選んだりしないはず……!
先輩には、「誰とも結婚しない」と伝えた。
でも、それは仕方ないと思う。
私を動かしていたのは、ギロチンへの恐怖だった。
今の先輩は何も知らないし、悪いのは"悪女"だった自分自身だと分かっていても、元"英雄"はやっぱり怖かった。"魔王"の血筋なのも。
それに私は、ド地味なビン底眼鏡だ。計算高く、必要とあらば平気で嘘もつく。
そんな女が、ジーク先輩のような人を幸せにするなんて、どだい無理な話だ。
先輩は善良で優しいから、光属性の素敵な令嬢と、いくらでも良縁を結べるはずだ。
私なんかじゃ申し訳なさすぎる。シャチが滝登りを始めるレベルでありえない。
そうして私が出した結論は、何もかもうっちゃって領地に引きこもる、というものだった。
領地経営を手伝えば、両親も苦労が減って長生きするだろうし。
領地暮らしに興味ないわけじゃないし。
穏やかに生きてたら、いきなり惨殺死体になる事もないだろうし。
そう言い訳をして、私は領地経営に残りの人生を捧げる事にしたのだ。
ローエングリム家は、遠縁のエンデという少年を養子に迎え、彼を後継として申請した。
私は、エンデに領地経営や経済学を教える傍ら、両親の実務を手伝った。
両親が家督をエンデに譲ってからは、エンデの補佐役として穏やかに過ごした。
──小さな庭に、美しい薔薇が咲き誇っている。
独り立ちしたエンデに隠居を申し出て、領地の片隅の屋敷でひっそりと暮らす私に、先輩は花の苗を送ってくれた。
最後にジーク先輩と会ったのはいつだろう。もう四十年近く前になるだろうか。
今でもごくたまに手紙のやりとりはしている。でも、王都を去ってからは、一度も会っていなかった。
数年前、近衛を引退した彼は、今でも独身を貫いているようだ。
老年にさしかかってなお美しい彼は、熟女の皆様から熱烈なアプローチを受けているという。肉食系ってすごい。
そのお誘いを片っ端から断っている、と月イチで届くソニアの手紙には書かれていた。
…………うーん。先輩が私を忘れられなかったとか、そんな事はないわよね。
もしそうなら、私なんぞに拘らず、とっとと幸せになってほしかった。
でも、先輩の結婚しなかった理由が私じゃなかった場合、勘違いで恥ずか死ぬ。人には絶対言えない。
何はともあれ、今回の人生に私は満足していた。
レグルス王は献身的な王妃に支えられ、長く安定した治世を築いている。
百歳まではいかなかったが、両親は九十近くまで長生きした。
私はギロチン回避して、穏やかに過ごせた。
"悪女"時代の贖罪も何とか果たせたと思う。思い残す事はない。
さて、そろそろ私も現世とお別れする時間が来たみたいだわ。
庭先に出して貰った揺り椅子に腰掛け、しわくちゃになった瞼を静かに閉じる。
春の穏やかな風を感じながら、私の意識は暗闇に沈みこむように暗転していった。
うん、二回目は悪くない人生だったわ。
………………なんて思ってた瞬間がありました。
「……え、なにこれ」
ふと気づいたら。
私の時間は、再び巻き戻っていた。
オー、マイ、ゴッデス。
次が最終話です。




