06-05. 油断していた
王都は冬の終わりを迎えていた。
王宮に植えられた樹木も、枝先の蕾が少しずつ膨らみはじめている。
季節が巡り、王宮を騒がせた横領事件は少しずつ忘れられつつあった。
しかし世間が忘れても、私は忘れることなんか出来なかった。この事件には、ジーク先輩が"英雄"になるかどうかと、自分の首チョンパがかかってるのだ……!
とはいうものの。
事件調査の結果は、あまり芳しくなかった。
ウルギークへの金の流出や、犯人たちが武器や食糧を買い漁った目的等は結局、解明されなかったからだ。にも拘らず調査は終結。
実に無念。そこが大事なのに。
なんだか、とってもモヤモヤする結末だ。
また、ウルギークの対応もザルだった。
王国は強く抗議したが、ウルギークは「欲にかられた下っ端がやった事だ」と言い張った。
抗議された手前、ウルギーク国内でも一応調査をしたが、ハガード伯と関わりがあったとされる下っ端を数人処分した後は、知らぬ存ぜぬを貫いている。
そんな風に、私としては、あちこちに疑念が残る幕切れとなった。
とりあえず状況を整理すると、おそらくジーク先輩の実家への冤罪はなくなったとみていいだろう。
その可能性が高かった横領事件は、すでに解決してしまったからだ。
ただ、横領事件とウルギーク侵略には何らかの関係があるかもしれない。
今最も気になるのが、ウルギークの侵略の有無だけど……侵略が本当に起こるのか確かめる方法や、未然に防ぐ方法が思いつかない。
ある程度未来を予測出来るのに、何もしないでいるのは、途轍もなくもどかしかった。
──それでも毎日は続く。今日も仕事だ。
私は最近ルーチンワークになった文書配布をこなしていた。他部門の部署に、書式の変更や締め切りを知らせる文書を配り、必要なら解説する役目だ。
王宮の渡り廊下を歩いていると──ふと、どこかから視線を感じた。
パッと顔を上げると、三階の窓辺で誰かが身を翻したのが見えた。何となく、派手な金髪だったような…………?
……いえ、まさかね。気のせいだわ、きっと。
誰かに見られてたかも、なんて、いくらなんでも自意識過剰だろう。私は空気のような存在の、ビン底眼鏡のド地味な財務官なのだ。
一人咳払いして誤魔化す。
さっきの違和感は気のせいだろう、と思い直して、次の部署に向かったのだった。
◇◇◇
週末の今日、私はタウンハウスに戻って昼過ぎまで本を読んでいた。
私は王宮の寮住まいだ。でも、両親が領地から出てきて、タウンハウスに滞在する間は、週末をこちらで過ごす。
両親の元気な姿を見ると、心からほっとする。
市中引き回しになんかさせない、絶対に阻止してみせるわ、とあらためて誓った。
でも、いまだに、隙あらば縁談を勧めてくるのはやめていただきたいわ……
養子は探してるみたいだけど、私の結婚も諦めきれないようだ。いや、結婚も絶対しないから。
「……さて」
読んでいた本をパタンと閉じる。今日は久しぶりにお友だち会に行く予定だった。
先輩に会うのは半年ぶりだろうか。
お互い仕事してるから、間が空くのは仕方ない。
「そういえば先輩、冬季の遠征に参加してたのよね」
先輩が忙しかったのは、騎士団の冬季遠征──通称、"悪夢の雪山訓練"に行ってたからだ。
参加した者はみな顔つきが変わって帰ってくるそうで、しばらく雪山の悪夢にうなされるとか。
……でも、ジーク先輩は何事もなく帰ってきそうだわ。あの人、規格外だし。
ソニアは、今日の会は不参加との連絡があった。正式に王太子妃に決まって、やること山積みで寝る暇もないらしい。
とりあえず心からエールを送っておく。
というわけで、今日は先輩と二人、町なかのカフェで会う予定になっていた。
「そろそろ出掛ける準備をしなきゃね」
鏡の前で、黒髪を雑なお下げにまとめ、クソデカ眼鏡を装着する。それからクローゼットへ。
サイズのあってないブカブカのワンピースに着替えて、地味なコートを羽織って完成。所要時間、約五分。
「お嬢様……相変わらず、貴族のご令嬢とは思えないお早いお支度ですね」
「そうでしょう。楽でいいの、これ」
エントランスに見送りに来たマリアに、ふふ、と笑みを返して、「じゃあ行ってくるわ」と我が家の馬車に乗りこんだ。
待ち合わせのカフェから少し離れた場所で馬車を降り、店に向かう。店内に入ると、先輩が手を上げて合図してくれた。
先輩もダボッとした服と、地味な茶色のカツラに、クソデカ眼鏡を装着している。
あの地味な青年が、かの有名な近衛候補、ジーク・ライヴァルトだなんて誰も信じないだろう。
先輩の変装は完璧だ。
「すみません、お待たせしました」
「いや、僕もさっき来たところだから」
先輩がにこりと笑って、メニューを開く。
それから店員を呼んで、紅茶とアップルパイを頼み、あらためて先輩に向き直った。
「ジーク先輩、少し日焼けしました?」
「雪焼けだと思う。雪山行軍の訓練に行ってきたから……」
「やっぱり、先輩でもきつかったんですか?」
「いや、僕は全然平気だったよ。実家の辺りがわりと雪深いから慣れてるんだ。遭難しかけた先輩とその荷物を担いで、夜営地まで戻ったりしたな」
「そ、そうですか……」
相変わらずの体力だ。特に自慢げでもないのがまたすごい。
近況を報告しあい、暫くおしゃべりした後で今日はお開きとなった。
いつものように他愛のない話しかしなかったけど、ジーク先輩は楽しそうだった。
「また連絡するよ」
「あの、先輩、それなんですが」
私はシュタッと手を上げた。
「そろそろ、この会は終わりにしても良いんじゃないかなぁと思うんです」
「…………どうして?」
「学院の頃はともかく、先輩もお忙しいようですし、時間を作るのも大変ですよね。
それにご友人の一人や二人、さすがに出来たのではありませんか?」
「友だちね……もちろん、いなくはないよ。でも、君は特別な友だちだからやめない。じゃあまたね」
先輩はさくっと拒否すると、手を軽く振って、有無を言わさず去っていく。
……雪山で助けてあげた先輩と仲良くしたらいいのに、なんて思ったりするけど、ジーク先輩のコミュ力の低さを舐めてはいけないのも事実。
私の運動神経といい勝負だろう。
気の置けない友人が、いまだ私とソニアだけだとしたら、お友だち会をやめるのは可哀想かもしれない。
私としては、正直どちらでもいい。先輩の家族に冤罪が起こる未来は、ほぼ潰したからだ。
先輩が"英雄"になる可能性もぐっと低くなったわけだし、近況を知る必要もない。
でも、様子見で時々会うのも全然アリだし、先輩が続けたいなら……いいのかしら。
そんな事を考えながら、わが家の馬車を目で探す。
馬車はここからすぐの路地裏にいた。カフェを出て、一人でそこに向かう。
──後から思えば、この時の私はあまりに無用心だった。
二度目の人生は目立たず地味にやってきたので、誰かに害されるほど自分が憎まれるなんて、ほとんど想像もしてなかったのだ。
……気をつけろ、と言われてたのに。
「………っ!」
フェルメ様の忠告が頭をよぎった時にはもう手遅れだった。
誰かが背後から口を塞ぐ。声すら出せず、力づくで路地に引きずり込まれた。
「騒ぐとここで殺す、アデルハイデ・ローエングリム」
目深に被ったフードで顔を隠した男は、私を押さえ込みながら、片手でナイフをちらつかせた。言われなくとも声なんか出せない。コクコクと頷く。
走って来た馬車が私の真横に横付けした。乱暴に押し込まれ、中で待機していた別の男に何かの薬品を嗅がされる。
ツンとした臭いが鼻腔を刺し、意識が朦朧とする。
「…………アデル!!!」
気を失う寸前。
走りだした馬車の後ろで、私を呼ぶ先輩の声が聞こえた気がした。




