268.破けちゃったの?
屋敷に戻るなり、イルゼと手を繋いだレオンが駆け出そうとした。馬車が止まった途端なので、焦る。まだ私は降りていないし、誰かが止めて! 焦って窓際に寄ったら、イルゼがレオンを引き止めた。何か言い聞かせている。頷いたレオンは、右腕のスカーフを撫でた。
「おかえりなさいませ、奥様」
扉を開けたフランクの挨拶に微笑み、差し伸べられた手を取る。軽やかに降りた私は、さりげなく扉を半分ほど閉めた。レオンはまだ、オイゲン様に会う心構えができていない。きちんと話をして、納得してから顔合わせをしたかった。
「ただいま、レオン」
「おかぁしゃ、ま! おかぁり、ちゃい」
繋いだ手を離したイルゼが一礼し、レオンはとてとてと走り出す。幼子って、不思議よね。足音がパタパタと響くの。大人になると違う音になるのに。
屈んで広げた腕に飛び込んだレオンは、紫のスカーフを引っ張った。
「これ、ぼく……おるす、あん、した!」
満面の笑みで得意げに胸を張る。可愛いが過ぎて、どうしましょう。
「よくできたわ、さすがは私の小さな騎士様。偉いわ、レオン」
「こっち、こっちも……けぇご、したの」
屋敷の両側を指で示すレオンの後ろで、イルゼが頬を緩める。たくさん歩いたのね。お昼寝はまだかしら。興奮したレオンは私の首に腕を回し、抱っこしろと訴える。ここは私の本領発揮、スクワット感覚で全力を出した。
米袋の重さを抱いて立ち上がるのは、膝と腰にくるの。でも可愛い笑顔のためなら大丈夫。気合を入れて力を込める。倒れたらダメよ、自分に言い聞かせて立ち上がった。ほっとしたのも束の間、顔色を変えたマーサが腰にショールを巻いた。
……まさか、破けちゃったの?! 焦って視線で問うと、マーサがすっと目を逸らした。間違いないわ、どこか破け……私、太ったのかしら。このお屋敷に来て美味しいものばかり食べたし、この頃は家事もしていないから運動不足かも。
どきどきしながら、着替えるために自室へ向かった。抱っこしたことで安心したのか、レオンはいくつも欠伸を繰り返す。
「あのね……あふっ、ちらない、おへあ……あったの」
知らないお部屋の説明に相槌を打ちながら、普段より足早に自室へ入った。午後のお昼寝より少し前の時間、当然、ヘンリック様は帰宅していない。レオンをベッドに置いて、ワンピースに着替えた。足首まできっちり隠れるスカートで覆い、ほっとする。
あ、ユリアン達を置いてきちゃったわ。ここでようやく思い出すが、考えてみたらレオンはこれからお昼寝だ。会わせる前に話をするなら、起きてからだろう。
「やぁ! ほん!!」
ベッドの上で駄々を捏ねるレオンは、両手をじたばたと動かして訴える。出かける前に本を読むって、絵も描くって約束したのに。可愛い暴れん坊の隣に座り、枕元に置いたお気に入りの本を広げた。
「レオン、絵本を読むわよ」
「やっ、た!」
頬を腿にのせて、レオンは英雄譚に耳を傾ける。すぐに寝息が聞こえ、物語の序盤で夢に引き込まれていった。まだ読み聞かせを止めず、私は黒髪を優しく撫でる。目が覚めたら、オイゲン様と顔合わせして、お絵描きも付き合わないと……ヘンリック様の帰宅までに終わるかしら。




