02-05. 正しい人生設計
屋上庭園の木々も鮮やかな紅葉に染まり、秋の深まりを感じさせる季節。
お友だち会もそれなりの回数を重ねた。
それでも私たちは、互いにあまり踏みこまず、付かず離れずの距離を維持していた。
会うのは月にたったの二回。それも昼休みの間だけ。
それ以外で見かけても、声をかけたりはしない。
屋上で会えば他愛ない話をするし、お互いの性格も何となく知ってる。
それくらいの関係だ。
でも……よく考えてみたら、クラスメイトともろくに喋らない上級ぼっちの私には、名前も知らないこの少年こそが、最も親しい知人である。
すごい。友だち一人。
でも、ぼっちで寂しいなんて全然思わない。別に負け惜しみでも何でもなく。
"悪女"時代の刺激的な日々と違って、今の日常は、平穏そのもの。
クソデカ眼鏡の地味な優等生を、周囲はまるで空気のように扱う。それは、私の理想、「深海魚のような生活」に限りなく近い。
何かの拍子に、首と胴体がサヨナラするよりはずっといい。誰かの憎悪を買う事もない。
私は真面目にそう思っていた。
唯一の友人──当初はぜったい関わりたくないと思っていたあの少年も、知れば知るほど、素朴で無害な性格だった。
彼の善良さに触れていると、"悪女"の頃の私に、爪の垢を煎じて飲ませたいとすら思う。
そんな感じなので、二人でいるところを誰かに見つかりさえしなければ、屋上でこっそり会うのも特段問題はなかった。
キラキラした外見のせいで、友人が出来ないと嘆く彼は、私とは違う種類のぼっちである。
「普通の会話」に相当飢えてたらしく、会うと毎回、家族とか領地の話を嬉々としてしてくる。
でも、私はそれらにあまり興味がない。
だから申し訳ないけど──いや、本当は申し訳ないなんて、全ッッ然思ってないけど──右から左へと、さらーっとするーっと聞き流していた。
適当に相槌を打ちながら、大体は、教科書の文字を目で追っている。
彼は私の態度に不満そうだけど、そんなのは知ったこっちゃない。私の都合も考えろ。
さて、今日もそのお友だち会だ。めんどくさいけど仕方ない。
私は教室を出て、屋上に向かった。
◇◇◇
「やあ」
「こんにちは」
屋上庭園のベンチで待っていると、少年はいつものようにふらっと現れた。
彼を見て、あれ、と内心首をかしげる。
なんとなく様子がおかしい……ような。
赤いバラとか背景に背負ってそうな綺麗な顔が、気のせいか、どんより曇っている。
キラキラもいまいち出力不足みたいだ。
彼の周りの空気も、何というか……日陰に生えた苔のようにじっとりしていた。
彼は年のわりに落ち着いた性格だけど、どちらかといえば陽の気を持つ者。いわゆる陽キャだ。一体何があった。
一瞬気になったけど…………
うん。まぁ、いいか。話し出すまで待とう。
私はおもむろに教科書を広げ、そこに目を落とした。
隣に腰を下ろした彼は、物憂げな溜息をつく。
憂いを帯びた横顔は、少女から老婆まで虜にしそうなほど秀麗だが、生憎私には効かない。
私が無視を決め込んだのを悟ったのか、少年は聞いてほしいアピールのチラ見を連発した。
うざ……
心の底から「めんどくさいなコイツ」と思いつつ、私は教科書から顔を上げた。
「……いつになく辛気臭いお顔をなさってますけど、どうかされましたか。拾い食いしてお腹をこわしたとか?」
「いやさすがに、この年で拾い食いはしないよ」
少年は物憂げな顔で否定した。
彼は子供の頃、四人の兄たちと、領地の野山で目についた木の実を手当たり次第試食して、お腹をこわしたと言っていた。
てっきりそれかと思ったが違ったらしい。
「では何があったのか、お聞きしても?」
「実は、試験の点数が悪すぎて、落第しそうなんだよね……」
「えっそれ、お腹をこわすよりよっぽど深刻じゃないですか! 大丈夫なんですか?」
「全然大丈夫じゃない」
目を丸くして聞き返すと、少年はゆるく首を振った。
「実技と兵法は母上に叩き込まれたから、この二つの成績は上の方。でも一般教養が壊滅的で……」
「なるほど。あなたは、賢そうな顔して実はバカだったんですね……」
「面と向かって言うのはさすがに失礼じゃない?」
あ、拗ねた。
口を尖らせてから、彼はため息をつく。
「次の追試で赤点を取ったら、落第して留年決定なんだ。でも、うちの実家は、一年多く学費を払う余裕なんてない。そうなると僕は、自動的に退学しかなくなる。
クラスに友人もいないから、勉強を見てくれなんて誰にも頼めないし……詰んだも同然なんだよね……」
だから鼻から牛乳噴射してでもクラスに友だち作っとけって言っただろうが……! と今更言っても遅いのだろう。
うなだれた彼の姿に、かつての自分が重なる。
今でこそ地味優等生だが、"悪女アデルハイデ"時代の私も、相当なバカだった。
当然友人と呼べる存在もいなかった。
…………そして、道を間違えた。
私は溜息混じりに口を開いた。
ああぁぁもう仕方ないなぁ………!
「しょうがないですね……私で良ければ、勉強を教えてさしあげます。どうぞお顔を上げてください」
「…………本当にいいの? え、君は女神か何か?」
「女神ではありませんけど、こう見えて、私は教養科でも成績は良い方なんです。騎士科の一般教養なら、二学年上でもカバーできると思います。でも、教えるのは今回だけですからね!」
ビシッと指を突きつけて、釘をさしておく。
自分の勉強時間が減ってしまうのは嫌だけど、いま彼を見捨てたら後味が悪い。
だって私には見えるのよね……
退学して実家の援助を受けられなくなった彼が、有閑マダムに囲われ、良いように弄ばれた後で捨てられ、路頭に迷う未来が……
まあ八割妄想だけど、ありえなくもない。
突出した美貌なんて、人生を狂わせる呪いでしかないからだ。これは前回人生に基づく私の持論だ。
彼自身、顔がいい自覚はあまりなさそうだけど、彼のような人間こそ、ちゃんとした人生設計を立てるべきだわ……!
追試のための特訓を申し出ると、彼は数度瞬きした後、「ありがとう」と破顔した。キラキラが大量放出されてる……
無自覚でやってるならすごい。
感心しながら、私は頭のなかで、勉強の日程を組み直していた。
それから何日間か、放課後は少年の勉強につきあった。
その結果、彼は追試を好成績でパスした。元々、頭の回転は悪くないのだろう。本人もすごく喜んでたし、私もほっとした。
……そうしている内に、いつの間にか季節が巡り、王都は冬を迎えていたのだった。




