06-02. 横領疑惑
ロベルトさんの指導の下、仕事に少しずつ慣れてきた今日この頃。
大きなトラブルもなく、平和な日々だ。それにすっかり慣れきっていたが、最近、財務部の空気が殺気だってピリピリしてきた。
年に一度の、予算編成の季節が巡り巡ってきたのだ。
予算編成とは、簡単にいうと、国の予算の使い途を決める一連の事務作業だ。
一言でいえばそうなんだけど……これが本当に、大変らしくてですね……!
王宮内外のどの部門も、多くの予算をもぎ取ろうと必死だし、調整が難航する事も多い。
金銭が関わるだけにミスは許されず、いつも以上に完璧が要求される。
時間はいくらあっても足りない。なのに、締切はどんどん迫ってくる。
作業の中心を担うのは、予算策定室という部署だ。しかし、そこだけでは圧倒的に人手が足りず、財務部のほぼ全員が手伝いに駆り出される。
そのため、財務官たちには「地獄のシーズン」と呼ばれ、怖れられていた。
ただし、そんな財務官にも例外はいる。
……私だ。
ひよっこで申し訳ない。
ぺーぺーの新人である私は、予算編成を手伝うにはあまりにも経験不足という話になり、それが終わるまでの間、別の雑用をする事になった。
ロベルトさんや他の先輩たちが、忙しくて後輩の面倒を見るどころではないのは、人相が変わってきたのを見てよーく理解してます……
というわけで。
今日はその件で、室長に呼び出されていた。
「──明日からの三日間は、各部門の代表と財務部で予算の審議を行います。皆さん手が離せませんので、ローエングリムさんには、保管庫の整理をお願いしたいのですが……」
「はい、お任せください」
室長の言葉にしっかり頷く。
明日から予算編成が始まる。一年で最も重要な会議というだけあって、室員総出で参加が決まっていた。……私以外は。
「今回はすみません。経験を積んで、来年はぜひ、会議の方に参加してくださいね」
執務机からこちらを見上げた室長は、申し訳なさそうに私に謝った。
いえ、むしろこちらが申し訳ないです。ごめんなさい。
この表情をされてしまうと、別の罪悪感もポコポコ沸き上がってきて辛い……
眉を下げた室長の顔は、前回の人生でも何度か見たからだ。
──あの、知的で端正な顔立ち。
銀のフレームの眼鏡。
緩く結った、濃い茶の長髪。
何を隠そう──室長の名は、アウグスト・フェルメ。
私が"悪女"だった頃、私やレグルス王子を諌め続けた人物だった。
フェルメ様はかつての王宮で唯一、"悪女アデルハイデ"に苦言を言い続けた人だった。今回の人生で、私が財務官を目指したのも、彼の影響が大きい。
あの頃の私は、自分を諫めた部下の首を、比喩・物理の両方でスパンと切って捨てる、清々しいほどのクズだった。
そんな"悪女"に異を唱える人間は日を追うごとに減り、周りは私に媚を売る者ばかりになった。
そんな王宮では、私や王太子への批判はまさに命がけ。彼はそれくらい本気で王国の行く末を案じていたのだろう。
しかし私は、彼の決死の進言を聞き入れなかった。それどころか、人々に重税を課し、贅沢をやめなかった。
結果、"英雄"率いる反乱軍に国ごと滅ぼされ、"希代の悪女"としてギロチンで終了。
その後、フェルメ様がどうなったかはわからない。
だが、ウルギークや王国軍を容赦なく叩きのめした"英雄ジーク・ライヴァルト"が、王宮の上級官吏をただで放逐したとも思えなかった。
いくら"悪女"を諌めたとしても、王国の中枢にいた事で、何らかの罰を受けたはずだ。
だから私は、この上司に対しても罪悪感がある。
しかし今──時間が巻き戻って、私は人生をやり直している。
最大の目標は処刑回避だけど、地味メガネの財務官として、フェルメ様の下で財務官になる事も、ずっと目標にしていた。
実際に上司として接したアウグスト・フェルメ様は、まさに"文官の鑑"のような方だった。
優秀かつ公正で、人柄も良く、上からも下からも慕われている。こんな聖人のような方がいるんだ……と尊敬しかない。
年齢は私より十二歳年上で、知的で整った容姿に、深い焦げ茶の髪と、細い銀縁の眼鏡がよく似合っている。
私のクソデカ眼鏡とは全然違う。
ちなみに……これほどの才人にして聖人君子でありながら、フェルメ様は婚約も結婚もしてないらしい。
という感じで。
この方の目の黒いうちは、王国も安泰だろう……と多少安心していた。
──だが、二度目の人生も、すんなりとは行かないみたいだ。
◇◇◇
「…………あれ?」
帳簿をめくる手を止めて、私──アデルハイデ・ローエングリムは首をかしげた。
先輩方は予算編成で大わらわ。
一方ひよっこの私は、保管庫に引きこもり、せっせと古い帳簿の整理にいそしんでいた。
埃を吸ってむせたりしながら、地道な作業を淡々と進める。
ド地味な財務官であるからこそ、こういう地味な仕事もきっちりやるべきだと私は思う。だから、この作業を卑下するつもりはないし、手を抜くつもりもない。
でも……来年こそは予算編成でバリバリ仕事してやんよ……!
一人気炎を吐きながらせっせと手を動かしていた、その途中。
「えっと、これはこっちで…………この帳簿は……………ん?」
何気なく手に取った帳簿をパラパラとめくっていたら、何となく違和感を覚えた。
ページを戻ってもう一度確認する。
────うん? 数字、おかしくない?
一度気になったら確認せずにはいられない。
ド地味優等生になってからの性分である。
私は、関連する帳簿をかき集め、丹念にあちこちの数字を突き合わせた。すると、
…………やっぱり変だわ。数字が合わない。
違和感は、払拭されるどころか、むしろ強くなっていく。
「この上納金がこっちに移動して、次に三ヶ所に分散して、これとこれの造営費と維持費になって、翌年度に繰り越しに……なってない。おかしいわね……」
数字が合わなかったのは、北方の複数の領地から集められた上納金の記録。
その上納金の一部が、あちこちに分散し、たらい回しにされ、最終的に帳簿の記録から消えているのだ。
お金の動き自体はそこまで不自然ではない。
状況に合わせて管轄を移動したり、名目を変えるのもよくある事だ。
それを念頭に置いたとしても、この地方の帳簿は流れが複雑で、非常に分かりにくくされていた。
こちらの見落としや、あるいは、ただの記録ミスの可能性もある。
でも、何かがおかしい、と私の直感が告げている。
「うーん……これって、ジーク先輩のご実家の領地で間違いないわよね……」
──エルリア領。
私は、見覚えのある文字列を指でなぞった。
問題の上納金に関わる北方領地の中に、ジーク先輩……"英雄ジーク・ライヴァルト"の実家が含まれている。
それを目にした瞬間、冷たい水を頭から浴びせられるような心地になった。
無意識に、かつて両断された首筋に触れる。
おそらくこれは、偶然なんかじゃない。
──逆行前の人生で、牢番は何と言って"悪女"を責めたんだっけ。確か──
『"英雄ジーク・ライヴァルト"の家族は、横領の濡れ衣を着せられ、処刑されたのだ。俺の父も似たような冤罪で殺された』
………そう、先輩が"英雄"になったのは、家族が横領の濡れ衣を着せられたからだ。
やっぱり、無関係とは思えない。
その地方の帳簿を一通りテーブルに集めて、年代順に並べる。すべてきっちり調べ上げて、もし横領が確定したなら、証拠を固めて真犯人を捕まえなければ──
王国は再び、英雄に滅ぼされてしまうかもしれない。
「…………やってやろうじゃないの」
"破滅を回避したければ、これを解決せよ"──
逆行の運命を課した誰かに、そんな風に言われた気がした。
いいじゃない、受けて立つわ。
私は気合いを入れて、山積みの帳簿を片っ端から捲っていった。




