⑦ 雲間、銃声、言葉
青白い光に照らされて、目の前の痩せた男はまるで幽鬼のように見えた。頬がこけ、眼窩は落ちくぼみ、束ねられた長い髪の毛は今にも枯れそうなほどに痛んでいる。
ゆっくりと、その幽鬼は口を開く。
「そう……やっと戻って来たわね」
私は銃口の照準を、幽鬼の額に合わせたまま答える。
「いえ、戻って来たわけではありません。終わらせにきたのです」
「終わらせる?」
「ええ……」
カナコが私の横に並び、彼に視線を向けながら私に話しかけた。
「リン、どうなってる! このこいつは誘拐犯なんでしょ? リンはこいつの娘だっていうの?」
ちらりと横を向くと、カナコの顔はすっかり青ざめている。それでも、手にはしっかりと拳銃が握られている。
「カナコ……先にも言った通り、これから何を聞いても冷静に行動してください。全てが解決したら、私を警察に突き出すなり、その銃で撃つなり好きにしてかまいません」
空気が張りつめた。広い空間の中央にある円柱から、モーター音のような音が聞こえる。
聞こえるのは、ただそれだけ。
「それって……リン、どういうこと? あんた、何をしたの?」
私達の会話を聞いて、幽鬼は愉快で仕方がないと言った様子で口を開いた。
「リン、そちらのお嬢さんはあんたの友達なの?」
私は頷いた。
「そうです。お父様の凶行を止め、誘拐された少女たちを助けに来た警察官です」
「へぇ……」
彼は目を細め、品定めでもするかのようにカナコを見つめる。そして忌々しいまでの猫なで声を出した。
「でも、可笑しいわねぇ。もしそのお嬢さんが警察官なら、先にリンを逮捕するべきじゃないのかしら」
定まらない視線をこちらに向け、言葉遊びでもするかのようにそう言った。
「お友達に隠し事は良くないわ、リン。代わりにアタシが……父親として、しっかりと伝えてあげなくっちゃ」
そう言って彼はくつくつと笑い、両手を広げた。極限まで肉がそぎ落とされたその腕を広げると、まるで天使のミイラのよう。
いや、この人が天使だなんて、とても言えない。
そう、死神だろうか。
幽鬼、死神。
どちらも、ロクなものでは無いということだけは確か。
カナコが口を開いた。
「お前はオギノメ・グループの手先だろ? これが発覚すればあの会社も終わりだ。お前の後ろ盾は無くなる。余計な抵抗は止めて、さっさとあの子たちを解放しろ!」
カナコの言葉は、最後は怒号に近いものになっていた。
しかし言われた方は全く気にしていない様子。むしろ、可笑しくてたまらないといった表情でカナコを見た。
「あなた、リンから何も聞いちゃいないのね。可哀想。お友達だと思っているのは、あなただけかもしれないわよ」
肩を揺らして幽鬼は笑う。その度に骨の動くの様子が、皮の上からでもわかる。
「黙れ、リンが何をしようと、お前がしてきたことに比べれば……」
カナコの言葉を遮って、彼は口を開く。
「あら、アタシは何もしてないわよ。ここで、こうして住んでいるだけ。あの牢屋の女の子たちは、誰かが勝手に連れてきて、置いてったの。アタシのほうが迷惑してるくらいだわ」
肩を竦め、首を左右に振る。
言葉は続いた。
「それに、あなたはリンがしてきたことを知ってるの? リンが……これまで何人もの罪もない人に銃弾を撃ち込んで、殺してきたってこと」
「なんだって……?」
自分の頬に、カナコの視線を感じる。
でも、こんなやつの口車に乗せられるわけにはいかない。
「お父様、聞きたいことがいくつかあります」
私の言葉に、彼は口角を上げた。
「なんでも、どうぞ。親子水入らずとはいかないけれど……」
そこで、ちらりとカナコを見た。
「アタシは初めから何も隠してないのよ。リン、あんたが勝手に忘れていただけなんだから……」
広げていた腕を組んで、首を傾げてこちらを見た。
「……なぜ私を殺さなかったのですか」
「あら……簡単じゃない。あんたは良く働いてくれた。優秀な殺し屋を手放すわけにはいけないわ」
カナコが反応した。
「リン、あんた殺し屋って……」
私はカナコを手で制して、話を続ける。
「それだけの理由ですか?」
彼は表情を変えずに口を開く。
「もちろんそれだけじゃないわ。あんたの半分は、サチの遺伝子なのよ。そんな、簡単に殺せるわけないでしょう」
やっぱり……。
この人は、今でも……。
「私に記憶が戻ったらこうなることを、想定していなかったのですか?」
「もちろん、していたわ。だからカルテの回収を急いだのよ……まあ、失敗だったわけだけど」
沈黙が降りる。
円柱から発する音だけが響く。
この機械も、もう止めてあげなければいけない。
もうこれ以上、こんな人のおもちゃにしてはいけない。
私が言葉を選んでいると、カナコが待ちきれないといった様子で口を開いた。
「リン……そろそろ説明してほしいな。一体、どうなってる? リンは何をしてきた? 殺し屋って、なに?」
私が黙っていると、目の前の幽鬼が口を開いた。
「そうね、そうよね。知りたいわよね。お友達のことなんだもの。いいわ、この子が話さないのなら、アタシが教えてあげる。でも、その前に……」
彼は半身になり、後方を親指で指した。
「座っていいかしら。年寄りには、立ったままの長話はつらいのよ」
幽鬼は私とカナコに銃を向けられたまま、ふらついた足取りで座っていた椅子まで戻った。それに座り、長くて細い脚を組む。その後両手も腹部あたりで組んで、おもむろに煙草を取り出して、火をつけた。
椅子がある場所は円柱にほど近く、私達三人はそれぞれ青白い光に照らされた。
その椅子を囲むように、私とカナコが銃を向けて立っている。
悠然と煙を吐き出して、彼が口を開いた。
「さて、まずリンの仕事のことだけれど……この子は間違いなく、殺し屋よ。指令を受けて、標的を殺す。その成功率は、約百パーセント。まったく、優秀なエージェントだった。いま構えている銃だって、アタシが渡したものなの」
カナコの、息を吸う音。
「リン……本当なの?」
私は視線を彼に向けたまま頷く。どうしても、カナコのほうは見られなかった。
「お父様、お聞きしたいことがもう一つ」
「どうぞ、どうぞ」
彼は床に灰を落とした。
「……お母様は、まだあの中なのですか」
一瞬の間。
「……当たり前じゃない。あそこでしか、サチは生きていけないのだから」
「やっぱり……そのために少女達を誘拐したのですね?」
「ええ」
まるで注文した料理の確認のように、彼は軽く頷く。
「ちょっと待って……どういうこと」
彼はカナコのその言葉に反応して、手に何かを持った。それは小型で黒く四角い、プラスチックのようなもの。真ん中にはいくつかのボタンがついている。
「警察のお嬢さん、見せてあげる。姿を消した女の子たちが、今どうなっているのか」
彼がボタンを押すと、青白い光を放っていた円柱から高い音が聞こえた。そしてすりガラスのようなものは徐々に透明に近くなり、最後にはただのガラスになった。
円柱の中のものが、露出した。
それを見て、カナコは固まる。
私はとても、直視できない。
しかし彼は円柱の中身を陶酔した様子で眺め、口を開いた。
「リン……ちゃんと挨拶しなさい。お母さんよ」
ゆっくりと、恐る恐る目を円柱に向ける。視界に入って来たのは、まず青白い液体。そして、液体の中に何本も這わされたパイプ。
そして、真ん中に。
一人の女性。
裸のまま、まるで眠っているような表情。
髪は水中でゆらゆらと遊び、弾力がありそうな頬。
本当に、ただ眠っているだけのように見える。
あぁ、なんてこと……。
今だに、こんな……。
「な……なにこれ……なんなの……」
カナコはそう言って銃口を下げた。そして彼の方を向き、問い詰めるような口調で言った。
「お前、この人に何をしたんだ!」
しかし彼はゆったりとした姿勢のままで答えた。
「これが、アタシの愛なの」
円柱の中にいる人物は、今にも目を覚ましそうなほどきれいな状態。しかし、それは首から上だけ。肩のあたりから下は、肌の色もサイズも違う、いくつもの皮膚や腕や脚や指が継ぎ接ぎされていることがわかる。全体を見るとバランスが悪く、細部を見ると縫合部分のほつれが目立つ。
まるで、別々のぬいぐるみの部位をつなぎ合わせてつくった人形のよう。
吐き気がする。
まだ、こうしていたなんて。
カナコが再び円柱を見て、口を開いた。
「もしかして……この手足や皮膚は……」
その声は震えている。
円柱を見上げている私達の後方から、彼の声。
「牢屋の中にいた子たちには、部品になってもらったわ」
「どうしてそんなことを!」
足音。
私が振り返ると、カナコは肩を震わせて彼に銃を向けていた。
「どうして……そんな……」
銃声。
しかし、それは床に向けられたもの。
彼は銃声なんて聞こえなかったような顔。
「だって……定期的に変えてあげなくちゃ、どうしても腐っちゃうから。でも、脳だけあれば大丈夫。脳さえ無事なら、サチはいつか
目覚めるわ」
笑みを浮かべたままそう答える彼。
カナコは「……クズだ」と吐き捨てた。見ると、彼女の目には涙。そのまま床に膝をつき、俯いてしまった。
私は横目で円柱を見ながら口を開いた。
「お父様……お母様はもう、私を産んだときに亡くなられています。二十年以上も前のことです」
「だから、こうして延命させてるんじゃない。今は無理でも、いつか意識を取り戻すわよ。そのために会社も大きくして、ここの維持費に充てているんだから」
もう、駄目。この人には何を言っても通じない。
彼はさらに口を開く。
「そのために、あんた達殺し屋を使っていたんだもの。ずいぶん無茶もしたわよ。すべては、サチのため」
お母様が亡くなる前のお父様のことはことは、わからない。けれど、少なくともこんなに壊れてはいなかったはず。
なら。
私が産まれたから。
そのせいで、お母様が亡くなったから。
やっぱり。
もう。
「……お父様、もうお終いにしましょう」
私は改めて彼に銃を向ける。
引き金にかけた指が震えている。
それは、恐怖で?
もしくは、喪失感?
それで良い。
それでも、良い。
「……せめて、お母様のところに行ってください」
「アタシを、殺すっての?」
沈黙。
青白く照らされる、自分の父親の顔。
それは、もう、
救いようのない人の顔。
どこに落ちたのか。
それとも、堕ちたのか。
「まぁ、そうよねぇ、殺したくもなるわよねぇ……」
ゆっくりと、指に力を込める。
思い出す様に。
噛みしめるように。
「だって、あなた……」
背後にいる、会話もできなかった母親。
彼女が生きていれば、こうはならなかった?
誘拐事件も起きず、
ナツメとユキ姉さんも死なず。
「あれだけ懐いていたスズムラんとこのユキちゃんを……」
私もまっとうなまま。
「その手で……」
生きていけた?
否、違う。
私を産んだから、お母様は死んだ。
だから、全て、
全て、
私のせい。
「殺したんだものね」
一発の、銃声。
その後、銃弾が切れるまで、私は引き金を引き続けた。
何かを断ち切るように。
何かを忘れるように。
銃声が空間に反響し、硝煙のにおいが漂う。
私は弾切れの銃を床に捨て、全身に穴があいた父親を見下ろす。
広がる血と、飛び散った脳漿。
この人も、私のせいで人生が狂ったのだろう。
恨まれて、当然。
そして。
「リン」
この人にも。
「こっちを向いて」
振り向くと、カナコが私に銃を向けて立っていた。
「スズムラんとこのユキちゃんって……もしかして」
ああ、これが正しい。
「……先輩のこと?」
これで、良い。
「あの人を、殺したの?」
これで、本当に全てが終わる。
「……ええ、そうです。私がスズムラ・ユキを殺しました」
カナコの目には、大粒の涙。
下唇を噛みしめて、震えている。
「どうして……どうして!」
彼女の振り絞るようなその言葉に、私が言えることはひとつだけ。
「……私は、殺し屋でしたから」
大きな目を見開いて、私を見るカナコ。涙が流れて、白くて柔らかそうな頬を伝った。
ごめんなさい。
「ああああぁああぁ!!」
産まれてきてしまって。
ごめんなさい。
銃声。




