278.小さな天使の冒険譚
人見知りとは違うけれど、普段はいない人がいた。皆もお話しないし、僕も話してはいけないのかな。幼いながらにレオンはそう感じたらしい。ヘンリック様と寝室へ引き上げるなり、すごい勢いで話し始めた。
今日はお絵描きをしたこと、お留守番で何があったか。どこまで歩いて、知らない部屋を両手の指で足りないほど発見したこと。レオンはずっと話し続け、お風呂もまだなのに眠ってしまった。絵本の読み聞かせをするつもりだったので、こちらが驚いてしまう。
「たくさん冒険をしたようだ」
柔らかな声でヘンリック様がそう呟き、複雑そうな視線を向ける。理由が気になって尋ねると、思わぬ答えが返ってきた。
「いずれ、公爵家嫡男としての勉強が始まる。そうすれば、レオンの表情が曇ってしまうのではないかと」
驚く変化だわ。ヘンリック様はレオンに対して、父親としての愛情や責任感を覚えている。心配する言葉に、嬉しくて笑顔になっていく。その様子に、ヘンリック様は頬を赤らめた。
「俺の時も、君のように心配してくれる人がいたら……何か違ったのだろうか」
「いましたよ、イルゼやフランク、ベルント……この屋敷の使用人を雇ったのは、先代のヨーナス様でしょう? よい使用人ばかりではありませんか」
自分で子育てをしなくても、環境を整えてくれたのは……あの義父だ。レオンを泣かせたことは許せないし、ヘンリック様が歪んだ原因でもある。それでも、最適の環境を整えたことは評価できた。金にあかせて集めた人材であっても、その中から真面な使用人を選んだのは先代夫妻なのだから。
「そうか、目に見えるだけが全てではないのだな」
勉強でも人の感情でも、敏感で飲み込みが早い。賢さを悪い方向へ利用され、ヘンリック様は仕事を背負い込んだ。他人の分まで当たり前のように、己の身を削ってまで。
元凶の先代王……もう先先代になるのね。カールハインツ様の祖父が築いた負の遺産から、ようやく解かれたばかり。子供の仕草も大人の振る舞いも、全部ひっくるめて不安定な人。仕事では器用なのに、普段は不器用で……。
鼻の奥がツンとした。なぜ、この人ともっと早く出会えなかったのか。無理だとわかっている、私より年上だもの。彼が幼い頃、私は生まれてもいなかった。それでも悔しく感じる。
「もう、寝ましょうか」
「ああ、そうだな」
明日は王宮に呼ばれている。遅刻するわけにいかないわ。お茶会と銘打っているが、昼食会も挟んでいた。一日潰れると思った方が良さそう。レオンの着替えや子守り役も頼んで……いろいろ考えながら、横になった。中央でぐっすりの天使は、今夜も可愛い。
この愛らしいレオンの成長を見守れなかった前公爵夫人には、同情を禁じ得ないわ。その立場にいたら、化けて出ちゃうもの。そんなことを想像しながら眠ったせいか、夢の中で私は一人の女性と出会った。目が覚めたら忘れてしまったけれど、出会った事実だけは覚えている。
安心なさって、レオンは私がきちんと……あなたの分も合わせて愛して育てますから。




