02-06. 学院の冬
数日前、王都に初雪が降った。
白い冬化粧に染まった街は、本格的な冬の到来を告げる合図だ。王国の冬はさほど厳しくはないが、食料や薪の備蓄をそれなりに必要とする。
王都の人々も冬支度の仕上げに忙しい。
季節は移ろっても、私と少年は相変わらず月二回、屋上庭園で会っていた。
とはいえ、大雨や雪とかで天気が悪かったり、外せない用事があれば、来なくていい事になっている。私たちは月二回確実に会えるわけじゃない。
しかし退学の危機を救ったせいか、彼はますます私に懐いた。私としては、「さっさとクラスに友人を作っとかんかい」と思うのだけど。
そんなんでまた留年危機に陥ったらどうするのか。私だって、人の面倒ばかり見てられないのに。
先月は本当に特別だ。彼の勉強を見てあげたのは、何となく、過去の自分を重ねたからだ。
時間が巻き戻る前の私は、顔がいいだけの最凶天然バカだった。そのせいでたくさんの人を不幸にした。
それに……彼が留年して退学になってしまったら、私はなんだかんだ後悔したと思う。
これは一種の自己満足だ。
別に、情が湧いたとかではない。
まあでも、騎士科の一般教養はわりと難しいのよね。
ノース王国は昔から騎士道精神を重んじるお国柄で、騎士も一定の教養を身につけるべし、という風潮がある。
王立学院の卒業生ともなれば、騎士団の幹部候補、あるいは近衛候補とされ、特に教養が求められる。騎士科に一般教養があるのはそのためだ。
しかしながら、騎士科の脳筋率は非常に高い。あの少年に限らず、一般教養で苦労する生徒は多いという。
しかも学院を卒業できなかったら、実技で騎士団に入れたとしても出世はかなり厳しい。
エリート騎士になるには、石にかじりついてでも学院を卒業する必要があるのよね。
そういうわけで、協力した追試対策は、短期集中でみっちり知識を叩き込んだ。
相手が美形でも容赦しない。少年が半泣きになってもガン無視した。
背水の陣で臨んだ追試に、少年は見事合格した。
後で聞いたら点数も悪くなかったので、私が見てない所でも頑張ったんだろう。えらいえらい!
それを聞いた時は、思わず二人でハイタッチした。
でも、次からは自力で何とかしていただきたい。
◇◇◇
……その次のお友だち会は、用事があったのか、彼は姿を見せなかった。
そして一ヶ月ぶりとなった今回。
冬晴れの空の下、ベンチでランチボックスを広げていると、寒さですっかり葉が落ちた木々の合間から、彼がふらりと現れた。
「久しぶり」
「こんにちは、お元気そうですね」
とす、と私の隣に腰を下ろした彼は、長い足を組んだ。仕草がたいへん優美だ。
私なんかに披露してもなぁ、という気はするけれど。
「前回はすっぽかしちゃってごめんね。急に剣術の講師に呼ばれて、来れなかったんだ」
「いえ、気になさらずとも結構ですよ。おかげで予習がはかどりました。何なら、会うのをやめても私は一向に構いません」
「やめるわけないだろ。僕は君しか友だちがいないんだから。君は相変わらず塩対応だよね……そこが気楽でいいんだけど」
肩を竦めた後、彼は「それより、追試のお礼をさせてほしい」と言った。
「お礼ですか?」
「うん。君が勉強を見てくれて本当に助かった。僕は貧乏貴族だから、大した事は出来ないけど、何か欲しいものとか、してほしい事とかあれば言ってほしい」
思ってもみない申し出だった。
私は、隣の少年の整った顔をつくづく眺める。
うーん。急にそんなこと言われても、特にしてほしい事なんて思いつかない。
でも、待てよ……これから先、彼に協力して貰わなければ乗り切れない場面があるかもしれない。
その「いつか」のために、切り札として取っておくべきではないかな……
私は計算高く考える。
うん。やっぱり今じゃない。
「その権利ですが、いざという時に使わせて貰う、という事でよろしいでしょうか。いわゆる取り置きというやつです」
「何それ。別にいいけど」
私が真面目くさった顔で言うと、彼は年相応の少年の顔でふっと笑った。
「じゃあ、それとは別に、せっかくだから友人としてどこかに行かない? 試験も当分ないしね」
「課題が忙しいので無理です」
笑顔で却下する。
しかし、「そう言わずに」と彼は粘った。そういえばこの人、意外と押しが強かったのよね……
「王立植物園の温室、来週末に一般開放されるらしいよ。南国の珍しい植物や鳥が見れるから、君の教養的にも役に立つんじゃないかな」
「……王立植物園、ですか」
私の知的好奇心を刺激しに来るとは、なかなかやる。今、ちょっとだけ心が傾いた。
でも、傾いた理由はそれだけではない。
──王立植物園の温室は、巻き戻り前の人生でも何度か訪れた、"悪女"お気に入りの場所だったのだ。
少しだけ。
ほんの少しだけ、あの場所が懐かしい、と思ってしまった。
決して"悪女"だった頃の人生を取り戻したいと思ったわけではない。ただ純粋に、あの温室へもう一度行ってみたい。そう思っただけ。
こちらの心を見透かすように、少年は天使のような微笑で、甘い言葉を囁く。
「植物園の近くに、アップルパイで有名な店があるらしいよ。ついでにそこも寄ろうか。君、アップルパイ好きだったよね?」
にこやかに彼は畳み掛けてくる。
私は思わず眉をしかめた。
「……私、あなたにアップルパイが好きとか言いましたっけ」
「見てればわかるよ。ランチのデザートにアップルパイがついてた時は、嬉しそうにしてるから」
見られてたのか……
口を曲げた私に、少年は上品に唇の端を上げてみせた。
「行く気になった?」
「……わかりました、お誘いをお受けします。でも条件があります」
私はお出掛けを承諾する代わりに、ある条件を出したのだった。




