284.小さな恋と思い出のお菓子
「気軽に、ローラントとお呼びください」
挨拶を受けていたら、ヘンリック様の腕がするりと腰に回った。コルセットの上からなので、感覚は鈍いけれど。照れてしまう。まさか、ヤキモチなの?
ユーリア様はしっかり者の長男と、やんちゃな次男と表現していた。貴族令息としては元気だけど、ランドルフ様は相手の気持ちを慮って動けるわ。婿入りするなら向いているし、騎士も素敵だと思う。
比べると、ローラント様は大人しそう。上品な振る舞いと穏やかな笑み、所作もとても綺麗だわ。確かに公爵家嫡男としての素質はありそう。
「ローラント様、お久しぶりです」
「久しぶりだね、ヴェンデルガルト嬢」
リースフェルト公爵家のご令嬢が動いた。大人しくお茶を飲んでいたから、意識していなかった。穏やかに微笑む彼女は、母親譲りの薄茶の髪に父親そっくりの緑瞳だ。ローラント様に一礼し、少しだけ近くに座り直した。
この子、ローラント様に恋をしているみたい。ちらりと視線を向ければ、マルレーネ様も同じ意見のようで、意味ありげな微笑みが返ってきた。二人で視線を向けた先、ユーリア様も知っている様子。
将来、リースフェルト公爵令嬢からバルシュミューデ公爵夫人になれるかしら。ヴェンデルガルト・バルシュミューデ……想像してみたけれど、舌を噛みそうね。貴族夫人がフルネームで呼ばれることは少ないから、問題ないかも。
「お菓子も召し上がって」
マルレーネ様に促され、いくつか取り分けてもらう。一つだけ、明らかに違うお菓子があった。パイ皮で何かを包んだ素朴なお菓子、肉か林檎か。柑橘も素敵ね。中身がわからないけれど、手のひらほどの大きさがあった。
表面の照りは卵黄かしら。過去の料理経験から引っ張り出した知識で、お菓子を眺める。飾り切りが施されている。手元に届いた大きなお菓子を、ヘンリック様がひょいっと摘まんで半分に割った。
「え? そうやって食べるの?」
「さて。どうだったかな」
にやっと笑うヘンリック様に、胸がどきっとする。ちょっと悪い表情も似合うのね。返されたお菓子は、迷った末にさらに半分にして齧り付いた。
「もうっ! ヒントを与えちゃうなんて狡いわね。ヘンリック殿は罰として、次のお茶会の主催を申しつけます」
「承知した」
平然と返すけれど、準備するのはフランク達だ。このお菓子の食べ方、貴族向きじゃない。でもマルレーネ様もヘンリック様も知っていた。
「もしかして……マルレーネ様のお手製ですか?」
「ふふっ、気づかれちゃった。母とね、何度か一緒に作ったの。子供の頃はこれが楽しくて、美味しくて。結婚当初は何度か作って振る舞ったのよ」
その後は作らなくなった。いえ、作れなくなったのかも。王族は窮屈な生活を強いられる。あれもダメ、これもダメ。気が強くお転婆な雰囲気を持つマルレーネ様は、徐々に環境に慣らされてきた。夫を亡くして王太后陛下になり、再び自由を楽しんでいるみたい。
侍女達に紛れ、マルレーネ様に優しい眼差しを向ける女性が、お母様だったはず。地位が高くなり、柵が増えると自由は消えてしまうのね。私はその意味でも恵まれているわ。こんなに自由にさせてもらっているのだから。隣のヘンリック様に身を寄せた。




