287.伝播する「あーん」
パウリーネ様は何があったのかしら。リースフェルト公爵がきちんとご挨拶していたが、理由は侍従経由で伝えられた。お散歩を切り上げて、私と話したいと訴えたが、公爵閣下に「迷惑になる」と止められた。それが気に入らないのですって。
「おほほっ、あの方らしいわ」
笑ったユーリア様が教えてくれたのは、以前にマルレーネ様に執着した時のお話だった。やはり同じように周囲をうろうろして、他の方との会話に割り込んだとか。さすがに外交問題になりそうな事態に慌て、リースフェルト公爵が止めた。その際も、機嫌を悪くして帰ってしまったらしい。
「自由な方ですのね」
「正直に言ってもよくてよ、自分勝手なの」
マルレーネ様はからりと明るく言い放った。有難いけれど、夫である公爵様との仲が拗れたりしないかしら。ぽろりと溢した呟きに、ユーリア様が答えをくれた。
「問題ないわ。明日の朝になれば忘れて、けろりとしているのよ。大抵のことはどうでもよくなるみたいね」
「ある意味、才能ですね。少し羨ましいです」
私よりさらに頓着しないご夫人がいるなんて。驚く私の皿に、ヘンリック様がせっせと切り分けた食事を載せる。レオンは目を輝かせ、ぱくりと口を開けた。
「ごめんなさいね、待たせてしまったわ」
レオンに詫びて、ヘンリック様にお礼を伝える。開いた口に見合う大きさに切り分けた魚を、そっと食べさせた。嬉しそうに頬に両手を添えて「おいち」と笑う天使は、ゆらゆらと体を揺らす。美味しさが言葉以上に溢れちゃったのね。もう少し大きくなったら、説明してやめさせるけれど……。
「アマーリア」
呼ばれて振り向くと、口を開けて待つ夫。迷うと負けよ。当たり前のように普通に振る舞わないと……突き刺さる二人の視線を無視し、私はヘンリック様の口に魚を入れた。そのまま何もなかったように、残った一口を自分で食べる。
「っ、ご覧になりまして?」
「もちろんよ。大胆ね」
食べさせたことかと思ったら、間接キスのこと? マルレーネ様とユーリア様は嬉しそうだった。聞かないふりで、今度はレオンのお皿に載った肉を切り分ける。全員分を私が切って食べさせる姿に、お二人の笑みは深まっていく一方だった。
「お母様、俺もあれ……やってみたい」
ランドルフ様が、ユーリア様の袖を遠慮がちに引く。摘まんで、笑顔を向けた。一瞬固まった後、私の方を見て息子に視線を落とす。次男はぱくりと口を開けた。
「……そう、ね。この場だけなら……」
言い訳しながら、手元のお皿から選んだ野菜を食べさせた。口に入ったのが野菜だと気付き、複雑そうな顔をしたものの……ランドルフ様はきちんと食べた。咀嚼して飲み込み、笑顔を向ける。
「ありがとう、お母様」
「この方法なら野菜も食べるのかしら」
うーんと悩むユーリア様の袖を、さらに長い指が摘まんで引いた。
「母上、その……」
「まさか、あなたもなの? ローラント」
次男はよくて長男はダメなんて言えない。でも成人間近で、他国に留学する大人に近い息子……迷った時間は長く、ローラント様が俯いた。
「口を開けなさい、ローラント」
絆されたようで、ユーリア様は立派に成長したローラント様へ、大きめのブロッコリーを押し込んだ。




