06-08. 私、気絶する
薄暗い半壊の地下牢で、私とジーク先輩は何となく見つめあっていた。
先輩がふっと目を逸らす。そして屈みこんで、床に落ちてた眼鏡を拾って渡してくれた。
「…………これ」
「あああ、ありがとうございます!!」
わわ、すっかり眼鏡の存在を忘れていた。
急いでそれを装着する。良かった、壊れてない。これがないと落ち着かないのよね。
先輩はそれ以上何も言わず、ただ黙っていた。
気まずい沈黙が流れる。何か言いたげだった先輩は、けれどもそれをいったん胸の奥にしまったような顔をして、そっと口を開いた。
「………とりあえず、ここを出ようか」
「……はい」
促されて地下牢を出ると、そこは立派なお屋敷だった。ただし、壁に所々穴が空いている。
間違いなく先輩の仕業だ。夏はさぞかし風通しが良くて涼しいだろう。
公爵邸はすでに制圧され、そこかしこに騎士が配置されていた。その一人に声をかけられ、玄関まで案内してもらう。
彼によると、騎士団はフェルメ様の指示で、一連の事件の証拠を押収している最中だそうだ。
玄関前にはもう、ソニアが用意した馬車が到着していた。案内してくれた騎士に礼を言って、先輩と馬車に乗りこむ。
柔らかいクッションに体を預けると、ようやく「助かったんだ」という実感が湧いてきた。
「これで、一件落着でしょうか……」
「そうだね。気になる事は色々あるけど……」
ジーク先輩の言葉に、確かに、と唸る。
前回人生で起こった冤罪事件。
そして、ウルギークによる侵略。
この二つは無関係だと思っていた。だが、両方とも、公爵が裏で糸を引いていた可能性が高そうだ。
そんな感じのこと匂わせてたし。
隣国と公爵との間にどんな取引があったのか。それらの疑惑は、真の黒幕の存在が明らかになった事で、いずれ解明されるだろうけど……
あの顔だけはいい公爵、上手く立ち回ってたみたいで腹が立つわ……!
"悪女"時代、いや今もだが。
ファトマ公爵は、けして目立つ行動をしなかった。
特に巻き戻り前は、"悪女"の横暴を隠れ蓑に、あれこれ暗躍してただろう事は想像に難くない。
推測だが──
前回の公爵は、横領した金を手土産に、密かに隣国ウルギークを唆して、荒廃した王国を攻めさせたのではないかしら。彼は、反乱軍と王国軍の両方を隣国に制圧させた上で、王位簒奪するつもりだったのだろう。
とはいえ、公爵もいまや咎人。
私の推測が当たりなら、上手くすれば未来が変わって、侵略もなくなるかもしれない。
そうだといいなぁ……そしたら私の首はますます安泰になるはずだ。
ところで……実はもう一つ、感動した事がある。
レグルス殿下は、私が素顔を晒していても、一切動揺を見せなかったのだ……!
レグルス殿下がソニアに向ける信頼は、生半可なものではない。私の顔ごときでは、二人の関係にヒビさえ入らないのだ。
その事は、側で二人を見てよく分かった。
あの方は何気に一途だし、二人の絆は岩盤並みに固いのだろう。なんて素晴らしいのかしら……!
あまりに嬉しくて震えていると、恐怖からだと勘違いした先輩に、「大丈夫?」と真面目に心配されてしまった。
「アデル、どこか痛いの? 公爵に何かされた……?」
「あっはい、三回お腹を蹴られた上に、顔を見られて手篭めにすると宣言されましたが、先輩が駆けつけてくれたので概ね無事です!」
「何だって……?」
上の空で、つい地下牢で起きた事をペラペラと喋ってしまった。ハッと気づいたら先輩の表情が激変していた。
なんかドス黒いオーラが漏れてる!
「あいつはやはり殺しておくべきだった……」
「いやいやいや先輩、落ち着いてください!? 断罪なら殿下とフェルメ様がやってくれますし、私はこの通り元気ですから!!!」
「そう…………でも許しがたいな」
「あっそういえば、先輩には助けてもらったお礼をきちんとお伝えしていませんでしたね! うわぁ、私ってなんて恩知らずなんだろう! あらためて本当にありがとうございましたぁ!!」
「…………それは気にしなくていいから。顔を上げて、アデル」
先輩の殺気が急速に萎む。良かった。
ジーク先輩が暴走した挙句、国と敵対して"英雄"ならぬ"反逆者"になったら不味いなんてものじゃない。また国を滅ぼしそうだわ……
先輩はなんだかんだ私の数少ない友人で、命の恩人だ。
潜在的な敵ではあるけれど、"反逆者"なんかにならずに、できれば幸せになってもらいたい。
よし、話題を変えよう。
「先輩、よく私の拐われた先を見つけられましたね!」
「うん……君が押し込まれた馬車を、必死で追いかけたんだ。一度見失った時は肝を冷やしたけど」
「え、どうやってもう一度見つけたんですか?」
「近くにあった尖塔によじ登って、上から。こう、壁をヒョイヒョイと……」
「蜘蛛かヤモリみたいですね……」
やはり、元"英雄"は身体能力が尋常ではない。おかげで助かったのだが。
先輩は馬車がファトマ公爵邸に入ったのを確認し、たった一人で護衛をなぎ払い、正面突破したという。強い。
「……そういえば、殿下たちの到着がやけに早かったと思いませんか? 公爵に動きがあれば、いつでも捕まえる準備が整っていた、という事でしょうか……」
「そうだろうね。常に見張りがついてたんじゃないかな。でなければ、あれほど迅速にレグルス殿下が動くはずがない」
淡々と答えた先輩は、そこで苦しげに顔を歪めた。
「でも、公爵を泳がせた結果、君が巻き込まれたなら……その泳がせる判断をした人間を、僕は許せそうにない。君が無事で本当に良かった……」
向かいからしなやかな腕が伸びてきた。と思ったら、私は力強い腕に抱きしめられていた。
「僕は、君のいない世界で生きていけない」
「へぃぁっ!? ……あっ、あの、私はただの友人じゃないですか。先輩、大袈裟ですって……!!」
押し戻そうとしたけれど、先輩はますます私にぎゅっとしがみつく。
まるで小さな子供みたいだ。
「君はただの友人なんかじゃない」
絞り出すような声は、どこまでも切実だった。
「いつだったか、君が屋上庭園で転寝をしてた事があったよね。あの時、悪戯心で君の素顔を見てしまったんだ。
君は学院で初めてできた対等な友人で、しっかりした素敵な女の子だったから、どんな顔をしていたって、僕の気持ちは揺らがないと思ってた」
「……………」
「でも君は、想像してた千倍も万倍も綺麗だったから……もっと好きになってしまった」
ひう……と喉で変な声がした。
先輩は、懺悔する罪人のように言葉を続ける。
「勝手に素顔を見てすまなかった。許してほしいなんて言う資格はないけど、友人のふりをしてでも、ずっと君のそばにいたかったんだ」
「………………」
え、なにこれ。夢とか?
ふと、地下牢での先輩の様子が頭をよぎる。そういえばジーク先輩、私の顔を見ても全然驚いてなかったよね……
あれは、私の素顔を知ってたからだったのか。
じゃあつまり、今生では、元"英雄ジーク・ライヴァルト"が、宿敵の元"悪女アデルハイデ"を好きになったって話で……?
──今日は、本当に色んな事があった。
でも、最後の最後、これが一番衝撃だった。
先輩に抱きしめられながら、私は泡を吹いて気絶した。




