06-06. 本当の黒幕
「起きろ」
ガツン、とお腹を蹴られて目が覚めた。
私は手足をきつく縛られ、冷えきった床に転がされていた。
嗅がされた薬品のせいで、意識がぼんやりする。蹴られた痛みも鈍くしか感じない。
靄がかかった思考をどうにか動かし、目を凝らして、周囲を確認する。
薄暗い石造りの天井や床。入口は鉄格子。
地下牢か何かだろうか。
個人で地下牢を所有しているとかすごい。もちろん全く褒めてない。
カビ臭さや石の冷たさは、前回人生で、首チョンパされる前にブチこまれた牢獄での絶望を、嫌でも思い出させた。
……結局こうなってしまうのだろうか。
私なりに必死に頑張った。
だけど結局、運命を変えるなんて無理だったのかもしれない。
気分は最悪だった。吐き気に耐えていると、目の前にあった足が再度お腹を強く蹴った。
「うぐっ……」
「起きているのだろう。私は無視されるのが嫌いだ。返事をしろ」
「……あなたは……?」
「計画が全て台無しになった。何もかも貴様のせいだぞ」
私はよろよろと半身を起こして視線を上げた。
そこにいたのは、華やかな容姿の男。大陽のような濃いめの金髪に、整った美貌。ただ微笑んでいるだけなら、聖人君子のようにも見える清らかさ。
だが実際には、黒い噂の絶えない人物。
男──筆頭公爵ユーリ・ファトマは、冷やかに私を見下ろしていた。
「ファトマ筆頭公爵閣下……あなたのような方が、何の理由があって私にこのような狼藉を……?」
「貴様自身がよく知っているだろう。最初に北方の横領事件に気づき、フェルメに掛け合って手を回したのは、貴様ではないか。白々しいにもほどがあるぞ」
「…………どうして、それを」
最初に不正に気づいたのは確かに私だ。でも、この件で、私の存在が公になった事はない。
何故、という考えが顔に出たのだろう。私を見下ろすファトマ公爵が薄く笑った。
「王位継承権を持つ私に、その程度の情報を手に入れる事なぞ造作もないわ」
「……さようですか」
「だがな、横領事件を発端に、協力者や隣国との繋がりも露見してしまった。慎重に裏の裏から手を回したというのに、危うく私にも嫌疑がかかるところだったぞ。本当にやってくれたな」
「ウルギークの件も、閣下が関わっていたのですか……?」
ゴクリと唾を飲み込む。
公爵は私の疑問に答えず、ただ口の端を上げた。それは肯定だった。
「平凡な王に愚鈍な息子。直系というだけで、能力に見合わない権力が転がり込む。貴様も理不尽だと思わないか?」
何を言いたいのかわからない。
いや、分かりたくもない。
言葉の通りなら、彼は王位簒奪を狙っていた、という事だろうか。
横領事件と、それに関連して隣国ウルギークとの接触が発覚したせいで、簒奪計画が潰れてしまった、と。
ファトマ筆頭公爵は確かに、黒い噂の絶えない人物ではあった。だが、ここまで大それた野心を持っていたなんて、誰が想像出来ただろう。
驚愕する私に、公爵は猫のように目を細めた。
「この国は私の物だ。私の好きにして何が悪い?」
恍惚とした表情で独り言のように言う公爵。
私はこういう人間を知っている。それは──かつての"悪女"だ。
「……そんな事をしても、誰も幸せになんかならない! そうやって国を好き勝手して、人を虐げれば、誰かがあなたの首を刎ねるだけよ!」
気がついたら叫んでいた。
昔の私が大嫌いだった綺麗事。でもそれは、今の私の、掛け値なしの本心でもあった。
でもこの状況で、後先考えずに公爵を刺激するのは不味かったかしら……と我に返った時には遅かった。
「黙れッ!!」
「ぐぅっ………」
また腹を思い切り蹴られた。牢獄の床に、ずしゃっと転がされる。
今のは効いたぁ……骨とか折れてないといいけど。
「貴様、余程死にたいらしいな」
「……ッ」
公爵は私の髪を掴み、上半身をぐいっと引き上げた。そして顔を近づけ、ニタリ、と笑った。
「貴様の事は色々調べさせてもらったぞ。王太子妃に内定した令嬢と懇意にしているそうじゃないか。あの娘が地位を射止めるために、貴様は相当な手助けをした、ともな。
なのに、けして目立とうとはせず、財務官という地味な仕事についた……貴様の狙いはなんだ?」
ユーリ・ファトマは紺青の瞳を眇める。虫けらを見るような冷たい目つきに、ぞくりとする。
この目、覚えている。舞踏会で踊るレグルス王子とソニアを眺めていた公爵は、こんな目をしていた。
「貴様は危険だ。この国の王宮は間抜けばかりだが、貴様は違う」
「…………私は、社交や目立つのが好きではなかったので、文官を目指しただけです」
「ははは、まあそういう事にしておいてやろう……その古くさい眼鏡の下に、醜い顔でも隠しているのか?」
「……やっ」
公爵は口元を嘲けるように歪ませた。その笑みは、他者を追い詰め、傷つけるのを喜ぶ人間のそれだ。
公爵の手が伸びてくる。
顔を背けて避けようとしたが、縄で縛られていて叶わない。気がついたら眼鏡を剥ぎ取られていた。
「ほう……これはこれは」
ファトマ公爵が目を見張った。見られた。見られてしまった。この顔を。
「親譲りの美貌を隠していたのか。傾国と呼ばれてもおかしくはない、天上の美しさではないか。
私が手篭めにした後、娼館に高値で売り飛ばしてやろうか。それとも、ウルギークの王族に献上しても良いな……使い途は色々ありそうだ……」
ファトマ公爵が口角の端を上げて、嗤った。
そこに本気を感じ取って背筋が凍る。
ここは何処とも知れぬ地下牢だ。助けは望めそうにない。
ゾッとしたその時──
ドガン、と激しい音がして地下牢全体が軋んだ。公爵が私の髪から手を離し、たたらを踏む。
同時に燭台の炎が風で揺れた。
外から空気が入ってきた、と一瞬遅れて気がつく。
厳重に閉じられた地下牢の入口を、誰かが破壊したのだ。
「何事だ!」
「アデル、無事か!?」
公爵が鬼のような形相で振り返った。
その視線の先にいたのは、天上の美を凝縮したかのような美貌の青年。
かつて私を処刑した"英雄"──ジーク・ライヴァルトだった。




