04-01. ソニアという少女
ある日の放課後。
帰りがけに図書館に寄った私は、分厚い本を数冊抱え、ヨタヨタと校内を歩いていた。
どんなに身分の高い貴族令嬢であっても、学院内では一介の学生にすぎない。従者の立入は制限されているため、本でもなんでも、自力で運ばないと誰もやってくれない。
それなのに、ついついたくさん本を借りてしまって、私は少しだけ後悔していた。
でも、課題に必要だから仕方ないわね。本を抱え、気合いで車寄せに向かう。
そうだ、園庭を突っきって近道しよう。思い立って、私はそちらに足を向けた。
学院はどこもかしこも美しく整えられているが、今は景色を楽しむ余裕はない。一心不乱に足を動かす。
その途中──ある人々が視界に入って、私はピタッと足を止めた。
「…………げ」
進行方向に、見覚えのある集団を発見。
ゾワッとして、思わず本を取り落としそうになる。
まずい。あれは……レグルス王子と取り巻きの方々だ。
このままだと確実に王子とすれ違う。
クソデカ眼鏡で顔を隠してはいるが、ニアミスレベルであっても王子とは接近したくない。存在を認識されるのすら嫌だ。
「どこか、隠れる場所……!」
慌てて周囲を見回し、植木の影にさっと飛びこんだ。
頭を低くして息を殺す。
……これほどの至近距離で、レグルス王子に遭遇するのは初めてだ。
心臓がバクバクする。
ギロチンの記憶や、彼への罪悪感が甦り、手足が震えて冷たくなっていく。
長い時間が経ったように思えたが、幸い、王子の集団は雑談をかわしながら、私に気づかず通りすぎていった。
良かった……と心底ほっとする。
そして何気なく隣の植木を見て──私は思わず悲鳴を上げそうになった。
「……っ!」
──隣の植木に、一人の女生徒が、息を潜めて隠れていたのだ。
誰もいないと思ってた場所に人がいるのは、なかなか心臓に悪い。
見ていると、彼女はどうやら、私と同じように向こうを窺っているようだ。
というか、なんだか目がチカチカするわ。
彼女の格好は──この学院ではありえないくらい、ものすごく派手だった。髪もとんでもない色に染めている。
(…………あら、でも、)
向こうはまだ私に気づいてない。だから私には観察する余裕があった。
彼女は植木の影から、ただ一点を熱く見つめている。
えっとこれは、もしかして──
恋?
ベタだ……ベタすぎる……
なのに派手。
それが彼女、ソニアの第一印象だった。
通りすぎた男子生徒の集団を、陰からうっとり見つめる女生徒。その横顔はまさに恋する乙女。
瞳はまるで宝石のように輝き、頬は薔薇色に染まっている。
だが、古風で控えめな態度とは裏腹に、彼女のスタイルは非常に派手だった。
くるくるカールさせた、水色とピンクに染めた髪。カラフルな色で目元を強調した、きつめの化粧。まつ毛の量と長さもすごい。マッチ三本は乗りそう。
ボタンをいくつか開けたシャツの胸元には、重ねづけのアクセサリーと、無造作に結ばれたタイがぶら下がっている。スカートは短く改造され、きれいな足を惜しみなく晒していた。
ものすごいインパクト。思わず身を乗り出した拍子に、私の足元で、乾いた枝がパキッと折れた。
その音で向こうも気づいて、彼女がふっとこちらを向いた。カチリと視線が合う。
「…………」
「…………ぅひゃぁっ!!」
途端に彼女は奇声を発し、目を泳がせた。
相手が動揺すると、その分こちらは冷静になる。色々衝撃的だったが、私はすっかり平静さを取り戻していた。
「な、何見てるのよ!?」
「いえ、こんな所で何をしているのかなと少々気になりまして」
理由は分かっていたけれど、白々しくそう答えた。そしたら彼女は手をわたわたさせて慌てふためいた。
「それはっ、好きな人がいたから、隠れて見てただけでっ! べつに、やましいことなんてしてないんだからっ!」
「成程。先ほど通りかかった集団の中に、思いを寄せる殿方がいたのですね?」
「……えっそうだけど……」
「ほほう」
「ねえ、あなた、あたしが隠れてレグルス殿下を見てたとか、誰にも言わないでね!?」
動揺の余り、彼女はうっかり本命を自白してしまった。顔を真っ赤にしてぐいぐい迫ってくる女生徒に、眼鏡をくいっと上げて、真面目な表情を取り繕う。
「もちろん、誰にも言うつもりはありません。私には言う相手もおりませんので、ご心配なく」
そう返すと、彼女は何かに気づいたように、「……あら」と首をかしげた。
「あなたはたしか……"ローエングリムの機械人形"?」
「ええ、クラスメイトにはそう呼ばれているみたいですね」
まあ、取るに足らない些末な事だ。
私の淡々とした受け答えに、彼女はバサバサの付けまつ毛が乗った瞳を瞬かせて、クスリと笑った。
「あなたはそういうの、全然気にしないのね。堂々としていてすごいわ」
「勉強以外、何も取り柄がありませんので。アダ名とかどうでもいいんです」
「ふぅん」
「ええと、あなたは……」
「ソニア・ガーランド、魔法科の同学年よ。あなたは本当に私のことを知らないのね」
少女が苦笑を浮かべる。
彼女の言うとおりだ。
私は他人への関心が薄い。クラスメイトですら顔と名前が一致しない。まして魔法科の学生なんて一人も知らなかった。
でも、ソニアの口ぶりだと彼女は有名人らしい。たしかに、この外見だと目立つだろう。
「ところで、ソニアさん……あなたはストーカーするほど、レグルス殿下がお好きなんですね」
「あっ!」
ソニアがハッとした。うっかり口を滑らせた事にやっと気づいたらしい。「やだぁああ、恥ずかしい……」と頭を抱えているけど、後の祭りである。
まあ、自白の前から何となく当たりはついてたけど。ソニアの目からビシバシ出てた恋愛光線が、殿下の背中を焦がしそうだったし。
ソニアはあたふたと狼狽えて、火を噴きそうなほど真っ赤になっている。赤くなった頬を手で押さえる彼女はとてもかわいらしい。見た目の割にものすごくピュアだ。
元"悪女"、現やさぐれド地味優等生には、一生縁のなさそうな「純情」というやつである。
そんな彼女を見ながら、私はふと考えこんでしまった。
──レグルス王子に近づく有象無象をどうしたものか……と私はずっと考えていた。
しかし、私自身は王子に近づくつもりはない。王太子妃に関しても、具体的に何か考えがあるわけではなかった。
それでも珍しくソニアに絡んだのは、変な女が王子に近づいたら困るな、と思ったからだ。
しかし──モジモジするソニアを見ていると、頭の中でキュピーンと閃く何かがあった。
天啓、あるいは、元"悪女"の勘、と言ってもいい。その直感は、稲妻のように脳内を駆け巡り、光の速さで結論を導きだした。
ソニアなら、いけるかもしれない……!
「……ソニアさん、この後は暇ですか!?」
「えっ、まあ……暇といえば暇だけど」
気がついたら、ナンパ師もかくやという必死さで私はソニアに迫っていた。思いついたが吉日。なりふり構ってる場合じゃない。
このまま彼女を連れて帰ろう、そうしよう。
「せっかくお近づきになったので、ぜひ私の家にいらっしゃってくださいませ!!」
「な、なに、急に。さっきと態度が違いすぎない!?」
「細かい事はお気になさらず。精一杯おもてなしいたしますので、さぁどうぞ私の馬車へ。さぁさぁ、こちらです!」
目を白黒させるソニアをぐいぐい引っ張って、自分の馬車に押しこむと、私もすかさず隣に乗りこむ。よし退路は絶った。
そして家に着くまでの間、ソニア自身の情報をあれこれ聞き出したのだった。




