274.いたいたいの、とんへれぇ
自分のことなら、多少の問題は気にしない。嫌な思いをするとわかっている場でも、受け流せる自信はあった。ただ、弟妹やレオンのことになると……過保護になる自覚はあるの。手を出したくなるし、守りたいし、可能なら悲しい思いをさせず、痛さなんて知らない子に育てたい。本人のためにならないから、ぐっと堪えてきた。
ヘンリック様はいつも通り……いえ、なぜか頬が赤いわ。理由を問うたら私の唇を見て、頬の赤みが増した。何かあったかしら。
リリーもやや頬が赤いので、理由に心当たりがありそう。手招きして尋ねると、耳元で小声で説明してくれた。レオンが私に胡瓜を食べさせたフォークで、ヘンリック様が食べた。その後、私に同じフォークで肉団子が提供される。つまり間接キスだったと。それも往復……こういった場合に往復の表現が正しいか迷うけれど。
聞かなければよかった、私の頬もぶわっと赤くなる。レオンを抱いてさっさと立ち上がった。慌ててヘンリック様がついてきて、絨毯の部屋に向かう。ノックにユリアーナが応じた。開いた扉の中で、オイゲン様が転がっている。
呻いて転がる姿に、首を傾げた。状況が理解できないけれど、なにやら苦しそうね。
「ティール侯爵令息はどうなさったの?」
「エル兄様の正座を真似て、痺れたとこ……」
ユリアンの簡潔な説明で、おおよその状況は掴めた。痺れてしまった足に触れては、その度に転げ回る。絨毯敷きでよかったわ。ああ違うわね、絨毯が敷いてあるから正座をしたんだもの。
「いたいたいの? とんへけぇ」
「レオンは優しいわね。痛いの飛んで行け、よ」
もう一度きちんと聞かせると、レオンは何度か繰り返した。最終的に「とんへれ」に変化したので、今日は終わりにする。抱いてきたレオンを下ろし、絨毯の上に座った。レオンは靴を脱ごうと、両手で靴を押して背中から転がる。
オイゲン様は痺れと戦いながらも、驚いた顔でレオンを見つめた。紐を緩めた靴を自力で脱いで、レオンはとてとてと走る。先に座るヘンリック様の膝に上がり込んだ。私とお父様の指導で、胡座を覚えたのよ。真ん中が座りやすいみたいで、レオンのお気に入りだった。
「あっ……俺、レオン様に」
「ぼく?」
こてりと首を傾げ、レオンは続きを待っている。その表情や仕草に怯えはなく、それどころか誰だかわかっていないような……。まさか、顔を覚えていない? あの時の状況を思い出すが、言われた時の様子は知らない。私が見たのはランドルフ様が立ちはだかった状態で……。
本当に顔を見ていないのかも。もしくはランドルフ様がすぐに動いたので、ちらりと見ただけ。だから覚えていないのだとしたら、ランドルフ様に感謝だわ。
ヘンリック様の膝の上から起きあがろうとして、また窪みに落ちるレオンが手足を動かした。じたばたと擬音をつけたくなる動きに、苦笑いしたユリアンが手を貸す。やっと起き上がったレオンは、無防備にオイゲン様に駆け寄った。
ユリアンがすっとサポートに入る。何かあれば引き離せる位置だった。左右に視線を動かして探るユリアンの前で、レオンは手を伸ばした。まだ足の痺れで寝転んだままのオイゲン様の茶髪を、優しく撫で始める。
「いたいたいの、とんへれぇ」
なんてこと! 優しい子ね、と思う一方で溜め息を呑み込む。さっき教えた時より、飛んでけが崩れてしまったわ。




