14. すれ違い
ーーどうしよう。
アドニスはあの日以来オフィーリアの顔を見ることができなくなってしまった。
同じ空間にいると動悸がおさまらない。
姿が見えないと気になって何も手につかないのに、会うとドキドキして苦しい。
もう…どうしたらいいのかわからない。
夜眠れば決まってオフィーリアの夢を見る。
夢のパターンはほぼ2通り。
自分がオフィーリアに強引にキスをするパターンか、オフィーリアのほうからキスをねだられるパターンだ。
どちらの夢でもオフィーリアは泉で指輪にキスした時と同じ表情をしている。
なのでもう何日もろくに眠れていない。
そのせいもあって、うっかり気を抜くと無意識にオフィーリアに触れてしまいそうになるのだ。
それにハッと気づいては自己嫌悪になる。その繰り返しだった。
そんなズタボロのアドニスのことはお構いなしに、淑女教育は続く。
その日オフィーリアはアドニスにダンスを教えてもらっていた
近く予定されている王宮での舞踏会のための特訓だ。
ダンスのレッスンは今のアドニスにとっては『天国のような地獄』であった。
意識を全てオフィーリアに持って行かれて、ステップに集中出来ない。
踊っている時、オフィーリアは視線を感じてふと顔を上げた。
すると自分を見つめていたアドニスとばっちり視線が合ってしまった。
その途端アドニスは固まる。
「アドニス様?」
「〜〜〜っ!!」
顔を片手で覆った彼は
「す、すまない。今日のレッスンはこれまで。あ、明日も休みにしてくれ」
と一方的に言うと逃げるように部屋から出て行ってしまった。
「俺は最低な人間だ」と呟きながら。
(アドニス様は最近私を避けている……?)
オフィーリアは不安になった。アドニスの態度が明らかにおかしい。
火事の一件以来距離が縮まったと思っていたのに……。
なぜ突然よそよそしくなったのだろう。
考えても思い当たる理由がなかった。
「………………と、言うわけなの」
ある日オフィーリアとキャロラインは久しぶりに街で一緒にお茶を飲むことになった。
ケーキを食べながらオフィーリアはキャロラインに相談してみた。
「なんか避けられているし、突然目も合わせてくれなくなったの」
「……………う〜ん。私一つだけ思い当たる理由があるわ」
とキャロラインが口を開いた。
「えっ」
「実は噂で聞いたんだけど……ディアンドラ様の家が、養子を取ることになったらしいの」
キャロラインが聞いた話はこうだ。
ディアンドラの両親はもともと一人っ子のディアンドラに婿養子を取らせ家を継がせるつもりだった。
ところがディアンドラが婚約を破棄してばかりで一向に婿が決まらない。
そこで親もとうとう娘を見限って、養子を取りその子に家督を譲ることにしたのだ。
「つ、つまり……」
「そう。そうなるとディアンドラ様は自由の身で、どこにでも嫁げることになるの」
オフィーリアは冷水を浴びせられたような気分になった。
なんとなくディアンドラの存在は心に引っかかってはいたのだ。
アドニスが彼女に好意を持っているのは明らかだったから。
名前で呼び合い、楽しげに会話が弾む二人の様子を思い出しオフィーリアの胸が痛んだ。
これまでディアンドラは家の事情で婚約者候補にはなり得なかった。
だからアドニスも諦めてオフィーリアを受け入れようとしてくれたのだろう。
しかし突然その障害がなくなった。
ディアンドラと婚約することが可能になり、アドニスのオフィーリアに対する態度がよそよそしくなった……。
(タイミング的に見ても間違いない)オフィーリアは思った。
全てが符合する。
『オフィーリアすまない。俺は最低な人間だ』
あれは婚約を申し込んでおきながら、昔の恋人とよりを戻しオフィーリアを捨てることへの謝罪。
なんだ。そっか。そう言うことか。
「あの妖婦め」キャロラインがストレートに嫌悪感をあらわにする。
「あの豊満なボディでアドニス様をたぶらかしたんだわ!」
ディアンドラは「女性から嫌われる女」の代表のような人だった。
少し影のある気だるい雰囲気とグラマラスな体つきは一部の男性の興味は引くものの、女性ウケは悪い。
真相は定かではないがディアンドラは男性がらみの噂が絶えなかった。
アドニスとディアンドラはよく一緒にいるところを目撃されていた。
目撃されたのは「話をしている」場面だけだったにもかかわらず、皆二人は男女の関係であると信じて疑わなかった。
アドニスとディアンドラが「デキている」ことは貴族社会では周知の事実となっていたのである。
「ディアンドラ様ならアドニス様の横に並んでも迫力負けしないわね。私よりお似合いだわ……ふふ」
オフィーリアは努めて気丈に振る舞おうとした。
そして再びケーキを食べようとして
ーーイチゴを床に落とした。
先刻まではケーキのてっぺんで誇らしげに輝いていたイチゴは見るも無惨にひしゃげて汚れてしまった。
「……本当に私って何をやらせてもダメね」
床に転がるイチゴを眺めているうちに、ふいにオフィーリアの中に残酷で真っ黒な感情が湧く。
(もとは畑で茎にぶら下がっていたくせに、調子に乗ってケーキの上になんて載るからこんなことになるのよ)
ずっと畑にいれば良かったのに。
キラキラなケーキのてっぺんはお前になんか似合わない。
お前なんて……お前なんて。
汚れて潰れてみんなに笑われている方がお似合いなのだ。
惨めでちっぽけな薄汚れたイチゴなのだから。
オフィーリアはなぜかイチゴを靴でぐちゃぐちゃに踏み潰してやりたい衝動に駆られた。
「ねぇ……この前はただの思いつきだったけど」
キャロラインが強い意志を込めて頷いた。
「やはりあなたはうちの兄と……」
うちの兄と一緒になった方が幸せになれる……そう言おうとしたキャロラインは目の前にいる親友の顔を見て思わず言葉を飲み込んだ。
ーーオフィーリアは声を殺して、大粒の涙をボロボロこぼして泣いていた。
「オフィーリア……あなた」
キャロラインはオフィーリアの本心を悟った。
そしてもうそれ以上何も言えなくなり、ただ黙ってオフィーリアの手を握ったのだった。
オフィーリアがバーンホフ邸に帰宅したのは間もなく陽が沈もうとしていた頃だった。
すると入れ違いに今度はアドニスが馬で出かけていった。
すれ違う際オフィーリアから顔を背け、逃げるように出ていく。
もう夜になろうと言うのに。
明らかに自分を避けている。
オフィーリアは止まったばかりの涙が再び溢れそうになるのを懸命にこらえた。
裏通りに位置した、程よく場末感のある酒場でアドニスは一人で酒を飲んでいた。
貴族向けの店に行って顔見知りに会うのは避けたい気分だったからだ。
普段は食事の時以外はあまり酒を飲まないアドニスであったが、この日はまるで馬が水を飲むかの如きのピッチで、店の主人を喜ばせた。
「オフィーリア……」独り言のように名前を呟いてみる。
途端に胸が締め付けられるように痛んだ。
四六時中胸の奥がザワザワして苦しくてたまらない。
アドニスは顔を顰め、瓶ごと酒をあおった。
「オフィーリア……」もう一度つぶやいて見る。
ふと初めて会った時のことを思い出した。
木の上から突然落ちてきたボロボロの令嬢を腕に受け止めたあの日。
あの時みたいに今すぐ腕の中に落ちて来たらいいのにな。
また落っこちて来ないかなぁ……そうしたらどさくさに紛れてギュッと抱きしめて離さない……。
ああ力一杯抱きしめたい、オフィーリアを。
アドニスはため息をつきながら酒をもうひと瓶追加してガブガブ飲んだ。
「オフィーリア……」半ば無意識に名前をつぶやく。
サーモンピンクのドレスを着たオフィーリア……綺麗だったな。
馬から落ちそうになって震えていたオフィーリア……可哀想だった。
いつも他人のためにボロボロになりながら笑っているオフィーリア……全くあいつは危なっかしく目が離せない。
百面相をしながらひたすら酒をあおり続ける。
アドニスは店の中で明らかに浮いていた。
どこからどう見ても上流貴族の彼は場末の酒場には場違いだった。
アドニスの容姿に惹かれたのか、お金の匂いに惹かれたのかは分からないが、その筋の女性たちが目ざとく近づいてくる。
胸元をはだけさせ、身体を寄せてくる化粧の濃い女性たち。
アドニスはそれを見てもなんとも思わず、むしろ不快に感じた。
そんな自分を自嘲気味に笑った。
泉で水浴びをしていたオフィーリアの華奢な肢体を思い出す。
苦しい。想像しただけで心臓が爆発しそうだ。
「オフィーリア……」だんだん呂律が回らなくなってきた。
激しい鼓動を落ち着かせるために酒を胃袋に流し込んだ。
酔っ払っていて、指先のコントロールが効かない。
落とした酒瓶が倒れて酒がこぼれだす。
遠のく意識の中で
(ああ……オフィーリアに会いたいな……)
そう思いながら、アドニスはテーブルに突っ伏した。




