06-01. 財務官のお仕事
この春から、私はいよいよ王宮官吏──財務官として働く事になった。
ここまで長かったわ……
八歳でかつての記憶を取り戻して以来、ひたすら努力してきた。
それが実を結んだのだ。
"悪女"だった頃からずっと自分をバカでアホだと思ってたけど、そんな人間でもやれば出来るのね。
ちなみに勉強のコツは、「習慣にする」事。当たり前に聞こえるかもしれないけれど、やはりこれがベストだ。
食べる。寝る。息をする。勉強する。そんな感じで机に向かう。
要するに、生命維持活動だと思えばいい。
私の場合、断罪回避のためにやるしかなかったので、まさしく生命維持の一環だった。
そんな風に勉強を頑張った甲斐あって、私は王宮の登用試験の成績優秀者に入る事が出来た。
これに認定されると、配属先の希望が出せる。
私が希望したのは、念願の、財務部会計監査室。
ムズかしい字面の期待を裏切らず、実際の仕事内容も非常にお堅い。
主な仕事は、国庫の使途に問題がないかどうか、厳しく監査する、というものだった。
うふふ、不正に目を光らせる、ド地味な財務官……!
国庫を空にした"希代の悪女"とは対極だ。
これで生存率がはね上がるはず……!
そんな大きな期待と共に、王宮でのお仕事がスタートしたのだった。
◇◇◇
「…………」
「ミネア嬢、今日の会議は第三かな」
「そうですよ。あ、アストンさんこの書類なんですけど……」
「…………」
頼まれた書類整理を、黙々と進める。
同僚の方々は、私がいる事に気づいてないかもしれない。
気配を消すのは得意だ。
どうですか、この圧倒的透明感。
財務官になっても変わらず、私はド地味だった。制服が違うだけだ。
クソデカ眼鏡、モサッとした髪型、大きめの制服。
私の標準装備は、健在だ。
王宮という華やかな場所では、場合によっては眉をひそめられそうなスタイルだけど、ここの部署は人前に出る機会が少ないので、清潔感さえあれば問題はない。
会計監査室、最高か。
王宮官吏の新人の中には、就職デビューして学院時代からガラッと変わっちゃう子もチラホラいる。
華やか愛され女子とか、スマートな高級官吏メンに変身するのだ。
でも、私はあちら側ではない。
埋没こそが私の生きる道。
大事なのは、首チョンパから遠ざかったかどうかだ。
さて。
繰り返しになるが、私の出仕先、会計監査室は、国庫……つまり国のお金の使途に不正がないか、チェックする部署である。
前回人生ではそれが全く機能しておらず、悪質な不正が横行していた(主に私のせいで)。
でも今回は、"悪女"ではなくソニアが王太子妃に内定した。
国が荒れる原因はかなり取り除けたように思う。
とはいえ、まだ油断は出来ない。
私は監査室の一員として、不正にしっかりと目を光らせていくつもりである。
──と、まあ、志だけは高くあれど。
現実の私は、まだまだひよっこ……
一人で任せて貰えるのは、今やってる書類整理くらい。
難しい仕事は、先輩方にイチから教わっている。
早く一人前になるために頑張ろう……とひっそり決意していると、
「えーとアデル嬢は……ああ、いたいた。何ヵ所か、書類渡しに行くとこあるからついてきて~」
「はい!」
新人教育担当の先輩に呼ばれ、他部門巡りについていく事になった。
◇◇◇
「ロベルトさん、次はどちらへ伺うのですか?」
「内務省の政務官様のところ~。こっちの書類の説明も頼まれてんだよね」
「なるほど……承知しました」
「んで、これは君が持っててね」
「はい」
教育担当のロベルトさんから預かった書類を抱え、彼の後ろをいそいそと歩く。
ロベルト・エンヴィさんは財務部歴八年、監査室六年目の中堅だ。
細い目が少し狐っぽい男性文官で、いつもニコニコしているけれど、なんとなくチャラくて掴みどころがない。
私のような地味女にも分け隔てなく接してくれてはいるが……何となく、軽く見られてるな、と思う瞬間が時々ある。
別にあからさまではないし、学院時代でもこういう事はよくあったから、いちいち気にしたりはしないけど。
細身で背の高いロベルトさんは、歩きながら私をちらっと見下ろした。
「君、自分から監査室に配属願い出したんだって? 変わってるよね~、元はいいところのお嬢様なのに」
「私、社交がものすごく苦手で……あはは」
愛想笑いで誤魔化すと、ロベルトさんは「ふうん」と言って興味なさそうに前を向いた。
「花形でもない上に、面倒くさい事も多いじゃん、ここの仕事。オレはできれば早く異動したいけどな~。あ、今の話は室長には内緒ね」
念を押されて「もちろんです」と頷く。
先輩の言うとおり、常に不正に目を光らせている会計監査室は、一部の貴族や上級官吏から、かなり煙たがられている。
国が安定しているとはいえ、ズルをする人間がゼロになったわけではないからだ。
このご時世でも、不正を誤魔化そうとして、監査室の人間に賄賂を捩じ込もうとする輩もいるという。
応じたら極刑もあると聞いて、思わず首筋がゾゾゾとしたわね。
賄賂が発覚したら、渡す側は未遂でも余罪にカウントされる。なのでまったくオススメしない。
まあ、不正しないのが一番だけど。うん。
ロベルトさんの後ろをついて歩いていると、廊下の向こうがざわついているのに気がついた。
そのざわめきを伴って、カツカツと硬質な靴音を響かせ、こちらに歩いてくる人物がいる。
「……おや、ファトマ筆頭公爵閣下がおいでだ」
小声で呟いたロベルトさんは、私に目配せして、すっと廊下の端によけた。
私もロベルトさんに倣って恭しく頭を下げた。
……ファトマ筆頭公爵。じかに姿を見るのは久しぶりだわ。
ソニアがレグルス殿下を射止めた舞踏会で、来賓として招かれていた王族だ。
あれから二年半経つが、華やかな外見はいささかも変わっていない。
美しい容姿と賢さを併せ持ち、魔法まで使えるという、王の年下の従弟。防御魔法なら、王宮魔法師にも匹敵するという。
でも──やはりこの人物は、ジーク先輩と同じように私の鬼門だと思った。
通りすぎる時、公爵閣下はこちらを射抜くように目を眇めた。ほんの一瞬、ロベルトさんと閣下が目配せしたように感じたのは気のせいだろうか。
だが、閣下は立ち止まる事なく、部下を引き連れて通りすぎていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで、私たちは頭を下げて控えていた。
「……時間に遅れそうだな、急ごっか~」
ようやく伏せていた顔を上げると、ロベルトさんは、いつもの読めない笑みをこちらに向けた。
歩き出した彼のうしろを慌ててついていく。
早足で歩きながら、私は、別の先輩がこっそり教えてくれた事を思い出していた。
『……ここだけの話だけど』
その女性の先輩は、周りを気にしながら小声で切り出した。
『ファトマ筆頭公爵には気をつけてね。迂闊に不興を買うと、王宮にはいられなくなるから」
つまり、公爵に睨まれたら、様々な形で嫌がらせや暴力を受けたり、罠にはめられたりするらしい。
怖すぎでしょ。……元"悪女"が言うのも何だけど。
筆頭公爵は他にも黒い噂が絶えない。
数年前、ある違法薬物が北方の教会を中心に広まるという事件があった。
その薬物を売りさばいた組織のバックに、ファトマ筆頭公爵の存在があったのではないか……という噂が当時まことしやかに囁かれていたが、結局証拠は上がらず、閣下は無罪放免となった。
しかし疑いを完全には払拭できず、公爵は陛下に疎まれ、僻地に飛ばされる原因となった。
それが──あの舞踏会の少し前、公爵と陛下は和解し、王都に戻ってきたらしい。
ただし公爵は王都の帰還後、王宮ではなく、街なかに居を構えたので、陛下とはまだ完全に和解していないのではないかと言われている。
ちなみにその違法薬物は、たしか、ウルギーク原産の植物が原料だ。
前回人生で、ガタガタだったこの国に攻めこんだウルギーク。あの国は本当にろくなことをしない。
──事件の真偽は、ともかく。
彼は間違いなく、かつての私、"悪女アデルハイデ"と同じ種類の人間だ。
前回人生も、舞踏会で見た時も……そしてさっきも、元"悪女"の勘が《あいつはヤバい!》と告げている。
なので、色々調べたいところだけど……公爵閣下は目立った動きがなく、情報が集めづらい。
とはいえ、動きがないからといって何もしてないとは限らない。今は大人しくても、そのうち、牙を剥いたりするかもしれない。
何となく背中がヒヤリとして、私は小さく身震いした。




