05-01. 闘技大会
そういえば──夏の休暇が始まった頃、ちょっと気になる事があった。
その日、私は両親の名代としてふたたび教会を訪れていた。
子守唄のような司教様の説法に、眠気が止まらない。マリアにつつかれて、何度もハッとする羽目になった。
何とか役目を遂行したけれど、家に戻ると思ったより疲労困憊していて、勉強もそこそこに早めに寝てしまった。
──その夜、夢を見た。
半壊した城の上で、巨躯の化物が咆哮している。
身の丈は、大人の四、五倍はあるだろうか。
首から下は人間の男性の姿だ。ただし、肌も顔も夜の闇ような漆黒に染まっている。
頭部のかたちは獅子に似ていた。逆立つ白銀の鬣。やや盛り上がった鼻面。口許には、鉄板さえ食いちぎりそうな鋭い牙。頭の両側には鹿のような角も生えていた。
禍々しいその姿は──教会のフレスコ画に描かれていた魔王の姿によく似ていた。
化物は半壊になった城のただなかに立ち、空気を震わせるような咆哮を上げた。
それは怒りに満ちていたが、どこか悲しげで──
そこで目が覚めた。
「………変な夢…………」
暗がりに目が慣れるとそこはいつもの私室で、何となく安堵した
うーーん、おかしな夢だったわね……
やたらリアルだったし。
ふと、夢にどこか違和感を覚えて、闇のなかで瞬きする。しかし違和感の正体がわからない。
暫く考えて、「あ」と気づく。
化物が立っていた壊れた城は──学院の窓からも見える建物。この国の王宮ではなかったか。
……でも変だわ。
ノース王国の王宮は、建国以来、一度も破壊された事はない。
反乱軍の"英雄"だって、王城を占拠しただけで破壊はしなかったはずだ。何たって、処刑台から王城が見えたもの。
本当に不思議な夢ね。
まさかあれが、未来の世界で起こった出来事だったり…………するわけないか。
夢に理屈なんかない。
教会に行って、ボケッと聖王と魔王の壁画を眺めてたから、あんな夢を見てしまったのだろう。
鬣の白銀に何となく見覚えがあるような気がしたけれど…………所詮は夢だ、と自分に言い聞かせる。
私はブランケットをかぶり直して、再びうとうとと眠りに落ちたのだった。
◇◇◇
──夏の間、私は課題と平行して、財務官になるための準備も進めていた。
経済、税制、地方の管理。
そうして理解したのは、私が"悪女"の頃に王国の民に課せられた税は、とんでもなく高率だったという事である。
民を苦しめ、王族や貴族は贅沢三昧で不正しまくりなら、そりゃ暴動くらい起きますよね……
自分の所業を嘆いても遅いが、今回はそうならないよう全力を尽くすつもりでいる。
自分が王太子妃になる予定はないし、チョロすぎて危ういレグルス王子への対策も、着々と進めている。
学院を卒業したら、ド地味優等生からド地味財務官に転身し、不正を好む悪者を排除する側に回りたい。
王国が安定しさえすれば、暴動やライヴァルト家への冤罪も防げるかもしれない。そうすれば、先輩は"英雄"にならず、私の断罪も発生しないはず。
と、計算しているわけだけど。
もし財務官になれたら、私はとある人物の下で働きたいと考えている。
アウグスト・フェルメ、だ。
彼にふさわしい言葉は、"文官の鑑"。
最低の"悪女"だった私に、浪費をやめるように進言し続けた、唯一の財務官だった。
アウグスト・フェルメを思い出してから、彼については色々調べた。
彼は現在、財務官として王宮に仕官し、賢くも穏和な人格者として高い評価を受けている。
そういえば──とにかく彼は顔が良かった。美しいものが好きだった私は、フェルメにとても甘かった。普通にバカすぎる。
……やりたい放題していた"悪女"が、あの方の部下を目指すとか、本当に運命って皮肉だと思う。
でも、そんな事はどうでもいい。今は"悪女"のプライドを捨てて、やれる事をやるだけなのだ。
夏季休暇が明け、秋の新学期が始まった。
お友だち会も絶賛続行中だけど……友人二人の仲は、相変わらず悪い。ものすごく険悪だ。
ジーク先輩はソニアに来てほしくないようで、彼女にたいへん素っ気ない。塩対応の見本かと思うくらい冷やか。
ソニアはソニアで、「男性と二人きりなんてあり得ないわ、アデルは危機感無さすぎ!」と私にこんこんと説教してくる。
それだけ仲が悪いのに、「私なんかがそういう対象になるわけないじゃないですか」と苦笑したら、二人揃ってしょっぱい物を食べた時のような、非常に微妙な顔をしていた。
こんな時だけ息が合うのは何なのかしら。
今日も、いつものようにとりとめのない会話をしたり、二人の小競り合いを私が聞き流して勉強したりと、それなりに平和に過ごしていた。
そんな折に、ジーク先輩が神妙な面持ちで「アデルにお願いがあるんだけど」と言ってきた。
「はい、何でしょうか」
「実は……来月、闘技大会に出るから、ぜひ君に見に来てほしいんだ」
「闘技大会……騎士科主催の、武器を交えて戦う大会ですよね?」
たしか、トーナメント形式で強さを競う、脳筋たちの夢の饗宴……
去年の闘技大会は、サボって図書館で勉強してたから、詳しくは知らない。
どうしよう、誘ってくれた先輩には悪いけど、全然興味が湧かない……
とか考えてたら、先輩の次の発言で仰天した。
「僕はその大会で、三回連続で優勝してるんだよね」
「えぇっ……さらっと言ってますけど、ジーク先輩、そんなに強かったんですか!!?」
「アデル、あなた知らなかったの? むしろあたしがびっくりしたわよ」
ソニアはなぜか、私ではなく先輩に哀れむような視線を向けた。先輩は軽く咳払いして続ける。
「大会四連覇なら、王立学院初の快挙なんだ。友人である君に、ぜひともそれを見届けてほしくて。見に来てくれたら、すごく嬉しいんだけど……」
ジーク先輩が少し眉尻を下げて、懇願する。
少し考えて、私は答えた。
「わかりました。見学に行きます」
実際、私は闘技大会のようなイベントにまったく興味がない。
でも、どれだけ先輩が強いのかが純粋に気になった。
かつて、"英雄ジーク・ライヴァルト"は反乱軍の将として八面六臂の活躍を見せた。そんな彼の実力を確かめるにはいい機会かもしれない。
それにジーク先輩は来年卒業する。大会出場はこれが最後だ。今見ておかないと、次の機会はなかなかないだろう。
「ありがとう。アデルが来てくるなら頑張らなきゃね。勝つから楽しみにしてて」
綺麗な笑顔を浮かべた先輩は、いつものキラキラエフェクトを大量放出した。
先輩は嬉しいとキラキラが増量するらしい。
暗闇でも発光しそうだ。一度、試してみたい。
──そうして一ヶ月後。
ついに闘技大会がやって来た。
一緒に行きたいと言い出したソニアと会場を訪れたが、試合前からとんでもないお祭り騒ぎだった。




